第138話 あの日のヒーロー

 *


 鴉紋達が南から宮殿へ進行するのに合わせ、フロンスとシクスは挟撃する形で北から南下していた。


「ひっひゃははははは!!」

「あぁ、こんなに沢山……私の愛するサハト……」


 彼等は臆病者と伝え聞いていたラル・デフォイットを包囲する様に、民を殺戮して死人の兵を量産している。

 シクスの『幻』で民は夢の世界に誘われ、呆気なく命を奪われる。倒れた死骸はフロンスの『死人使い』で傀儡となり、また民を襲う。その数は鼠算式に増えていって、今では冥界から這い出して来た様な死人の軍隊が無差別な殺戮を繰り返している。

 幾ら数を減らしても民の叫声が収まる事は無い。むしろ益々と悲鳴が増えていくばかり。


「殺しても殺しても、わらわらと出て来やがるっ! ィハハハハ!」


 シクスの作り出した顔面から手足を出した小人が、鎌を持って女を切り付けた。女も子どもも情け容赦無く殺害していく。


「お願いします! どうか、どうかこの子だけは許して下さい! 子どもに罪は……」


 子どもを抱いた女性が膝を付き、必死の形相でシクスに懇願する。するとシクスは膝に手を付いて前屈みになりながら、赤い舌を出した。


「駄目だ。テメェは人間だろう」


 空を舞う無数のナイフが背後からその女を滅多刺しにした。腕に抱かれた子ども諸共に。

 その様子を座った瞳で眺めたフロンスが、地に紫色の魔法陣を展開する。するとそのサークルに収まった死骸がヨレヨレと立ち上がる。


「どうしてでしょう。この子どもと同じ年頃のロチアートが殺された時は、あんなに怒りにとらわれたというのに、何も感じません」


 やがて徘徊する死人が視界を埋め尽くしていった。民は助けを求めて宮殿へと逃れていく。

 フロンスは人間達の絶望の表情を眺めながら、顎に手をやって思案する。


「憲兵隊が釣れませんね。民がこんなになっているというのに、一体何をしているのやら……」


 フロンスの操る死人が爪を立てて肉を切り裂き、その歯牙で肉を抉る。民は成す術も無くただ蹂躙されていく。

 フロンスは耳に髪を掛けながら、黒い刀身のダガーを振り回すシクスに振り返る。


「行きますよシクスさん」

「んおー」


 タバコを加え始めたシクスが、くぐもった声で返事を返した。

 晴天の都を死者が行進する。都の中心の宮殿を目指して。



 程なくして二人は宮殿の前の大河に辿り着く。目的の宮殿に辿り着くには、ただ一つしか無い大橋を渡って行くしか無い。


「おいおい何が起こってんだ」


 その大橋の手前に、万の民が助けを求めてごった返している。彼等は死人達の群れに気付くと、恐怖に慄き始めた。


「見て下さいシクスさん。橋が封鎖されています……」


 二人の見据えた大橋が、どういう訳なのか高く積み上げられた土砂で埋もれている。

 たった一つしか無い大橋を封鎖すると、宮殿は大河に包み込まれた孤島となる。

 阿鼻叫喚の民が、天使の子に助けを求めている。


「ラル様、ラル様! 何故橋を、我々はどうしたら良いのです!?」

「助けて下さい、どうか、あぁ、天使の子よ」


 もみくちゃになる人々を眺めながら、シクスはタバコを吐き捨てて口元を歪ませた。


「民を見捨てて籠城ってか? 見上げた根性してんなぁラル・デフォイットとかいう輩はよ」


 フロンスが民に向けて死人達を進行させていく。


「足止めのつもりでしょうか? 確かに私とシクスさんでは向こう岸へと渡る事は出来ませんが。鴉紋さんには容易な筈です。こんな一時しのぎ、何の為に……」


 シクスの能力により空が血の様な赤に染まっていく。民がそれを見上げて愕然としながら、周囲を押し退けて逃げ惑い始める。


「クケケ……だったら兵を補充して待ってようぜ」


 赤い空が笑い、異形の瞳が、口が、腕が、足が垂れ落ちて来た。


「「ぎぎぎ……ぎぎ、……げぎゃ、げぎゃぎゃぎゃぎゃ!!!」」


 魍魎もうりょうの声に、人々は竦み上がって蹲っていく。その絶望を具現化した景色に耐え切れず、抱き合って自死をする者も居る。


