第130話 氷の籠で佇む
ニータの十字架へと伸ばしていた魔人の腕が止まる。
そうして引き寄せられる様にして、リオンの開かれた右の瞳に釘付けになったまま、周囲の騎士達を炎の腕で薙ぎ払い始めた。
先日の闘技場と同じ様にリオンの傀儡とされたニータは、体の自由を奪われて操作されているのだ。
「氷の次は炎で焼かれるなんて、あなたは仲間に酷い事をするわね……ふふ」
決死の形相のまま仲間達に手を挙げるニータ。その視線は揺れず、首を捻じり、絶えずリオンの瞳に吸い込まれている。
「ニータ様ッ!」
魔人の腕を潜り抜けて、無精髭の男、副隊長のギレットがニータの前に飛び出して来ると、丸型の盾で交錯していた二人の女の視線を遮った。それと同時に自由を取り戻したニータが、振り乱していた魔人の腕を止める。
盾で阻まれた向こうから、ニータの憤激する声が上がる。
「ちくしょう! ちくしょうちくしょう魔女!! また私の体をッ!! おのれぇえ!!」
ギレットが眼前に盾を構えたまま、振り返ってニータに平静を促す。
「ニータ様! 激情に駆られては魔女の思うツボです――ぅぐあ!」
右側から、騎士の一人が剣を振り上げてギレットを斬りつけた。思わぬ方角からの攻撃に防ぐ事が出来ずに肩を裂かれるが、彼は掲げた盾を決して下げなかった。
ギレットは盾を下げれば次には自らがニータに斬りかかってしまうという事を既に心得ているらしい。
ニータが斬りかかって来た騎士の一人をバラ鞭で薙ぎ払い、そして仲間に伝える。
「奴の目を見るな! 瞳を合わせば操られるぞ!」
リオンは口をすぼめると、感心したような声と共に額にかかる髪を後ろに流す。
「驚いた。私の右目の仕組みを一度で見抜くなんて、やるじゃない」
――リオンの
騎士達も真似をするようにして盾で顔を伏せ、リオンの足元を眺め、ジリジリと近寄り始めた。
やや冷静さを取り戻した様子のニータが指揮を取り始める。
「怯むな! このまま詰め寄り、肉弾戦に持ち込めば勝機は我等にあるぞ! 氷は炎を起こして焼き払え!」
団結して声を上げ始めた騎士達の盾に向かって、リオンは大小様々な氷の礫を放つ。
それは難無く防がれ、周囲に氷が散乱していく。クリスタルの様に光を照り返す氷が。
同時にリオンの足元から発生した氷が地を覆っていくが、炎で対抗する彼等の足元を凍てつかせるまでには至らない。
魔女の攻略法を見つけたニータが、破顔して高らかに笑い始めていた。
「効かん効かん効かん! お前の氷など、家畜の瞳など、このまま押し寄ってねじ伏せてやる!」
青い冷気を纏ったリオンが、氷の柱を何本も作り上げていく。再びにそれを解き放ってくる腹積もりらしい。
「あなたに出来るの? おばさん」
リオンの手元から放たれた柱は騎士達の炎に、盾に砕かれて散乱し、地に突き立っていく。
ニータはバラ鞭で氷柱を砕き散らせながら、歩みを進めていった。
徐々にリオンとの距離が縮まっていく。
「構えていれば、こんな氷などどうという事も無い! 我々は魔術以外での戦闘も心得ているのだッ栄光の騎士を舐めるな!」
すっかりと散乱した氷に満たされた闘技場。透明度の高い氷は、宝石の様な固体となって炎の光を反射している。
するとリオンが青い冷気を消して、その身を闇に包み込んだ。
騎士が勝機を感じながらに踏み込んで来る。ニータも同じ様に、ニヒルな笑みと共に声を上げ、鞭を振り上げる。
「今度こそ手が無くなったか! 待っていろ、貴様は拷問して、死よりも辛い目に合わせてやる!」
次にリオンが闇の中で開いた右の瞳には、これまでに無い激しい発光が起こっていた。赤い虹彩が、盾を構えた彼等に向けられる。
