第128話 魔女の正体


 ******


 牡丹雪の舞う冬の事だった。

 豪雪の中で毛布に包まれて、リオンは何処とも知らぬロチアート農園に捨てられた。

 年の頃は出生後半年も無い頃であったが、彼女には産まれて間も無いその頃の記憶が、ありありと刻まれている。

 彼女の両親は野生のロチアートであった。飢饉に喘ぐ冷たい雪の日に、彼女は両親の手で農園に捨て置かれた。

 ――父は言った。痩せこけた枝の様な腕を伸ばして、愛おしそうにリオンの頭を撫でながら。


「すまないリオン。しかしここでなら、お前の事を立派に育ててくれるだろう」


 ――母は言った。栄養の行き渡っていない乾燥した長髪の下で、ひび割れた唇を微笑ませながら。


「赦してリオン。もう私にはお乳が出ないの。それに……私達には、愛しいあなたを食料にする事なんて出来ない」


 その冬、大飢饉に襲われた野生のロチアート達は、育つ目処の無い幼いリオンを食料として差し出すように両親に迫っていた。

 彼女を捨てたのは両親の口振り曰く、リオンを救う為のものであるとの事であった。

 言葉も知らぬリオンは返す言葉を持たなかったが、だが確かにこういったニュアンスの思惑を抱いていた事が、今としては翻訳出来る。


 ――ここに捨てられても、どうせ誰かに食べられるのに。

 見も知らぬ誰かに喰われる位ならば、私は血の繋がったあなた達の糧となりたかった。


 慈愛という衣を被った両親の言葉、リオンを愛でる所作。

 その行為の裏を感覚的に見通せてしまったリオンは、その感情を何と呼ぶかも分からないままに、両親に対しての侮蔑を確かに覚えていた。

 言葉も、その感情の名も知らぬリオンに出来る抵抗は、その寒波の中で啼泣ていきゅうする事だけであった。

 今思えば最初で最後であったリオンのその悲鳴は、父と母に向けてこう伝えたかったのだろう。


 ――この偽善者が、と。


   *


 農園に引き取られる形となったリオンであったが、いずれ食されるという同じ境遇のロチアート達との集団生活は、彼女の偏った感性を加速度的に助長させる事になる。

 両親から受けたトラウマによって、他者に対する信頼は切り捨てられた。ただでさえ過敏であった彼女の、心理に対する観察眼はより鋭敏に、卓越したものへと仕上がっていきながら、同時に聡明な彼女の中で巻き起こった邪推もまた、捻れたままに自己解決されていった。


 農園の教育者達は、彼女を『神に愛された子』と呼んで特別視した。

 それ程までに彼女の頭脳、運動能力、容姿は、群を抜いて優れていた。その農園初となるとなり得る食肉に、農園の管理者達は色めき立ってリオンを溺愛した。

 そう言った背景も相まって、彼女は疑問を問い掛ける事をせず、自己による他者との隔絶の徹底は、彼女の共感性をより削ぎ落としていく事となった。

 彼女の視界にはまだ心の形は映り込んでいない。けれど彼女の瞳は、既に人の汚れの片鱗に勘付いていた。

 

   *


 歪な形を形成していったリオンは、12歳の頃にイェソドの都にある特別農園に移された。

 世界にただ一箇所しか無い特別農園には、Aランクに定められ、かつその中でも最上級と思われる食肉達が全国から集結される。その農園の内部では更に選別が繰り返され、年に一度の天使の子の会合に合わせて、ただ一人のSランクの食肉を輩出する。

 Sランクの認定は全てのロチアート達の夢である。更にその食肉を出荷した農園には大変な栄誉と金銭が支払われ、その血筋となる者は優遇される事となる。

 特別農園に在籍するロチアートは約100名。その中から選ばれるのは年にただ一人。更に18歳を過ぎた者は時期を過ぎたとされ、無条件にてBランクへと格下げされて市場に出荷される。そういった経緯により、食肉のエリート達は血眼でしのぎを削り合うのだ。

 無論、共感性の喪失したリオンにはその様な願望は無かった。ただ何もかもに興味が無く、言われたからここに来ただけであって、そもそも彼女には人間に喰われる願望などこれっぽっちも無かった。

