第150話 テメェらはクソだ。だがそのクソを粛清する為に、俺は一番のクソになる

 突如怒号を上げて飛び出して来た少年の声に、騎士の振り上げた剣が止まる。


「――――ッは!」


 ラルの渾身の拳は、その手首を掴まれて止められていた。


「何だこの子どもは!」


 騎士達が怒気を携えた瞳をラルに向け始める。そうすると再びに押さえ込んでいた恐怖がぶり返して来て、体がガタガタと震え始めた。


「みずぼらしい格好……平民だ」

「何をしに来た! 今は我々アイルット家の聖なる断罪の時! 邪魔立てする者はたとえ子どもといえど許さぬぞ!」


「ラル……助けてぇ、助けて、痛いよぅ…………ラル、ラル」


 リンドのすすり泣く声に、騎士達は合点がいって再び激昂を始める。


「貴様か、ロードアイ家に加担するラル・デフォイットというガキは! 聞き及んでおるぞッ!」

「……ひっ!」


 若い騎士がラルの頬を殴った。その衝撃で地を転がったラルは、目を剥いてその苦痛に悶絶する。


「痛ッッ……い、いてぇエエっ!!!」


 鍛えられた男の拳は、子どものそれとはまるで違うものであった。その衝撃に頬の骨は砕け、顔が吹き飛んでしまったかの様な感覚にラルは絶叫する。


「イデェエエエエエエッッ!!!!」


 騎士達はニヤけ面をして、情け容赦無い暴行をラル加え始める。


「うるせぇガキだ! これはお前がやってきた罪深き行いの報いだと知れ!」

「ぁぁあぁああ!! やめでぐれぇ!! やめでくれぇ!!」


 あらん限りの叫声を繰り返し、やがて顔の原型も分からぬ程に腫れ上がってしまった顔面。

 そしてラルは胸ぐらを掴まれて吊り上げられる。


「ひっひっひっひっひ……」

「あはあはあはあはぁっ……」


 いたぶる事を楽しむ下卑た笑い声が、ボンヤリとした意識を鎖の様に現世に繋ぎ止める。

 腫れ上がった瞼の下に、憧れ続けた騎士の狂気の姿が映る。


「おい、平民のガキ。神に自らの過ちを懺悔し、ロードアイ家のガキに唾を吐きかけろ」

「……ぁ……ぁ、あ」

「我々が断罪するはロードアイ家の血筋のみ。お前が行いを悔い改めるのなら殺しはせん。何せ我々は、高潔なるアイルット家の騎士なのだからな」


 めらめらと燃え盛る邸宅の光景を見上げたラルが、息も絶え絶えに答える。


「あ……い、わかり……まし、た…………」


 騎士達は満足気に笑い、リンドは絶望を刻む。野次馬達も平民が貴族に抗った報いだと、ラルに白い目を向けるだけだった。


 宙に吊り上げられたままのラルがか弱い視線を落とす。

 騎士達の背後で、リンドが砕かれた義手のプレートを左手で握り締めていた。


「…………っ?」

 

 そしてリンドは何かを諦めると、涙に濡れた顔を微笑ませ、細くなった瞳をラルに通わせた。


「……ありがとうラル。ずっと、僕の友達でいてくれて」

「――――っ!」


「おい早くしろこのガキ!!」


 騎士達がラルに懺悔を急かす。


「ぁ…………ぁあ、……ぁ」

「おい、さっさとしねぇか貴様!!」


 しかし彼は視線にリンドの微笑みを捉えたまま、目を剥いて時を止めてしまった。


 するとしびれを切らした一人の男がリンドに歩み寄り始める。両刃の銀の剣の切っ先を彼に向けながら。

 彼等の云う断罪とやらを執行する為に。


 ――リンド

 ――リンド

 ――リンド!


 ラルは熱風に曝されたまま、リンドの名を唱える。

 そして薄汚い男達の顔を眺めて思う。


 ――どうしてリンドが殺されるんだ? 何故僕等は痛めつけられなければならない?