「ラル様、どうかお助け下さい! どうか、栄光の存在よ、我等を!」

「栄光の騎士様、助けて、助けて助けて助けて!!」


 ラルや騎士に助けを求める声が止む事は無い。皆が必死になって彼等の名を呼んでいる。


「じゃあな〜」


 シクスがヒラヒラと手を振ると、低く垂れ込めて来た紫色の雲から、酸の雨が降った。


「ひぎぃやぁあ! 溶け……肉が、俺の……!」

「熱いよ、熱い、助けて、助けて!!」


 肉を溶かし、形を変えていく民。覆い被さって子ども達を匿う親の姿がある。彼等はその酸を一身に受けて、我が子の頭上で溶けて死んでいく。顔が溶け、眼球が垂れて落ちていく。

 甲高い子ども達の悲鳴が赤い空に突き抜ける。


「シクスさん。五体満足で殺して下さいよ、上手く動かせなくなるじゃないですか」

「へいへい、つってもこんなに大量に使役出来ないだろうが」

「だとしてもです! 人間達の死骸にはサハトの霊魂が乗り移るのですから、愛を持ってお願いします!」

「愛ねぇ……オッサン、そりゃあ俺とは一番無縁の単語だぜ……」


 化け物が空からずぶずぶと垂れて来る。地を割って這い出して来る。


「ぁあ、あ……死んじゃう。俺死んじゃうのかなぁ」


 大人も子どもも関係無く、人間達に区別など無く、地獄の住人達がその鎌を振る。


「やだ、嫌だいやいやいや! まだ死にたく無い、俺にはまだやりたい事が、こんなに……」


 魍魎は低く呻きながら、何の躊躇も無く人間達を襲う。


「何で俺達が殺されなきゃいけねぇんだ!? なんで、何もしてねぇのに! ただ静かに暮らしていたいだけなのに、なんで!?」


 恐れ、逃げ惑う人間達に、無差別な死が贈られる。


 シクスが眼帯を外し、露わになった右の赤い瞳を弓なりにした。


「理由なんかねぇよ。あるとしたら、ただお前等が人間だって事だ」


 ――かつて人間達がロチアートにそうして来た様に。彼等はただ、人間達を殺す。


 その時、橋を埋め尽くしていた土砂が、砂を巻き上げながらアーチ状になってその道を示した。


「民達よ、宮殿に走れ! 早く!」


 土砂で封鎖されていた大橋の向こうから、リンド・ロードアイが百の騎士を連れて姿を現す。

 しかし凄惨な光景と、数え切れない程の死人の群れに絶句する。そして目深に被った黒いローブの下で呟く。


「ラル……どうして、君は」


 騎士の一人がその光景に怯み、慌てふためきながらリンドに耳打ちする。


「リンド様、ラル様からは橋を封鎖して奴等の侵入を阻止しろと……ッ!」

「君は心が傷まないのかい? 君の家族だってここで助けを求めていたかもしれないのに……僕にはあれ以上、民の悲鳴を聞きながら道を封鎖する事なんて出来なかった」

「そ、それは……ですが、こんな数の敵をどうするのです!?」


 リンドはフードを外し、波打った茶髪の下に決意の眼を落とす。まだ幼さを残す青年の表情には、確かな熱情が窺えた。


「弱い者が虐められているから守る。ただそれだけだよ」


 リンドはその言葉と共に、身を呈してイジメっ子から自分を庇った、幼き頃のラルの姿を思い浮かべていた。


 そしてリンドの熱き思いに同調を見せる騎士達が剣を抜いた。

 大橋に出来た土砂のアーチに民が殺到する。彼等を背にしてリンドと騎士が数千の死人に向かい合う。

 フロンスはシクスに目配せしてから、理知的な瞳を騎士に差し向けた。


「ようやく現れた様ですが……どうするので? たった百の騎士に敗れるとも思えませんが」


 リンドが足下に土色の魔法陣を起こす。土や石塊が盛り上がり、めきめきと巨体を形成していく。

 面食らったシクスとフロンスは思わず後退しながら、高く影を落とし始めたその存在を見上げる。


「『土魔人ゴーレム』」


 土の巨人がリンドの前に現れていた。高く聳えた存在は、背後の民を守る様にして仁王立ちになりながら、その大岩の拳を振り上げた。

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