 だが、そんな事はロチアート達には関係が無い。

 自らがのし上がり、評価される為に他者を蹴落とす。どんな汚い手を使ってでもSランクに選ばれ無ければ、最終的にはBランクへの格下げをされて出荷される。

 ――雑多な、ただの名も無き肉として。

 故に特別農園のロチアート達は栄誉を追い求め、教育者達の目を盗みながら、水面下で過激極まる妨害を繰り返し合っていた。

 その余りに節操の無い様は、ロチアートの根底にある混沌を露見していた。


 突如として戦火の最中に投げ込まれたリオンは、否が応にもロチアートの醜さを知る事となる。


 騙し合い、化かし合い、欺き合う。なりふり構わぬ蛮行は、激化の一途を辿っていく。他者に傷を付けて容姿の評価を下げる者、食事に毒を盛る者、事故を装い怪我を負わせる者。そういった策に落ちて食肉としての等級が下がってしまい、人知れず居なくなるロチアートの数は数え切れなかった。彼等、彼女等は皆、噛み締めた唇から血を流して特別農園を去っていった。

 以前の様に他者を遠巻きにしていたリオンであったが、彼女の類稀なる才覚は、特別農園でもまた一等星の様に照り輝いていた。

 半年も経たぬ内に、誰の目にもSランクに認定されるのは、最年少のリオンである事は明白となった。そうなるとやはり、皆の標的はリオンへと絞られていく。

 数多の敵意、数多の悪意。だがそれらは全て例外無く、驚異的なリオンの読心術の前では、白日の元に晒されているのと変わりは無かった。

 邪悪な意志を浴び続ける日々。それらを全てねじ伏せている内に、リオンの内の何かが、亀裂を走らせながらも、何とか原型を保っていた何かが、

 崩壊を始める。


 リオンには他者への共感性が欠落している。


 当初は何となくそうすべきだと、模範に習って手心を加えていた相手が、更なる憎悪を剥き出して脅威となる。終わらない連鎖は、彼女の喉元へと近付き始める。


 リオンには他者への共感性が欠落している。


 ――彼女には他者の痛みも、恐怖すらもが分からない。


 リオンは血も涙もない冷酷な魔へと豹変する。そこにはもう、僅かにあった慈悲や情けすらも無い。

 彼女はまた切り捨てる。

 あるのは切り裂くような殺意のみ。


 リオンは別にSランクなどどうでも良い。だからただ生きる為だけに、既に発現していた氷魔法を奮った。


 リオンには他者への共感性が欠落している。


 殺した。何人でも。無感情に。無関心に。

 もう表情も変えずに、心も動かさずに殺せる。

 仇なすものは全て殺した。証拠は全て消し去りながら、リオンは醜い者を殺し続けた。

 やがて彼女に手を出そうという者は居なくなっていた。

 邪悪に巻かれながらに、凛と咲いた氷の華は、何者にも侵害する事が出来なかったのだ。

 

 その年。リオンはSランクを指名する等級式で名を呼ばれ、白い壇上へと立った。

 彼女を見上げるロチアート達の数は、当初の3分の2程になっている。リオンは淡々と特別農園の管理者や教育係からの抱擁を受ける。


「今年のSランクはあなたです。リオン」


 拍手が起こり、リオンは祝福される。彼女は少しの表情も見せずにただ壇上に立っている。


「Sランクとなったあなたは、早速明日出荷され、新鮮なままに天使の子に食される。これ程の栄光を得られるのはただ一人だけ。その一人があなたなのです」


 管理者達の温厚な笑みに包まれながら、リオンは振り返って、彼女を見上げるロチアート達を見下ろした。

 果ての見えぬ程に深い暗黒が、嫉妬が、憎悪が彼女を見上げている。祝福する者など一人だって居ない、あれだけ殺害し、殺し尽くしたと思っていた悪意が、まだそこにひしめいていた。


「こんなものが欲しかったの?」

 