 ――僕達が何をした? リンドがお前達に何をしたんだ?

 ――僕が平民だからか? リンドが没落貴族だからか?

 ――貴族であれば何をしても良いというのか?


「早くしろ平民のガキ! 裏切り者のデフォイット家が!」

「さっさと懺悔するだよぉ! でなきゃ我等が先に始末を付けるぞ!」


 がなり立てる騎士。その様相は脅し付けて頭から抑え付ける様である。

 激しく揺すぶられながらに、ラルは回想する。夕刻の空に踊る焔と、焼け朽ちていくサンクチュアリを眺めて。


 ――貴族が、騎士が、暴力が嫌いだ。

 ――全部無くなれば良い。

 ――だがそれを消し去る為には、その全てを凌駕するだけの権力が無くてはならない。


 ――だけどそんなもの、この世界では産まれた時点で決まってる様なもんじゃねぇか。



 ――――くだらねぇ!



 ラルは胸ぐらを掴まれたまま、確かな顔付きして薄い青の瞳を騎士に向かわせる。

 そして――――――



「くたばれ、下郎」



 その震えた拳を騎士の顔面に叩き付けた。


「な………………」


 そんな打撃にダメージなど無かったが、騎士は狼狽しながら額に押し当てられている拳に目を白黒とさせる。


「きさ…………平民の分際でぇえ!!」


 途端に激情した騎士が、ラルに向けて剣を振り上げた。


「死ぃね――――ッぁが! 何だ!?」


 投げ出され、地に膝を付いたラルが見上げたのは、湧き出した人程のサイズのゴーレムが、彼を庇う様にして大手を広げた光景であった。


「ラル……逃げ……て」

「リンド……」


「おのれロードアイ家の化物め、直ぐに刺し殺してくれる!」

「デフォイット家のガキ! アイルット家に手を出した貴様も許さぬぞ!」


 騎士達が明確な殺意を持ってラルとリンドに走り寄って来る。二人は逃走する事も叶わずに、ただ自らの運命を、何処か清々しい気持ちさえ持って待ち受けた。


 ――――その時。夕刻の空を割り、天より光の柱が下りてきた。

 辺りは途端に眩い光に包まれて、全ての者が動きを止める。

 訳も分からず全ての者は天空を見上げた。そして民は口を開き始める。


「天から、誰かが降りて……」

「そんな、まさか、あのお方はッ」

「ぁぁ……あ、なんて、なんて事だぁ」

「奇跡だ……よもやこの目でその存在を見る事が出来ようとは」

「なんで、どうして今、ここに?」


 天空より降臨せし6枚の翼を広げた天使。躍動する生命を見せ付けらながら、その後光を一身に受けて飛来する圧倒的存在感。

 地が震える様な感覚さえ覚えながら、その場に居る者は膝を折り、口元を戦慄かせる。


「やぁ、取り込み中だったかな」


 大天使ミハイルが、突如としてラルとリンドの前に舞い降りて来た。その衝撃に誰しもが口をあんぐりと開け、押し潰される様なプレッシャーに平伏していく。騎士達は瞬く間に剣を捨てて、滝の様な汗を流し始めた。ラルとリンドは訳も分からず固まるしか無かった。


