第145話 溶けていく輪郭
リンドの言葉に血相を変えたフロンスが、額に手を当てて顔を引つらせていく。
「……毒? ……だとすれば――っ」
仲間の死に激情したグラディエーター達が続々とラルに斬り掛かっていく。
「おのれ!! ラル・デフォイットぉお!!」
ロチアート達を見下す様な三白眼で睨み付けたラルは、足下の銀を起こして、こう叫び付けた。
「『流動する銀』!!」
怒気の籠もった口調に合わせて、水銀は瞬く間に形状を変えながらグラディエーター達を串刺しにする。
生物の様に蠢動する銀の光景に衝撃を受けながら、クレイスは仲間達に静止を呼びかける。
「やめろお前達!」
しかし、グラディエーター達は激情したままに、更なる数でラルに襲い掛かっていった。
「『銀毒』」
血管を浮き上がらせながら、静かに眼前に握り拳を作ったラルに、リンドが叫ぶ。
「やめろラル、それを始めたらお終いだ! その毒は地を這い、風に乗って都の民をも蝕んでしまう! 君は民を守る、天使の子だろう! お願いだ!」
親友の願いも虚しく、ラルの作った握り拳に足下の銀が一筋登っていく。するとその銀は拳の内部に消え、次に透明の一滴となって、拳から滴り落ちた。
「俺様が痛い思いをしなくちゃいけない世界なんて、全部ぶっ壊れちまえっ!!」
その一滴の雫は、足下の銀に波紋を起こし、たちまちに水蒸気となって霧と化す。
「――――ブぅッあ!?」
ラルに飛び掛かったグラディエーター達は、その霧に接触した途端に奇怪な声を上げて動きを止めていく。
「あが……か、か――カ、カ」
彼等は急速に眼球を真っ赤にしていき、涙を流しながら、呼吸不全に陥る。歩行もままならなくなって転倒すると、ブクブクと皮膚を爛れさせながら、喉元を抑えて動かなくなってしまった。
しかしその中心に佇んだラルもまた、猛毒の被爆を免れない。
「ぁ……あばぅ…………ッんが」
ガタガタと痙攣しながら白目を剥きかけたラルが、涎の垂れた口元を動かしていく。
「ず、ば……――
自らに向けた細木の捻れ合ったステッキの先が光る。するとラルが憤怒の表情をして蘇った。しかし、彼の足元から発生した毒の霧は依然としてそこに漂っている。
「苦……しい…………でも……お前ら、全員殺さないと…………ぼ、僕が……殺され、だから、全、員殺……」
瞳を真っ赤にして涙を流しながら、ラルは嘔吐する。その後再びにステッキを自らに向ける。
「
自らの技によって瀕死と再生を絶え間なく繰り返しながら、ラルは背に水銀による銀の翼を広げた。
表情をころころと変えながら、丘の上からヨレヨレ降りてくるラル。風に乗った毒気の蒸気が、まだ近くに残っていた騎士やグラディエーターに苦痛の死を与えていく。
正気を失ったラルを見上げて、リンドは歯噛みする。
「くそっ、君達が彼を追い詰めるからだ! こうなる事を懸念して僕はずっとラルの側に居たっていうのに!」
マーガレットの花を踏み付けて、一歩一歩と着実に近寄って来る死の存在に、全員が息を呑んでいく。そしてフロンスはリンドに対して口を開いた。
「あれは何です……神経毒ですか? しかしあんなに急速に効果が現れるなんて」
「あれは、ただ一滴で数百の人体を死に至らしめる、オリジナルの猛毒だ」
「――――っ」
動揺を隠せない様子のフロンスにリンドが伝える。
「ラルは水銀の性質を自在に変え、その猛毒を高濃度に噴出し続けている。水よりも重い水銀の蒸気は、やがて風に乗ってこの都全域を包み込む」
セイルが口元を衣服で覆いながらリンドに問い掛ける。
「つまり私達も全員死ぬって事ね……あれを止める方法はあるの?」
リンドは複雑な心持ちで、死の蔓延を阻止する方法を2つ挙げた。
「一つはラル自身が水銀の放出を止める事……そしてもう一つは……ラルを、殺す事だ」
様々な思いを宿しながらラルを見上げるリンド。その背にリオンが歩み寄って来た。
「あら、あの男は貴方の親友じゃなかったかしら? そんな事を教えるなんて、どういうつもりなの?」
「魔女。君ほどの慧眼でも、僕の本質は見抜けなかった様子だね」
「……?」
「僕の親友は天使の子になる以前の、あの優しいラルだけだ」
困惑したシクスが、頭をわしゃわしゃと掻きながらしゃがみ込む。
「んがあー! どうすれば良いんだよ! ラルを殺したら兄貴の足を治させらんねぇし……でもこのまま放っといたら俺達が死んじまうし…………ぁそうだ」
何か思い付いた様子のシクスが、魔眼を収めたリオンをまん丸い瞳で見上げる。
「なぁ魔女! お前の目で消せるんじゃねぇのかあの水銀とやらをよ?」
「出来る訳無いでしょ」
小汚いものに向けるかの様な、冷酷な反応が直ぐに返って来た。
「はぁ!? なんでだよ! 勿体ぶってんじゃねぇ、殺すぞ!」
「私の魔眼は魔力を消失させるだけよ。炎や雷、水魔法の様な魔力によって生み出された物質は消す事が出来るけれど、土魔法やあの水銀の様に、既にある物質を操作する類のものは消せないわ。精々魔眼で捉えている間の操作権を停止させる位」
「だったらやれよ! ずっとその目で見てればあれ以上水銀を出せないんだろうが!」
