第147話 愛を見限って

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 空の高くまで昇った爆炎に、ダルフと鴉紋が戦闘を中断する。


「なんだ……っ……リオン――ッ!」

「…………っち!」


 ダルフが一足先に地上に向けて舞い戻っていく。鴉紋は鼻筋にシワを寄せながら、不承不承とセイル達の元へと降りていった。


 マーガレットの花は高くまで巻き上がり、土が剥き出しになった丘には爆発の痕跡が残る。まだ所々で炎が滾っている。

 クレイスを筆頭にグラディエーター達が円形の防御魔法を展開していて、その内部にはセイルとフロンス、シクスが身を潜めていた。

 少し離れた地点では、爆風で転がって来たズタボロのリンドが、リオンの作った球体の氷の中で倒れている。


「リオン今行くッ!」

「駄目よダルフ」


 中空のダルフが降りていこうとするのを、リオンが止めていた。そして状況を説明する。


「この霧はやがて都全土に満ちるわ」

「なんだって……そんな事になったら、民は!?」


 そしてダルフに続き、鴉紋もまた地上に起こっている危険な空気に勘付き始める。

 爆炎に呑まれた騎士がそこら中に転がっている。全てが死に絶えた訳では無かったが、立ち込めてきた奇妙な霧に触れた者から、体を痙攣させて動かなくなっていく。


「毒か…………あのザコ天使が」


 その濃霧は既にクレイス達の展開する防御魔法を包み込んでいた。一瞬でも外界との交通を許せば、その内部に居るセイル達は皆毒に冒されるだろう。

 やや離れた地点に居るリオンの目前にも、既にその霧が差し迫っていた。


 クレイス達の防御魔法の中で、セイルが鴉紋に向かって涙ぐんだ表情を向けている。


「ご、こめん鴉紋! ラル・デフォイット、こ、殺しちゃったかも!」

「あぁ!?」

「私知らなくて、あの毒が爆発するなんて……っ」


 ――そう心配したセイルであったが、丘の中腹の炎の中から煤だらけになった男が一人、一度発光した後に立ち上がった。


「ぁぁあんギゃぁあああ!!! 熱い゛あぢ! あぢぢぃ! あぢぢぢぢ!! あっづづいぃぃぃイイ!!」


 炎の中に羽を広げた天使のシルエットがある。立ち上がったラル・デフォイットが、未だ焼かれ続けながら、顔面をガリガリと掻きむしっていた。


「なんだ、まだ生きてんじゃあねぇか……」


 ニヒルに笑った鴉紋の眼下で、ラルは燃え続けた。灼熱に身を悶えさせながらも、彼は未だ可燃性の毒の放出を辞めていないのだ。足下の銀溜まりは燃え続け、その煙が上空へと立ち昇っていく。


「鴉紋さん! その煙から離れてください!」

「兄貴! その毒をくらったら流石にまずいぜ!」


「びぃええええ!!!! 熱い熱い熱い熱い熱いッ!! 止めろ!! 誰かこの炎を止めてぐれぇええ!!」


 自らが毒を放出しているから燃え続けている事に、ラルは動転して気が付いていない様だった。しかし、結果としてその行為が鴉紋を牽制する事となっていた。


「びゃあはァァあ!! ――――ッッあ!!?」


 逆巻く炎に皮膚を捲り上げながら、何かに気付いたラルはその全身を水銀に包み込んだ。性状の変化した水銀が炎をかき消して。そこに銀翼を広げたラルが残る。


我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム!!」


 肉体は再生を遂げながらも、煤だらけになった衣服。その足下に再びに銀溜まりが形成されていくと、毒の蒸気が噴出を始める。


「おのれ糞共ぉおおお!! 皆殺しにしてやる!!」


 憤怒する滑稽な天使の子を見下ろしながらに、鴉紋は煙を避ける様にして蒼天を旋回し始めた。


 氷の球体の中で、リオンは息も絶え絶えのリンドに囁く。


「ねぇ、倒れてる所悪いんだけれど。このままだと毒に包まれてしまうわ。この氷を解いて早く後退したいんだけれど」


 先の大爆発によって片腕を吹き飛ばされていたリンドは、うつ伏せのままに血溜まりを広げていく。まだ微かにある息は浅く、全身に大火傷を負っていた。

 しかし奇妙なのは、切断されたリンドの右の前腕の断面に、ねじ切れた機械の破片が見える事だ。そして傍らに投げ出された右腕の先は、バラバラとなってその部品を散乱させている。


「貴方、義手だったの……?」

 

 ラルとの会話を思い起こしたリオンは、彼が先天的に右腕を欠損させていた事を理解する。後天的な欠損であれば、ラルが唯一の友の傷を癒やしていない訳が無いからだ。


「まぁ、どうでも良いけれど」

「…………」

「ねぇ、死ぬの? 死ぬんなら死ぬって言って、一人で逃げるから」


 リンドは答えない。否、答えられないのだろう。彼がリオンの足下で悶えていると、ラルは顔面に血管を浮き立たせて叫んだ。


「逃さねえ、一人も逃さねえぞ奴隷共!!」


 ラルの足下の銀溜まりがみるみると吸い上げられていく。その様子にセイル達は目を見張り、リオンは変わらぬ表情を向けていた。


「『銀華ぎんばな』――――ッッ!」


 ラルの体に吸い上げられていった水銀が、彼の背の翼を肥大化させていき、空に巨大な銀の花を咲かせていく。

 

「――――っ?」


 舌を巻くグラディエーター達に影を落とし始めた銀。

 それはめきめきと巨大となっていって、華どころか、まるで大木の様相となって丘の下の全ての者に影を落としていた。


「ぐげげげ!! 終わりだあ、終わりなんだよテメェら全員!! 逃げられると思うな!!」


 その巨木はボタボタと毒の液を垂れる。まるで緩やかな雨が降り始めたかの様に、幹を、枝を、葉を伝い落ちて来る。

 ――――猛毒の雨が。


 自らに影を落とす巨大なシルエットを見上げて、リオンは静かに溜息をついていた。先程の比ではない量の毒液の散布によって、霧の侵蝕が自らの速度を上回ってしまった事に気が付いたのだ。


「頼……む。魔女…………」


 逃走を諦めざるを得なくなったリオンの足下から、傷まみれの騎士が震えた声を紡ぎ始めた。


「なに?」

「ラル……、ら、ラルを…………」

「……」


 残った左手で、半壊した義手の肩を愛おしそうに抱いたリンドが、涙に濡れた顔をリオンに起こす。


「ラルを……殺してくれ…………頼む」


 そう、確かに言い終わると、リンドはこれ以上無いといった程の苦悶の表情を刻み、落涙しながら嗚咽を漏らした。

 リンドの体から流れ出る、夥しい真紅。

 死にゆく自らの運命に嘆くのでは無く。

 只一つ、唯一つとも云える友へのを見限って、彼は泣いた。

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