第141話 氷の華


 鴉紋に向かって怒涛の如く迫るリンドのゴーレム。しかしその射線を切る様にして、風の様に現れた存在があった。


「『反骨の盾』!」


 岩石そのものの様な巨体が、半透明の巨大な甲羅に跳ね除けられて仰向けに倒れ込む。ゴーレムの肩に乗っていたリンドもまた、激しく地に叩きつけられた。只でさえ傷付いた体で無茶をしていたリンドは、吐血をして意識を失いかける。


「何やってるんだ馬鹿ぁあ!! 我が手に癒やされるエロヒム!」


 ラルが二本の細木がまとわりついたステッキをリンドに向ける。すると彼はたちまちに回復して息を吹き返した。

 反骨の盾を構えたクレイスの背後に、ロチアートの戦士達が集い始める。そしてリンドの背後にも、走って来た騎士達が立ち並んだ。


「任せたぞクレイス」


 鴉紋はそちらに一瞥をやってから、足を引きずって丘の下に転がったラルに歩み寄り始めた。


「みギィァァア来るなァァァ!! リンドぉお、どうにかしろぉおおお!!!」


 腰を抜かし、その場を這いずる事しか出来ないラルがリンドに命令する。

 再びにゴーレムを立ち上がらせながら、鬼気迫った表情を作ったリンドが吠えた。


「そこを退くんだロチアート!」

「ならん! 鴉紋様には近付けさせん!」


 騎士とロチアートの戦士達が激しく剣をぶつけ合う。一進一退の乱戦の中、リンドはラルに歩み寄っていく鴉紋の姿を見る。


「クソぉ!! ラル!!」


 混戦を抜け、ラルの元へと走り出したゴーレムに、再びにクレイスが立ちはだかる。しかし今度は盾では無く、グラディウスを中段に構えていた。

 クレイスがその柄を握り込んだ二の腕をメキメキと盛り上がらせると、グラディウスに被さる様にして、巨大な半透明の槍が現れる。


「『反骨の槍』!」


 クレイスが大岩の体にその槍を解き放つ。風圧と共に放たれた刺突が、ゴーレムの岩盤の体に巨大な風穴を開ける。


「なっ……ゴーレムの体を貫く槍だって?」


 衝撃に体制を崩したゴーレムであったが、リンドの魔力供給によって吹き飛ばされた体を再生していく。


「貴様の相手は俺だ人間!」

「クソっ……!」


 ゴーレムの前に立ちはだかったクレイスが、腰を落として鼻息を鳴らす。ここより先を、ただ一人でも通す気は無いといった気概に満ち溢れている。


「うわぁあ、リンド様……リンド様ぁあ!」

「――――はっ」


 仲間の声に背後に振り返ったリンドが、そこに愕然の光景を見る。


「いぎゃあああ!!」


 騎士達の足下に転々と現れる桃色の魔法陣。そこに立っていた者は強制転移され、後方の黒い炎の渦に呑まれて悲鳴を上げる。

 先には赤い空で笑う醜い異形。その眼下から数千の死人が虚ろな視線を携えて行進して来る。

 死者達の絶え間無い呻きが、騎士の瞳を震わせ始めていた。


「そんな……」

「バァあァァアっ!! リンド早くしろ!! 早く僕を助けろバカヤロウ!!!」


 ラルが丘から降りてくる鴉紋を見上げて絶叫している。


 どうしようも無い位の死の光景がリンドに迫っていく。


「ギィぇええエえっ!?! リンドぉおお!!」

 ラルががなり立て、泣き叫ぶ。

「……ぁ………………」

 騎士が足下に剣を落とす。

「ヒヒャハハハハハ!」

 緋色の空が頭上に落ちる。

「さぁ食べなさいサハト」

 死人がなだれ込み、騎士に組み掛かる。

「あはは……焼け死んじゃえ」

 巨大な桃色のサークルがゴーレムの足下に展開される。


 来たるべき予感。

 死の予感に、リンドはただ静かに目を瞑った。


「――――っ」


 ………………………………。


 緩く瞼を上げたリンド。執行される筈の死は中断されて、ゴーレムの足下の桃色の魔法陣が立ち消えていく。

 辺りを見やったリンドが目撃したのは、全ての者が総毛立って、ただ一人現れた少女に目を奪われている光景であった。

 落ち着き払ってその場に歩んで来る異様な気配の少女に、鴉紋ですらもが足を止めて刮目を始めていた。


「おい、……おいおいおいおい……ありゃなんだオッサン」

「分かりません……ただ、マズイといった事態しか」


 あと数センチ押し込めば、標的の喉元へ刃を突き立てられるという状況においてでさえ、彼等が手を止めたのは仕方の無い事であった。

 ――――何故ならば

 悠然と歩んで来るリオンの頭上で、馬鹿げている位に巨大な一本の氷の剣が、中空の茫漠な冷気と共に、しかとその切っ先を彼等に向け始めていたのだから。


「『氷剣ひけん』」


 平坦な声と共に、飛行船の様に強大な魔力が――猛烈に解き放たれた。


「『業火の大弓インフェルノ――ッ!!』」


 即座に危機に反応したセイルが、手元に炎の大弓を現し、出来うる限り巨大な漆黒の矢じりを創造して放つ。


 天で氷の剣と焔の矢じりがぶつかり合うと、何処までも高く水蒸気の白煙が昇り、そして雲となっていく。


「な、何なのあの女!?」


 全力の魔力をぶつけて何とか相殺した魔力に、セイルが冷や汗を垂らしながら胸を撫で下ろす。

 背すじの凍りつく様な緊張感を覚えながら、フロンスとシクスもまた、正体不明の少女に向かって構えを取っていた。


「おいオッサン……分かってるよな?」

「はい……この押し潰される様なプレッシャー、天使の子よりも……い、一体何者何でしょうか?」

「んなこたどうだって良いんだよ。ただ確かなのは、あの女が今まで出会って来たどんなインチキ野郎共よりも、ヤベえって事だろうが」


 絶望の空に凍てつく大気を漂わせ、ふてぶてしく氷の華が降り立った。


 そして粉雪の様に消え入る声が――――


「鬼さんこちら……手の鳴る方へ…………」

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