第140話 親友

 *


 想像の通りに体力の無いラルは、宮殿から数キロ離れた程度の、マーガレットの茂る丘に着陸した。


「ゼェ……ハァー……ゼェ……」


 気管支の締め付けられた様な息を吐きながら、白き花弁が一面に生い茂る丘の頂上に膝を付く。


「ここまで……ゼェ、ここまで来れば――」


 黒のチュニックが汗にぐっしょりと濡れている。ハーフパンツは泥や煤で汚れ、みずぼらしい。

 そしてラルは祈る様にして胸から垂れ下がる銀の十字架に額を付ける。


「神……神さまぁ、僕を助けてぇ」


 けれどその願いは虚しく、白昼の空からバリバリと雷撃の様な闇が、彼の側に墜落した。


「――――ハッ!! はぅぅええエエ!!??」


 凄まじい速度で暗黒を打ち出した鴉紋が、花を踏み穿って地形を変える。舞い上がった草花の隙間から、ヒリつく様な苛烈な瞳がラルを覗く。


「――――アヘェええええッッ!!!!??」


 顎を引いて鼻の下を限界まで伸ばした間抜け面で、ラルは目をひん剥く。

 尻餅を着き、細い翼を萎縮させたラルに、鴉紋は踏み込んで行きながらこう伝えた。


「ぶち殺すぞテメェ……」

「イヤァァアアアアアアアアア!!!!!」


 鴉紋は絶叫したラルの胸ぐらを掴み上げる。額を突き合わせて橙色の虹彩を睨み、見下ろす。


「ヒィィいっ!!」


 鴉紋は左手でラルの胸ぐらを掴み上げながら、垂れ下がった彼の手首を掴む。

 そしてそのまま握り。砕く。

 瞬間、叫喚が野生の声を上げる。


「ぁア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――――ッッッ!!?!」


 死に物狂いの面相を刻みながら、ラルはのたうちながら繰り返す。


我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒムゥゥウ!!!」


 たちまちに再生したラルのひん曲がった手首。それを見下ろしながら、鴉紋は静かに要求する。


「俺の足を治せ」


 鴉紋の声が聞こえていないかの様に、喚き叫び続けるラル。既に傷は完治されているというのに、イテェイテェと首を振り回して首筋を力ませている。

 次に鴉紋はラルの指先を摘み、そのまま捻じりあげる。


「イ――――っつギギギギギぃい!!!!!??」


 ラルの折れた指先を離さずに、まるで針金でも巻き付けているかの様にぐりんぐりん自らの立てた人差し指に巻き付けていく。


「――――ッッかぁァァ゛ア゛ア゛――ッッ!!!」


 粉砕され、原型の分からぬ程に螺旋状にされていく指先に、ラルは白目を真っ赤に充血させながら震えた。痛みの臨界点をとっくに越えた悲鳴が鴉紋の眼前で巻き起こる。


「いんんんっっぎぎぃぃいがァァアアア゛!!!ッ!!ッッ!!!!」


 ――――鴉紋は繰り返す。


「俺の足を治せ」


 それは提案では無く、要求でも無く、命令なのだ。

 その意味を痛い程に理解しながらに、ラルは必死の形相で滝の様な汗を流していく。


「そ、そそそんな事をしたら、ぼぼ、ボクはミハイル様に――――ッッが!!?」


 鴉紋は口応えをしたラルの腹部に指を差し込んでいた。ずぶりとめり込みながら体内に侵入し、臓物を掴む。


「分かった!! ワカッタワカッタワガッダア!!」


 腹を内部からかき回される感覚に、ラルは怖気だって蒼白となっていく。

 するとラルは口をすぼめながら、慎重に、ゆっくりと鴉紋を見上げ始めた。


「そしたら、ボクを殺さない……?」


 その問いに対して、鴉紋は瞳も動かさずに即座に返す。


「殺す」

「――――っ!???」


 ギョッとして顔を強張らせるラルに、鴉紋は続ける。


「貴様は殺す。必ず殺す。何があっても殺す。誰に言われても殺す」


 考えるまでも無く明白過ぎる殺意に、ラルは懇願する様に涙を垂らして叫んだ。


「……じゃあイヤだァァァあァァッッ!!!!」


 鴉紋がラルの腹から臓物を引きずり出した。その瞬間、ラルは大量の血を吐き出す。


「ぉぉおぉぼろろろろロロ――――オゥええエエッッ!!!」


 血を浴びながら、鴉紋は繰り返す。


「俺の足を治せ」

我が手にエロ……、癒やされるヒム……、」


 鴉紋の手に持った臓物は光に包まれて消える。視線を戻すと、何処にも傷の見当たらないラルが絶句しながら肩を震わせていた。


「……」


 二人の間に暖かい春の風が吹き抜ける。マーガレットの甘い香りが舞う景観の中、鴉紋が拳を振り上げた。


「待て待て待て待て!!! 分かっ――――」


 ラルが鴉紋を治癒させようとした瞬間であった。二人の間の大地が瞬く間に盛り上がって、鴉紋は思わずラルを捕らえていた手を離していた。


「――ぁあーーっがごがががか!!」


 土が隆起して斜面となった丘を、ラルが顔から転がり落ちていく。

 踏み留まった鴉紋は、今自分を妨害した存在に、憎々しい視線を向けた。


「ラル――――ッッ!!」


 地を轟かせながら、巨大なゴーレムがマーガレットの丘に走り込んで来ていた。


「リンドぉおおおおおッ!!!」


 大粒の涙を振り撒きながら、ラルは土にまみれて親友の名を叫んだ。

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