第137話 貴方もそう、言っていたのでしょう?


 逃げ惑う騎士達を追い回し、いたぶるように殺すロチアート達。

 狂乱の赤い瞳達が、グラディウスで執拗に人間の心臓を貫いている。


「鴉紋様。ラル・デフォイットの能力は知っていますか?」

というのは止めてくれ。柄じゃない」


 兜を上げて、こめかみをポリポリと掻いたクレイスは続ける。


「奴の能力我が手に癒やされるエロヒムは、生あるものを完治してしまいます」

「知っている。だから来たんだ」


 クレイスは瞳をパチクリとしながら、鴉紋の左足に視線を落として頷く。


「その、の定義は、心臓が拍動しているかが基準となります」


 セイルが鴉紋の背中から顔を出して口元に指を添える。


「心臓?」

「はい、俺達はラルが頭を吹き飛ばされたロチアートを再生する様を目撃しています」

「頭を潰されたら即死じゃないの?」

「恐らくは、その死の判断基準が心臓なのかと」


 分かっているのかいないのか、仏頂面を引っさげた鴉紋を見上げて、セイルは唇を尖らせた。


「普段は俺達の再生を後回しにする癖に、その時だけは即座に技を発動していました。恐らくは、血流が途絶えて緩やかに心臓が止まっていく前に、まだ微かにでも心臓が拍動している内に技を施す必要があったからかと……」

「つまり――――」


 突然に話し始めた鴉紋に、クレイスは押し黙って口をつぐむ。


「心臓を潰せば再生されない。そういう事だな」

「流石は鴉紋様」


 クレイスが瞳を糸の様にして手を打ち始めた。彼の人柄から察するに、馬鹿にしている訳では無いのだろう。


「故に俺達は騎士達の心臓を潰しているのです。人間が二度と蘇れぬ様にと……」


 声の静まったコロッセオで、騎士の悲鳴が彼等の耳に届く。


「やめろ! やめろぉお許してくれぇえ!!」


 クレイスの背後で、頭を抱え込んだ騎士が力づくで仰向けに転がされ、胸にグラディウスを突き立てられる。


「残酷だね鴉紋」


 と言いながらも、どうでも良さそうに平坦な眉をしたセイルに、鴉紋は言葉を返した。


「そう……残酷だ。目も当てられない程に酷い光景だ」

「鴉紋?」


 予想外の返答にセイルとクレイスが眉を寄せて驚いていた。しかし鴉紋の継いだ二の句を聞いて、二人はすぐに緊張した口元を緩ませる事になる。


「こんな風に、赤い瞳は人間達に剣を突き立てられて来たんだ……気の遠くなる程の過去から、延々と……」


 鴉紋の瞳には、闇の様に深い漆黒に紛れて確かに大火が灯っている。


「はっはっは。噂以上のお人だ」


 腰に手を当てて笑うクレイスの胸筋がピクリピクリと蠢いている。それを引きつった顔でセイルが眺め始めた。


「どうしたセイルさん?」


 ズイと顔を近付けて来たクレイスに、セイルは声を上げて鴉紋の背に隠れてしまう。


「……んん?」


 足下から見上げる様にしてクレイスの盛り上がった筋肉を見つめるセイル。彼女の嫌悪感を漂わせた表情に何か勘違いしたクレイスは、腰に手を当てて胸を張ると、盛り上がった胸筋を左右交互にビクビクビクビクと高速で動かして見せた。


「ヒェぇっ!」


 爽やかな笑顔のクレイスが、得意気にセイルを見下ろしながら胸に親指を向ける。


「筋肉がお好きか、セイルさん?」

「キライ――――ッッ!!」


 鴉紋の背から顔を出したセイルに、「んん〜?」と唸りながら顔を寄せるクレイス。結局セイルはまた顔を引っ込ませた。

 どうやら彼には女性に嫌われる才覚があるらしい。本人は自覚していない様子だが。

 