 突如として話し始めたリオン。

 どれだけ殺しても、殺しても、殺しても。

 醜いものは少しも減っていなかった。


 彼女は全てに降参して逃げ出す事に決めた。いい加減、醜悪なものに辟易してしまった。

 ロチアート達へと差し向けた相貌。彼女の両の指が、ゆっくりと自らの瞳へと向かう。


「くだらないわ。見も知らぬ人間に喰われる事も――」


 リオンの細く長い指は、ロチアート達を見下ろしたままに、深く、自らの眼窩へと侵入を始める。震える指の間から血が溢れ、壇上を汚していく。


「リオン……ッ! な、なにを、何をしているのですっ! 正気ですか!」


 管理者達が眼窩に深く指を差し込み始めるリオンへと走り寄った。肉体に損失があれば、彼女は最早Sランクとはなれないのだ。

 血の涙を垂らしながら、リオンはその両の掌に何かを握り込んで、引き抜いた。


「――汚れきったあなた達の感情を見せられるのも」


 全ての者が絶句するその場、華やかな壇上で、リオンは両の掌に握り込んだ物をグチュリと握り潰した。


   *


 それからリオンは、魔法の一言を嘯く様になった。


「私は人間よ」


 それが虚偽である事は明白であったが、自らを人間だと名乗る目の無い人物を喰いたがる者は一人だって居なかった。

 眼球が無くなったロチアートは人間と区別がつかない。いかに彼女がロチアートである事を物語る証拠があろうと、そんな不気味な者を喰いたがる者は居ない。人間が人間を喰うのは、この世で最も卑しい蛮行なのだから。

 目論見通りに喰われる事も無くなったリオンは、農園を抜け出して都に隠れ住む。



 しかし、やがて彼女は特有の視界を開き始める事になる。

 他者の心の形が見える忌々しい視界を。

 朧げだった醜い心は、彼女の想像を絶する形をしていた。醜悪過ぎる形態は吐き気を催す程であった。しかしそれら全ての汚物から、視界を閉ざす事が出来ない。何処に逃げ出しても、そこにはまた別の形の下衆がひしめき、彼女を取り巻く。潰れた瞳のその奥に、その光景が焼き付いていく。


 瞳をくり貫いてまで逃げ出したものが、何の因果か、より克明な形で彼女にまとわりついて来る。


 何処にも逃げ場なんて無かった。どんな人間だってロチアートだって、禍々しい物を心に宿していた。

 誰にも心を許さず、群れずに生きてきた。醜いもの達を常に避け続けてきた。汚いものを目に入れない様に生きてきた。けれど、どうしたってそれは彼女を取り囲む。見るに耐えない暗澹たるものが、彼女を醜悪な牢獄から出る事を許さない。


 ――まるで呪いだ。私は神に呪われているんだ。


 人もロチアートも、全て滅んでしまえば良い。


 もう見たくない……何も。

 醜いものは嫌い……。


   *


 ある冬の夜、枯れた巨木の下でリオンは台座に登った。彼女の眼前に吊り下げられたロープが、輪を作って垂れ下がっている。それは彼女を嘲笑う様に、右に左へ、冷たい夜風に揺れていた。


 神に呪われたリオンに残された逃げ場はただ一つ。

自死であった。


「みんな消えればいい。せめて私の思うままに操れれば、汚いものが消えるのに」


 彼女は感情も無く他者を殺せる。それと同じ様に自らの命すらも、あの抉り出した両の眼球の様にあっさりと抜き出して、躊躇も無く握り潰せると……そう思っていた――


 何もかもに疲れ果てながら、縄に首を掛けようとするその刹那の事であった。


「――――っ」


 青天の霹靂に打たれ、その瞬間的に、何もかもがくだらないと感じてしまった彼女の手は止まっていた。


「……アハハ…………アッハハハハ!」


 そして今更に、何故醜いものの為に自身が死なねばならないのかと、笑いすらもが込み上げて来る。








「……違う」








 ――私じゃない。








 「辛いのも」








 ――――痛いのも








「苦しいのも」










     ――――……ぜんぶ


















 

「邪悪なお前達が味わえば良い」



















 輪状のロープを手元に見下ろす宵闇の中。

 赤い眼光を灯らせて、そこに氷の魔女が完成した。


 ******


 迫り来る騎士達の熱波をただ座して待つ事しか出来ぬ状況にて、リオンは額を剥き出して露わとなった顔を前方に向けて


 ――――放った。


「魔眼ドグラマ左の目第一の目魔消ましょう』」


 ゆったりと押し広げられたリオンの左の瞼。

 そこに、ある筈の無い発光する眼球がある。

 薄ぼんやりと光る白い瞬きの中心に、一際に強い赤い虹彩が煌めく。


 家畜の、ロチアートの瞳が、絶望の焔を真っ直ぐに見つめた。

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