第151話 彼思う、激しい情動

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 毒の充満するマーガレットの丘に、銀の大木が雫を垂らす。

 すっかりと包囲されてしまった毒霧の中で、クレイス達の展開する防御魔法にセイル達が身を寄せている。

 益々と悪くなっていく状況に、シクスは額に手をやって嘆き、フロンスは眉を潜める。


「おぉーい! こんなのどうやって生け捕りにするんだよ!?」

「このままでは何処までも毒の範囲を広げられていきますし、一体どうすれば……」


 転移魔法にて急場を凌ごうと、セイルは足下に巨大な桃色の魔法陣を起こし始めた。


「一度ここを離れるよみんな!」


 ――しかし、セイルの展開する桃色のサークルは術者自身の手で持って中断されて消えていった。


「――――っえ?」


 傍らで起きる不可思議な光景に、セイル達の正面に立って防御魔法を展開するクレイスが、目を見張りながら口を開き始めた。


「何をするんですか、リオンさん」


 目前に毒の霧が差し迫るのにも構わずに、リオンが氷の球体を解いていた。

 そしてクレイスの問いに答える事も無く、緩やかに振り返って足元の存在を見据え、長い髪をそよがせる。

 リオンは地に転がったリンドの心中を覗き、そこによこしまな思惑の無い事を確認した。


「頼…………む魔……女」


 そこにあるのは、友を、その愛を民の為に見限った確かなる決意だった。


「……わかったわ」


 ぼたぼたと毒液を垂らす大木が丘の上に佇む。その絶望的な光景を見上げながらに、リオンはそっと口を開く。


「魔眼ドグラマ左の目第一の目魔消ましょう』」


 セイルの動揺を他所に、押し開かれたリオンの左の目。


「――――――はぐぅっっ!!!」


 灯された家畜の瞳。それに射貫かれた結果に呼応して、天を突く様であった銀色の大樹が瞬時に液状化した。


「あがぁああッが!」


 即座に形を失った銀の液に濡れ、ラルが声を上げる。ブルブルと震えた手付きをしながら、細木の絡み合うステッキを自らに向かわせて唱えた。


我が手に癒やされるエロヒム……が……!? あ、……ぁ」


 水銀の湖に佇んだラルが膝を着く。そしてカタカタと痙攣しながらに、苦悶の表情を刻んでリオンを見下ろす。


「見る……な……その……ッ!!」


 リオンの魔眼の影響によって、水銀は操れず、治癒魔法は発動しない。毒の霧に飲まれたままに、ラルは被爆を続ける。


「その目で…………俺様を、見るなぁぁあ!! が!! ……カ……ッ!?」


 毒霧を吸い込み続けるラルは呼吸困難に陥り、瞳を真っ赤に充血させて血の涙を流し始めた。


 魔女が天使の子を屠ろうとする事態を上空から見下ろしていた鴉紋が、憤慨しながら天に腕を突き上げて、上腕に白い魔法陣を起こす。


「――――待って鴉紋!!」

「何故止めるセイル!」


 それを止めたのはセイルであった。そして地上から鴉紋に叫ぶ。


「『黒雷こくらい』を使ったらこの霧に引火するよ! そしたらラルも死ぬかもしれないし、何よりクレイス達の防御魔法がもう保たない!」

「――――ッちぃ!!」


 歯噛みしながら『黒雷』を中断した鴉紋に、白き二枚の翼が駆けていた。


「――――っぅぐッ!! ……っおのれダルフ!!」

「民を守る為ならば、俺は天使の子ですらも殺すと決めたッ!!」


 白雷はくらいに腹を突き上げられた鴉紋が、上空へと連れ去られていく。


 地上の血溜まりで青白い顔をしたリンドが顔を上げていた。彼の今にも失ってしまいそうな視界の先には、ラルと作り上げたクローバーの刻印をした義手のプレートが転がっている。


「――――ぁ!! ――が、ぐヵ!! ぎ?!!」


 ステッキを落としたラルは、両の指先を上に向けて悶絶しながら、ガタガタと全身を痙攣させて、目をひん剥く。


「…………が…………っ――――きょ…………!!」

「ラル…………っ!」

 

 リンドが戦慄いた目を丘の上へと向かわせると、ラルが口元から夥しい嘔吐を垂らしていく。


「ぁ…………ぁ――――っぁ゛!!!!!!」

「ラルぅうっ――――!!」


 自らの猛毒に冒され続けるラルはやがて、その口と目から血を落としながら、口を開閉して舌を突き出す。

 あまりにもむごい友の姿に、リンドの涙腺から熱き涙が溢れ出していく。


「ァがう――――ッア、ァア…………りッ」

「――――ラルッ!! ラぁああルぅぅううう!!!」


 強烈な神経毒に冒され続ける拷問に、ラルの心身が共に終わりへと近づいていく。

 リオンの魔眼は冷酷に、彼の苦しみ悶える様から目を離さない。


「ぁぅぎぁ……っリ、…………」

「ラル! ラル! ラル!! ぅぅわぁあああ!!!!」


 嗚咽を繰り返す様な有様で苦しむラル。それをリンドは激しく哀哭あいこくしながら見つめ続けた。友の名を呼ぶ度に、血液が体内から流れ出して死に近づいていくのも構わずに。


