第139話 ボク

 *


 宮殿内、玉座の間。


「ァァァああ、どうする……どうするんだ!! ファルロが殺られた? なんで? 駄目だ、もう……駄目……っ」


 リオン一人を側に残し、騎士達の居なくなった玉座の間で四つん這いに蹲るラル。その情けの無い姿にリオンも流石に肩を竦めるしか無い様子だ。


「なんで? どうして我が栄光の騎士が負ける? 終夜鴉紋はそんなに強いのか? 瞬殺だぞ、瞬殺……送り出したら直ぐに死んだと使いが来やがった!!」


 細い翼をぷるぷると震わせるラルは、そこにリオンが居るのも忘れて動揺を続ける。


「僕の番だ……次は、ボクッ!? ボクを狙ってるんだ…………終夜鴉紋が僕を……誰か、誰か助けて……っ」


 ラルがつんのめる様に額を地に擦り付け始める。これが天使の子の姿だというのだから笑えない。


「ぁぁぁあ怖い、怖い怖い怖い!! 誰が僕を守る!! ファルロが死んだら誰が僕を守るんだ!! なんで死ぬんだあのバカヤロウ!」

「いい加減にしたらどうなの?」


 顎を震わせながら顔を上げたラルは、涙でぐちゃぐちゃになった瞳を大きくしながら、リオンの足下に縋りついた。


「魔女ぉ、そう、魔女、魔女様! 僕を守れ、何としてもお前は僕を守るんだ、いいな!?」

「なんなのよ、鼻水付けないで」


 リオンが掴まれた足を強引に払うと、ラルはバタバタと四つん這いのままその足に引っ付いて来た。


「お前の罪は不問にする。な、だから、だから守るんだぞ僕を!」

「はぁ?」

「金もやる! 何でも、お前の望むもの全てやる! だから僕を守れ、守るんだぞ、いいな?」

「……」

「いいな!? なぁ、いいなって!? ……ねぇ、お願いダカラ!! ハイって言って、言ってよぉぉお!!」

「……」

「守るって言って!? 安心させて! 僕を守るって言うんだよぉお!」

 

 大きな嘆息をして、リオンは彼の顔を足で蹴って払いのける。


「イッツだぁあああ!!!!」


 頬を抑えて転がり回るラルに、リオンは冷たく言い放つ。


「必要ないわ。貴方の助けなんて無くても、私は騎士なんてどうとでも出来るもの」


 必死の形相をしたラルは、短いステッキを何度も自らにかざし始めた。


我が手に癒やされるエロヒム!! 我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム!!」


 ラルの少し擦りむいた頬が治癒されていく。


「貴方、なんでこんな所に居るのよ?」

「……は、…………っはぁあ?」


 転がったまま、くしゃくしゃの表情でリオンを見上げるラル。


「貴方のその能力は、騎士と共に居ないと意味が無いでしょう? 今下で貴方のお友達が闘っているのよ。どうして自らも出向かないのよ?」


 するとラルは顔を引つらせ、大きな口を開けながらリオンを叫びつけた。


「そんな事をしたら僕が危ないダロウガ!! そんな事も分からないのか!!」


 顔を真っ赤にして主張するラルは、自分の正当性を説いているつもりらしい。いよいよ訳が分からなくなって来たリオンは思わず溜息をついていた。


「じゃあ何の為の治癒の能力なのよ……」


 再びにうずくまり、丸まってしまったラル。そして宮殿中に響き渡る様な声量で泣き喚き始めた。


「終わりだあ……終わり、終わり……僕は、どうすれば……何をしたら痛い思いも怖い思いもせずに済む? ぁぁ、アアアアなんで! なんで僕がこんな目に!」


 ラルの頭上にしゃがみ込んだリオンは、彼の心の内を眺めながらに罵る。


「民を見捨て、仲間を見捨て、考えるのは自分の身ばかり……貴方、よく天使の子になれたわね。少なくとも民を守るのは貴方の責務なんじゃないの?」


 ラルはブンブンと腕を振って、リオンにささやかな抵抗を始めた。


「そんな事知るかァァア! 僕は急に天使の子に選ばれたんだ! ミハイル様に素養があるって言われて、有無を言わさず無理矢理に!! だから責務なんて知るかぁあ!」

「無理矢理やらされている割には、随分とふんぞり返っていた様じゃない?」


 ぶるぶると震えながら耳を抑えたラル。また額を地面に押し当てながら、ブツブツと泣き言を繰り返し始めた。


「だめだ……どうすればいい、どうすれば僕は助かる? リンドは駄目だ、あいつは弱いから。きっと直ぐに奴等が押し掛けて来る……どうしたらいい? どうにか痛くない様に、この状況をやり過ごすには……っ」