「それよりクレイス。ダルフがこの都に居るのか?」


 鴉紋にそう言われ、位住まいを正したクレイスが、神妙な顔付きとなっていった。

 押し黙ったクレイスに、セイルもまた顔を覗かせて鴉紋の衣服の裾を引っ掴む。


「やっぱりおかしいよ。ダルフは死んだ筈だよ?」

「セイル。奴の能力は『不死』だ。何度でも蘇り、俺の前に立ち塞がる」


 絶句したセイルを他所に、クレイスが含みのある言い方をしながら細い息を吐いた。


「……やはり、ダルフさんは鴉紋様の宿敵なのですね」

「宿敵という程のものでは無い。幾度も俺の前に立ち塞がるから蹴散らしてきただけだ」

「そんなっ……ズルいよ不死なんて! そんなの、無敵じゃない!」


 邪悪な笑みを刻んだ鴉紋が、眼下のセイルを見下ろしながら粘付いた口を押し開く。


「それは違うなセイル。俺は不死という能力を授かった奴が、気の毒で仕方がねぇんだからな……」

「え……?」


 クレイスが何やら言い淀む様にして鴉紋に向かって伏せた睫毛を上げ始める。そして一歩前に出ると、確かな口調で持ってこう語っていた。


「お言葉ですが鴉紋様……ダルフさんは、我々ロチアートの敵ではありません」

「は……?」


 黒目を小さくした鴉紋が、クレイスを見下ろしながらこめかみに血管を浮き立たせた。

 やがて、狩りを終えたロチアート達がクレイスの周囲に集まり始めると、今にもクレイスに殴り掛かって行きそうな鴉紋の面相に足を竦ませていった。

 尋常では無いプレッシャーに、クレイスは瞬きする事も忘れながら、その全身に冷たい汗を噴き出し始めていた。


「ダルフ、さん、は…………っ」


 差し向けられる威圧に肌に震える感覚を感じ取りながらも、クレイスは意を決して続ける。

 ――万の民の罵声を一身に受けながら、家畜でしかない自分達の胸中を代弁する彼の姿を思い起こしながら。

 何の益も無く、ロチアート達を守ろうとする英雄の姿に、クレイスの背は押されていた。


「ダルフさんは、俺達ロチアートがまるで人間であるかの様に言い放ちました。反感するこの都の全て人間に対して……」


 鴉紋が奥歯を噛み締めて、ピクリと頬を動かした事に、セイルだけが気付く。


「鴉紋……」


 そして流し目で、口元を戦慄かせ始めた彼の胸中を探る。


「赤い瞳を、人間であるかの様にだと……?」


 茫然とした鴉紋が天を見上げる。快晴の蒼穹を。


 そして鴉紋は光に視界を奪われながらに、初めてダルフ・ロードシャインと邂逅したその時を回想していた。

 


 ――たった一人のロチアートの為に村人を惨殺したのか! 家畜の為にっ!



 奴に言われた言葉が、今でも胸に突き刺さっている。

 罵声なんて、幾度も浴びせられて来た筈なのに、ただ、奴の声だけはハッキリと覚えている。


「ダルフ……っ」


 握り締めた生身の拳が軋む。どういう訳だか額に血が登り、顔が充血していく。



 ――お前も同じだろう。仲間に、ロチアートに人間を喰わせて。



「おの……れ…………――ッ!!」


 駆り立てて来る激情に、変色していこうとする左腕。

 しかし、振り上げた左腕の変色を抑え、鴉紋は生身の拳を地に叩き付けていた。


「鴉紋様……っ?」


 全力で叩き付けた拳から血が垂れる。鴉紋の生身の人間の肌に血が……


 鴉紋の始めた、おぞましい位に憤激した形相は、ロチアート達のざわめきを一度ひとたびに鎮める。


「忘れたか、奴もまた人間だ。お前たちの家族を喰い、生きながらえてきた人間だ」


 ゴクリと生唾を飲み込むロチアート達。彼の葛藤を思い、座った瞳を向けるセイル。

 背後で瓦礫がガラガラと崩れ、砂を巻き上げる。


 狼狽したクレイスは、瞳を丸くしながら鴉紋に問い掛けた。


「鴉紋様も昔、言っていたのでは無いのですか……? ダルフさんの様にだと……っ?」


 髪を逆立たせ始めた鴉紋が、崩れた瓦礫を踏み砕き、一歩前に出ていく。


「だまれ……」

「……ぁ…………」

「だまれクレイス――――ッッ!!」


 白昼の空に暗黒の花が開く。

 鴉紋の背から迸るその暗黒が、バリバリと雷鳴を立てながら、主の感情を剥き出しにしている。


 その禍々しい光景にクレイスは、他のロチアート達は、無意識的に目を剥いて脱力するしか無かった。

 生物としての本能が、圧倒的なる力の前に愕然として膝を落とす。


 夜が彼等に覆い被さってしまいそうな程に、その暗黒は空に広がって、陽光すらをも侵食していく。


「認めるか……ッ」


 暗黒の滾り始めた空に、鴉紋は顎が外れる位の大口開けていた。


「認めるものかッ! 貴様だけは絶対に――ッッ」


 その張り裂けんばかりの激情は、クレイス達には訳が分からないであろう……


 彼はただ、かつてと志しの違う男に憤怒しているのでは無い。


 その暴発する感情を理解するは、赤い髪を空に泳がせる一人の少女だけであった。

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