「続けても構わないよ。私は君達が何をしようと、基本的に干渉しない」


 ミハイルはそう言って地に足を付けると、騎士を見やり、リンドを見下ろす。


「ただ、どうしても惜しい人材がいてね」


 ミハイルの周囲に白く大きな羽が舞い落ちて来る。そして全ての者が黙りこくったその最中さなかで、くるりと反転してラルの顔を正面に見下ろした。


「ラル・デフォイット。私の与える人格と、相反した本能を持つ君ならあるいは……」


 ミハイルは男女の判別の難しい中性的な美貌をラルに向けながら、右手に持った錆びた小さな秤を彼の頭上にかざす。


「君にホドの天使の子になって貰いたい」

「「――――――ッッ!?」」


 天地をひるがえす、願ってもない神よりの啓示――


 平民の子どもに告げられた一言に、一同は目を剥きながら、静かに事の成り行きを待つ。


「……ぇ…………ぁ、え」


 啞然としたラルは放心しながら、程なくして一心不乱にミハイルに身を乗り出してこう叫んでいた。


「なる! なるなるなるなるナル!!」

「随分と意欲的じゃあないか……最も私のこの誘いを断った者は誰一人として居なかったけれど」


 心地の良い声音と共に、ミハイルは早速その小さな秤に光を凝縮し始める。


「天使の子になれば、誰にも負けない権力を持つ事が出来る!! そうですよね!!」

「うん、そうだね。これからは君がこの都を思い通りに出来るんだ」

「ハイッ!! はい! はい!! はいッ!!!」


 その名の通りに突如として舞い降りて来た幸運に、ラルは瞳を輝かせる。対称的にアイルット家の騎士達はその瞳を闇でかげらせていた。


「じゃあ、任せるよ」


 ミハイルの持った秤から、凝縮された光が拡散した。そしてその光は砂の様にサラサラとラルの体を包み込んでいく。


「ラル……っ」


 物憂げな表情をしたリンドが、光を吸収していく彼を見つめる。アイルット家の騎士は報復を予測して肩を震わせながらも、黙しているしか無かった。


 光が一粒残らず体内へと侵入していった後に、ラルは立ち上がってその相貌を上げた。

 その背を突き破ってメキメキと細い翼が発生していく。薄い青の瞳は橙色に変わり、少年の気配は早くも薄れ、そこに威厳を刻み始めていた。

 唐突とした天使の子の誕生に、民は目を丸くして息を呑む。


 そうしてミハイルはそっとラルの耳元に囁いた。


「どうか変わらずに……ホドの天使の子、ラル・デフォイットよ」


 ラルは鋭くなった目付きでミハイルに問い掛ける。


「ミハイル様。天使の子になれば、誰にも負けない権力を得られると、そう仰いましたよね」

「あぁ、言ったさ。君はこの世界を統治する9人のうちの一人なんだから」

「この都を、今後思い通りにするのもだと!」

「そうだよ、ラル」


 美しい微笑みを前に、ラルは邪悪に笑う。その表情に、最早少年のあどけなさ消えていた。


「おい、アイルット家のクソ共」


 放たれ始めたラルの乱暴な言葉に、アイルット家の騎士達は口元だけを笑わせながら、震えた瞳を上げる。


「はい、ラル・デフォイット様」


 そして愕然とした騎士達に向けてラルはまなじりを吊り上げて命令する。


「自害しろ。貴様等の様なクソの血筋はこの世から消し去る!」


 アイルット家の騎士は、ただ全身を震え上がらせたままに頭を真っ白にした。連綿れんめんと受け継いで来た高潔なる血筋も、天使の子の前では雑多な石塊いしくれと同義に化す事を、彼等も理解しているのだ。

 そして側に落としたロングソードを震えた掌で拾い上げながら、許しを乞う様な表情をそろそろと起こしていった。


「――――!」


 そこに憤激したラルと、ミハイルの静かな視線がある。


 アイルット家の騎士は、自分達に拒否権の無い事態を充分に理解した。


「――――っぅ!!」

「――――ぁ…………がっ」


 そして何よりも目前に佇んだミハイルを失望させたく無いという一心で、彼等はいとも簡単にして、その剣をそれぞれ自らの喉に突き刺した。

 野次馬達が口に手をやって顔から色を失せさせる。


 血の海と化した庭を歩き、ラルはうつ伏せになったままのリンドに手を差し出した。


「もう何も恐れる事は無い、リンド」


 傷だらけとなった相貌を炎に照らして笑ませながら、ラルはリンドの動揺した瞳を見下ろす。


「…………っ」

 

 何故だがリンドには、彼の緩い笑顔が恐ろしく思えた。

 そしてラルは橙色になった瞳を歪ませる。


「お前の事はが守るから」

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