「そうしている間に貴方達は私を後ろから刺し殺すでしょう」
「はぁ? 今はそんな事言ってる場合じゃねぇだろ!」
リオンはプイとそっぽを向いてシクスに取り合う意思の無い事を示す。
「それに……魔眼は膨大な魔力を消費するから持続は出来ないわ。それ以前に、どうして私が身を
「じゃなきゃ全員死ぬっつってんだろうが〜お前頭悪いなぁ!」
するとそこに、クレイスが仲間を引き連れて後退して来た。リオンは彼を避ける様にしてまた距離を離していきながら、こう続ける。
「殺してもいいって言うならやり方が無いわけじゃないけれど」
その言葉にピリついた緊張感が走り、セイルが彼女を睨み付ける。そして手元に紅蓮の炎を起こし始めた。
「ラル・デフォイットは殺させない。鴉紋の足を治させるまでは」
「そ……じゃあどうするの? 彼自身に毒を吐くのを辞めて貰えるのかしら?」
リオンが瞳を瞑ったままセイルに振り返る。少女達の視線が交錯し、敵意をぶつけ合っている様にも見える。
「僕がやってみるよ」
口を挟んだリンドが、一際巨大となったゴーレムの掌に乗ってから、その肩に乗り移った。そしてラルに向かって魔人を走らせ始める。
不確かな足取りで丘を下ってくるラルの前に、ゴーレムの巨体が立ちはだかる。
「リン、ド…………か。退け……奴等を、殺……す」
嘔吐を繰り返してやつれた頬になったラルが、ぼんやりとした視線をゴーレムに向ける。するとリンドは遥か頭上のゴーレムの肩から彼を見下ろす。
「駄目だラル。これ以上その毒を蔓延させたら取り返しがつかない事態になる。都の民を皆殺しにするぞ!」
「だから、なん……だ。民は俺を救ってくれるのか? 俺様を助けてくれるっていうのか?」
ラルが銀の翼を広げると、そこからおびただしい量の液体が滴って地に落ちていき始める。立ち込めてきた濃霧は、やがて高所に居るリンドの元にまで届くだろう。
「違うだろうラル! 君が民を救うんだ、君が弱い者を救うんだろう!? 昔みたいに! 僕を救ってくれたみたいに!」
尚も歩もうとしていくラルの前で、ゴーレムは大手を開いて彼の進行を阻む。するとラルは幽鬼の様な虚ろな視線をして、痙攣する口元を動かしていく。
「……もう、……覚えて、な……い。覚えて無いんだよ、天使の子になってから……少しずつ、俺の人間だった頃の記憶は薄れ……て」
「…………っ」
「お前と過ごした時間さえも…………摺りガラス越しに見ているかの様に、もう……僕、にはぼんやりと…………しか……」
ラルが血を吐いて白目を剥きかける。
「――――ラル!」
「
ステッキを握り治癒したラルは、次に何かに取り憑かれたかの様な激憤の顔を起こしていた。
「――だから民など! 昔の俺様など知った事か!」
ラルの足下の水銀が、イバラ状となってゴーレムを突き崩していく。しかしリンドのゴーレムは、尚もその場に踏み留まっている。
「ラル……思い出してくれ! 思い出すんだよ! 僕と過ごしたあの、辛くも輝かしかった日々を!」
「退けよリンド……まさかお前も…………お前すらも俺様の!」
リンドのゴーレムが、その巨大な掌でラルを包み込み始める。
「忘れる筈なんか無い! 君の体にはあの日僕と感じた熱情が刻み込まれている筈だ! 一人悪に立ち向かっていた君の勇気は、絶対に君の心に……ッ」
ラルはピタリと動くのを止めたかと思うと、ジロリと生気の無い橙色の瞳を頭上のリンドに向けた。
「待って……落ち着いて聞くんだラル――――!」
プルプルと怒りに震え始めたラルを、リンドは宥めようとした。けれど次に待っていたのは、裏切り者を罵声する苛烈な口調であった。
「お前さえもオレサマを謀ろうと言うのかッッ! 他の奴等と同じ様に、俺様を騙して玩んで、殺そうと――っ!?」
親友の声は最早、彼の耳には届かない。
「殺してやる、お前も民もロチアートも糞共も!! 俺様を痛め付ける全てのゴミを、俺様が滅却してやル!!」
言葉を失ったリンドに、ラルは猛烈にこう吐き散らしていた。
「『流動する銀』――ッ!! 貴様も同罪だリンド!! 俺様に危害を加える奴等は!」
放射状となった水銀が、縦横無尽にゴーレムの巨体を巡り、破壊を開始する。
リンドは形を保つ事の出来ぬ程に穴だらけにされていくゴーレムの肩で、涙を一つ落とした。
「何故だラル――どうしてそんな風に……君は!!」
駆け上がって来る水銀の猛威の最中、リンドはゴーレムの掲げた掌に乗る。
「リンドぉぉお!!」
ラルの怒り声に背を突き刺されながら、リンドはゴーレムの手によって後方に投擲されていた。
「――――っ、ぐぁは!」
離脱したリンドは、フロンス達の前で土のクッションに大胆に着地していた。そして前方を見やると、巨大なゴーレムが、日を反射する銀に呑み込まれている。
一部始終を眺めていたフロンスが、赤面しながら落涙するリンドの前に出る。
「……とかく足を止めましょう。最早生者では彼の前に歩み出る事も叶わないでしょうから」
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