 ラルの元を離れ、壁に背を預けたリオンが窓の外を眺める。階下には既に数千の死人が押し寄せて土の巨人と闘っている。封鎖していた大橋は開かれて、民が宮殿になだれ込んで来ている。


「……」


 宮殿への侵入を死守せよとの命に背いて、何故だか騎士達は橋の向こうで戦闘を始めている様子である。しかもかなりの劣勢で、土の巨人も姿を保つのがやっとといった具合だ。

 一度たりとも外の状況に目を向けようとしないラルは知る由もないが、伝えたら余計に騒ぎ出すと思ってリオンは黙った。


「大丈夫、大丈夫だラル・デフォイット。お前は栄光の天使の子だ。落ち着くんだ。お前ならなんだって出来るぅ。選ばれた存在なんだ、そうだ。人間を超越した凄い存在なんだ。凄いんだ僕は……」


 自分に語り掛け始めたラル。それを見下ろしたリオンに苛々が積もっていく。


「大丈夫、橋はリンドに封鎖させているんだ。直ぐには入って来れない。今の内に考えるんだ、僕なら出来る……」

「その橋の事なんだけど、もう通行出来るみたいよ」

「――――ハぇッッ!!?」


 リオンがいよいよ待ちくたびれて口を開くと、ラルは瞳が飛び出しそうな位に仰天した顔を上げる。そして立ち上がって窓に走り寄ると、階下で繰り広げられる光景を見下ろした。


「ぅぎゃあああああ!!!! ナンダこれはぁぁあ!!!」


 ひっくり返ったラルは今にも泡を吹き出しそうな様子で白目を剥きかけている。


「なんだ、なんて数の敵……リンドは!!? 何やってるんだあのバカヤロウ!!」


 そんな彼に追い打ちを掛ける様に、リオンは足を揺すりながら付け加える。


「あと、こんな籠城は終夜鴉紋とセイルには意味が無いわよ」


 ――その瞬間。タイミング良く漆黒の矢じりが壁を貫いて訪れた。


「いやぁぁああ!!!!」


 宮殿の分厚い壁をそのまま貫いて来たセイルの炎が、玉座の間に黒い炎を広げ始める。


「消せぇ!! 消せ消せ魔女!! 消せぇぇえ!!」


 2発目、3発目の矢じりが頭上を掠めていく。ラルは狂乱状態となって腰を抜かしているが、リオンは壁に背を預けたまま、冷めた表情を崩さない。


「悪いけど、この黒い炎を鎮められる氷はこの世に存在しないみたい」

「フゥゥエエエエエ!!! 焼ける、焼ける焼ける焼け死ぬ!! 嫌だぁあ!!」


 未だ変わらぬ様子のラルに、リオンは首を振るだけだ。


「来るぅうぁあ!!? 奴等が、終夜鴉紋がっっ!!? うわァァァあ!!」


 するとラルはおもむろに立ち上がって、泣きべそをかいたまま、ヘコヘコと情けの無い姿勢で走り始めた。


「何をする気!?」


 彼の次に起こした予想外の行動に、リオンは虚を突かれた。


「いぎゃあぁぁあ!! イタイイタイイタイ!!」


 窓を割って屋外に飛び出したラルは、そのまま細い翼を広げて飛行を始める。


「ちょっと、何処に行くのよ!!」

「ギャァァアアアッ怖いよぉおお!!!」



 絶叫しながら窓を割って飛び出して来た存在に、屋外に居た全ての者が注目する。

 崩れ掛けたゴーレムを傷付いた体で操るリンドが、半分閉じた瞼を上げて、嬉しそうに声を弾ませる。


「ラル!! 助けに来てくれたんだね――ッ!」

「うぎゃああはあ!! イテえ!! 肘を擦りむいた、大変だ、なんて痛みなんだ!!! 我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム!!!」

「え、ラ…………ラル?」


 ラルは階下の戦場に一瞥もくれずに、翼をはためかせて飛び去ってしまった。

 唖然とする騎士とリンド。シクスとフロンスもまた目を丸くしていた。

 宮殿を見上げていた鴉紋とセイルもまた、その存在に気付き、軽蔑した表情でポカンと口を開けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る