第136話 家畜の黎明
巨大な鉄球を抱えているとは思えぬ速度で、ファルロは戦場を駆ける。ロチアート達の盾を砕き、グラディウスを折り、骨を砕いて押し返していく。
「風を纏い、速度を身に着けた俺を止められる者はおらん! 終夜鴉紋、貴様も含めてだ!」
ファルロがその鉄球をロチアート達の後方に差し向けると、鴉紋はただ緩く口元を歪ませ始める。
「俺がやる」
戦士達の群れを掻き分けて現れたのは、不気味な兜を下ろしたクレイスであった。その存在を認めてファルロが不敵な笑みを漏らす。
「クレイス……丁度良い、貴様は手ずから捻り潰す予定だったからなぁ! 今一度骨を砕いてやる」
ファルロが足元に転がったロチアート達を蹴り出して戦いの場を整える。一騎討ちの予感に、人波が自然と開けていく。
「クレイス。俺の回転爆撃打を止めた事を自信にしているのなら。気の毒だというより無いぞ。この風を纏った俺の一撃は数倍にも膨れ上がるのだからな」
ファルロの周囲に怒涛の風巻が起こり、土が舞い上がる。その中心に佇んだファルロは大胆に口角を上げる。
「……」
「がっはっは! 怖じ気ついて言葉も失ったか?」
風を纏いながら、猛烈な速度で鉄球をグルングルンと振り回し、ハンマー投げの様に回転を始めるファルロ。その風圧に騎士達は後退っていくが、ロチアート達は胸を張り、一人としてその場を動かない。
ファルロは速度を増していきながら、嫌味な笑みを崩さない。
「仲間達を喰われた事を怒っているのかクレイス? それとも見世物にされ、闘い続けさせられた事にか?」
「……」
「よもやあの反逆者、ダルフ・ロードシャインの言葉を真に受けた訳ではあるまないな? 貴様等に人権などは無いのだぞ、思い上がったか!?」
その名を聞いて反応を示したのは、後方から戦いを眺めている鴉紋とセイルであった。
「鴉紋、今ダルフって……」
「あぁ、奴がこの都に居る」
「でも、今度こそ死んだって……」
何を思うか、鴉紋の漆黒の瞳がみるみると苛烈になっていくのを、セイルは静かに見上げていた。
爆風の様になった風圧を纏いながら、ファルロが声を荒げた。
「――喰らえッ真・回転爆撃打ッ!!」
竜巻と共に繰り出された鉄球の一撃。周囲の物を消し飛ばしながら、ファルロの奥義が横薙ぎにクレイスに迫る。炸裂すれば、対象を粉微塵に変えてしまう事がその迫力から容易に想像出来る。
「食肉が物を考えるな! がっはっは! 人間様の言う通りにしてるしかねぇんだよ貴様等は! 復讐なんて一端の意志を、持ち合わせてんのも図々しいわぁ!!」
迫り来る鉄球を正面に見据えたクレイス。
視界の端に今しがたファルロに撲殺され、蹴り飛ばされた仲間達の赤い虹彩を見る。
虚空となった筈の家族達の瞳が、確かにクレイスを見ていた。
その無念を心に宿して、クレイスは唱える。
「『反骨の盾』」
クレイスの構えた盾を中心に、半透明の亀の甲の様な壁が形成されていた。その盾に、ファルロの全力の一撃が炸裂する。
「――――――がぁッッ!!?」
ファルロの一撃がクレイスの構えた盾に完全に受け止められている。更にその反動に指の骨までもが砕けている事に気付く。
――それだけでは無い。
茫然自失とするファルロの鉄球にみるみると亀裂が走っていく。その様を眺めながら、自らのプライドと共に砕けていく鉄球を前に、ファルロは喘ぐ様な声を上げ始める。
「……ぁっ……ぁあ……」
鉄球の亀裂が広がっていく。鉛の塊が砕けて、地に落ちていく。
「ぁぁあっ、あっあっあっ!! なんで、なんでだぁあ!!」