「無駄なんだよ魔女! もう何をしても無駄! 貴様の魔眼など、瞳を合わせなければ脅威ではない!」
――リオンの
――直接的なものでなくても良い。
闘技場に散らばった純度の高いクリスタルの様な氷が、リオンの右目の放つ赤い瞳を反射する。それは幾重にも折り重なって、反射に反射を繰り返す鏡面の様に、騎士達の周囲を取り囲む氷に、赤い発光が入り乱れる。
「もうすぐだ、もうすぐ貴様をバラバラに切り刻んでやる……もうすぐ、もうすぐ――――ッ!、?」
――言い換えればそれは、間接的であろうと、どんな形であれ、彼女の右目を目撃している者がその魔眼の範疇となるという事である。
「――――あっ」
足元を見詰めながらにじり寄っていた騎士達が、情けの無い声を上げて、盾を落とし始めた。その様子にニータが怪訝な顔を向ける。
「何をしている……お前達、奴の目を見たのか!? 何故だ!?」
その声に返答を返す者は居ない。だが確かに何人かの騎士が傀儡となって、鞘から剣を抜く鉄を擦る音が聞こえて来る。
いつ切りつけられるやも分からぬまま、恐々と足元を見つめて歩みを進めていくニータ。
焦燥感に苛まれながら足早に歩んでいくと、目前を歩いていたギレットが立ち止まって、その背に鼻をぶつけていた。
「……おい、立ち止まるなギレット! 歩め、魔女との距離をいち早く詰めるのだ! 何やってる、おい!?」
やがて彼女の目前で掲げられていた盾までもが、音を立てて地に落ちていた。
ダラリと腕を下げてしまったギレットの背中が、ニータの正面にある。
「おい……なんで、まさかお前……も……なん、で?」
ギョッとしたニータは固く瞳を瞑った。断続的な短い息を吐きながら、冷たい汗を流し始める。正面からは凍てつく大気を感じ始めた。
「――はっ――はっ――はっ――」
瞳を閉じた暗闇の中、緊迫した面持ちをしながら恐怖に押し潰されていくニータ。
「お前達……い、いるか? いるのか? 誰か……」
誰かがニータに歩み寄って来る。何か鉄を叩き合わせるかの様な音を発しながら。
「――はっ、はっ、はっ……だれ、誰か居るだろう……?」
甲冑の揺れる音がする。どんどんと数を増して、彼女に向かって来るのを感じる。もう、いつ切りつけられるやも分からぬ程に、側に感じる。
「……一人くらい。なぁ、……なぁ! 誰か……だれかぁあ!!」
視界を遮られる恐怖がニータを襲う。
近付いて来る足音、しかし不確かな光景。その恐怖に耐え切れずに、ニータは思わず瞳を開いた。
「さようならおばさん。それと、栄光の騎士さん達」
ニータの視界の中心に、右目を赤く強烈に灯らせた魔女が、自在に作られた氷の台座に足を組んで座っている。
地も壁も天も、一面が氷に覆われた世界で、リオンの右目の光が、ミラーボールの様にぎらぎらと反射を繰り返していた。更に氷は範囲を広げ、光の角度や範囲を自在に変えていく。
リオンの創造した宝石の籠の中で、ニータは呆然と立ち尽くして鞭を落とす。
足元を見ていた筈の騎士達は、僅かにでも周囲の氷を視界に捉えた瞬間に術中に落ちていた。
残された騎士達が示し合わせることもなく、それぞれの得物を抜いた。
そして何の躊躇いも見せずに、全ての者が胸に深々とそれを突き立てた。
白銀の世界が血に染まっていく。
「これで汚いものが少し減った」
最後に、感慨も無さそうな平坦な声を聞きながら、ニータは瞳を閉じた。
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