「……――――リン…………っリ――っ」

「ぁぁあああ!!! ラルぅうああアアッッ!」


 目から、耳から、口から皮膚から血液を絞り出されていくラルは、最早呼吸も出来なくなって瞳を上転させ掛ける。

 だが絶え絶えに、友の名を呼ぶ。


「リンド――――ッ」


 生命が終わりへと近付き、ラルの天使の子の力が失われ始めた。橙色であった虹彩は色を失い始め、元の彼の瞳である、薄い青が表れ始めている。


「ラルゥゥウウ――ッ!」


 そしてその青は、震えたままに友を見下ろしていた。


「リンド…………たあ――っカ、カ…………」

「――ラル!? ラル!!?」


 最早吐き散らす物も無くなり失せながら、ラルはガタガタと震えた腕を、リンドに向けて伸ばした。

 彼の名を叫び繰り返すリンドもまた、リオンの背後から彼に手を差し伸ばす。


「ァァァァァァァ!!! ァァァアァアア!!」


 リンドの瞳にかつての親友の瞳が交錯する。

 そして力の限り咽び泣くリンドに、ラルはこう、微かに言った。




………………、リンド……」




「――――――――ッッ!!!」


 リンドの眼下に転がったクローバーの刻印が、辛く、ただそれ以上に楽しかった二人の時を、あの甘く濃密であったあの日を回想させていく。


「――――ぁ、ああ、ラル…………ラル、ラルラルラルラルッッ!!」


 殺してくれと決断したのは自分であるのに、次々と、次々と彼との思い出が、手を伸ばしたら届きそうな距離にある。愛しき親友の笑顔が幾度も現れてくる。


「助けて……………………リンド」


 友の手に向けて、リンドは宙を掴む。


「ラル……!!」


 あの日リンドを地獄から救い続けた手が、彼に向かって伸ばされていた。


「…………リン、ド……」

「ぁぁ…………っ、ぁぁ、ぁぁぁあああ!!」


 天使の子になる前、リンドの好きだったラルがついぞ言わなかった言葉――――


「たすけて…………リンド………………」

「ワァアアアアァアアアア゛!!!!!」


 どれだけ苦しくても、報われなくっても、痛くっても、彼はその一言だけはリンドには言わなかった。

 リンドを守るのは自分なのだからと、どれだけの苦難が待ち受けていようと、ラルはその一言だけは喉の奥にしまい込み続けた。


 リンドが身勝手に何度も何度も何度も何度も何度も繰り返し、

 ラルがどれだけどれだけどれだけどれだけどれだけ我慢して来た――――




……っリンド――――――」




 その一言が、涙を垂れて懇願しながらリンドに向けられる。すっかりと元の姿へと戻った、大好きな親友の姿で――――


「――――――っ!!」


 リンドの心中で何かが切れた。


 どうする事が正しいとか、こうするべきだとか、そうしなきゃいけないんだとか、

 そう言った合理性を欠いて、リンドは自らに巻き起こった激しい衝動に支配されてしまった――――


 故にその心変わりは、リオンにも見抜けなかった。

 瀕死の体に残された僅かな魔力で、リンドは地に手を付いて人程のサイズのゴーレムを作る。


「ッ――――ちょっとあなた、何して!?」


 そうして背後から覆い被さったゴーレムに、一瞬。

 ――――ただの一瞬だけ、リオンの視線が移し変わる。



 その瞬間を、ラルは見逃さなかった。



「――――――ッ我が手に癒やされるエロヒムッッ!!!」


 僥倖ぎょうこうを射貫く絶叫と共に、ラルの諸手はリオンへと差向けられていた!


 そして――――――ッ


「――――――キャァッッ!!」


 常勝無敗の魔女が短い悲鳴を上げている。


 自らにも治癒魔法を施したラルが、橙色へと戻った瞳を歪ませて足下の銀を起こす。


「『銀鎖』ィィイ――――――ッ!!!」


 銀の湖から極大の銀の鎖が無数に踊り出し、リオンへと迫る。リオンは自らの両目を抑え込んだまま、明らかに混乱した様子で俯いてしまっていた。


「リオン――――――ッ!!」


 直前の所で、白き迅雷が天からリオンを連れ去っていった。

 銀のチェーンがぶつかり合って投げ出される。そうして上がった土煙を、毒霧が覆っていく。


「ぎひぃぃッギャぎゃぎゃぎゃ!!!! 魔女ぉ! いや、ロチアートが! 貴様の魔眼は潰したぞ!! 最早この毒を阻むものは何一つとしてねぇ、オワリだァア!!」


 土煙に巻かれたリンドに治癒を施す事も無く、ラルはニヒルに空へと登っていったリオンを見上げた。

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