彼の自信と共に巨大な鉄球は崩れ去り、ただの鉄の柄だけが残る。
「なんで……ロチアートなんかに、何故俺の、この俺の鉄球がぁあ!!」
ファルロの誇りともいえる鉄球が崩れ去った。クレイスは鼻を鳴らして半透明の盾を消すと、ファルロを過激に見下ろしながら言う。
「これが俺達の
そしてギリギリと歯を食い縛りながら、憎き因縁の敵に吠える。
「――次はお前達の番だ、人間ッ!!」
『反骨の盾』その盾は、クレイスの
騎士達が隊長の破れ去る光景に絶句する。クレイスは右手のグラディウスを朝日に反射させながら、膝から崩れ落ちたファルロに歩み寄って行った。
「嘘だ……嘘だファルロ様が」
「奴隷に……負けた?」
歩み寄って来るクレイスを睨み返したファルロが、砕けた指から鉄の柄を落とし、纏う風圧を強くしていく。まだ彼の体はロチアートからの敗北を拒絶しているらしい。
「カァァアアッ!!! 吹き飛べ奴隷が!!」
ファルロが怒涛の風を解き放つと、騎士達は押され、吹き飛ばされていく。だがクレイスは、その仲間達は、グラディウスを地に突き立てて、その場に踏み留まる。
立ち退かぬ無数の赤い瞳が、ファルロを取り巻いていく。
「その目で俺を見るなぁ!!! その、汚らわしい瞳でぇえ!!」
魔力をあらん限り解き放つファルロが、全力の豪風を叩き付ける。戦士達の盾が飛び、土煙が舞い上がる。鋭い風圧が、ロチアート達の皮膚を切り裂いていく。
クレイスはその風を真正面から受けながら、全身を力ませて尚も踏み留まっている。
そして赤い瞳を上げて、叫ぶ。
「我等が受けた痛みはこんな物では無い!! こんな生温い物ではァァ!!」
切りつけられて行く皮膚に構わずに、クレイスは豪風に逆らって一歩一歩とファルロに近づいて行く。突き刺す様な赤い瞳がファルロの足下を震え上がらせる。
「来るな……来るなぁあッ!!」
グラディウスを地に突き立てながら、クレイスがへたり込んだファルロの頭上に立った。
ロチアートの目が、人間を見下ろす。
推し量れない程に卑下した心情と共に、侮蔑の眼差しを落とす。
「死ね人間……俺達の為に!!」
「――――ふぅあっ!!!」
クレイスのグラディウスが、ファルロの心臓を貫いていった。
風圧に押し流された騎士達が眺めるは、風に怯む事無く仁王立ちする、屈強なる幾多のロチアート達。
風の凪いだ闘技場で、クレイスが倒れ伏したファルロの右腕を取る。
騎士達は息を呑んでその光景を見る事しか出来ない。
「……弱き者が、より強い者の糧となる……だったよな?」
そう言うと、クレイスはファルロの右腕に齧りついた。
戦慄の光景に、騎士は涙を流して奥歯をカチカチと鳴らしている。
クレイスがかぶり付いた肉を噛み千切り、咀嚼する。口元に血を滴らせながら、怨念の宿った眼差しを騎士達に向けた。
「「――ぉおおおおおッ!!」」
ロチアート達が残党を狩るべく走り始めた。声も無く騎士達は蹂躙され、その肉を喰われていく。
「――――ッハハハハ!!」
その光景を眺めた鴉紋が、心地良さそうに笑う。肉を貪る音に快感を覚えながらに、クレイスに向けて賞賛の声を上げる。
「いいぞ……喰らえ、人間を喰らえ! 貴様等がそうされて来た様に、その恐怖を人間共にッ」
空を見上げて愉快そうに笑う鴉紋に、クレイスが笑みを返す。
「あっはははは、っはははは!! もうすぐだ
――――やがて赤い瞳が人間を喰う時代が来る。喚け、震えろ人間共。その邪悪を今にお前達に与えてやるッ!!」
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