第127話 愛の為に荒れ狂う女達

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 優しげな心の移ろいを見せたラルの妙な様子に後ろ髪を引かれながら、リオンは長い廊下を歩いて自室へと向かった。

 道中すれ違う騎士や女中が、避ける様に彼女に道を開けて行く。通り過ぎた後には背に鋭い敵意を浴びる。だが彼女がそれを気にする様子は無い。ただ気色が悪いという感覚が残るだけだ。

 取り巻かれる汚い感情を嫌悪しながらも、彼女は最早、それに馴れている。


 自室へと辿り着いてドアノブに手を掛けた時、リオンはある異変に気付いて顔を強張らせる事になった。


「――――っ!」


 勢い良く開け放たれた扉の内部に、ダルフの姿が無い。鈍色のクレイモアだけが部屋に転がっている。


 動転したまま、荒らされた室内を探ると、木製の机に文字が刻み込まれているのに気付く。ご丁寧にも、目の見えぬ彼女にもその文字が読める様にと。


『コロッセオで待つ。一人で来い』


 ぎりぎりと歯ぎしりを始めたリオンの脳裏に、忌々しい女騎士の姿が過っていた。


「あの……女ッ!」


 リオンは腸を煮え繰り返らせていた。これ以上無い位に表情を露にしながら。



 彼女は常に一人だった。一人で邪悪に巻かれて生きて来た。

 人間にも、ロチアートにも失望した彼女は、これからも一人で生きて行くのだと思っていた。

 ダルフ・ロードシャインという稀有な心の持ち主に出逢うまでは。

 初めて出逢う煌めく宝石の魂に、心奪われた。

 それは同時に、失望した筈の人間への一縷の希望を灯す。

 目的の無かった彼女の人生に光が指し、抱く筈の無かった他者ダルフへの興味が爆発していた。

 あの宝石が何処まで輝きを増していき、そして何処に至るのか。

 ダルフは彼女の生きる理由だった。


 故に怒った。これ以上も無い程に。


 ******


 夜闇が落ちるコロッセオを、月光だけがぼんやりと照らす。そこに百の騎士と一人の女。

 何事かと、地下控室に居住するロチアート達もがこそこそと這い出して来て、密かに様子を窺い始める。

 騎士達の群れの先頭には、バラ鞭を抜いた髪の乱れた女騎士。亡霊の様な虚ろな表情をしたままに、何かを待っている。

 集団の後方には高く掲げられた木製の逆十字。そしてそこに縛られた反逆者、ダルフ・ロードシャインの亡骸がある。

 

「ニータ様来ました、魔女です……本当に一人のようです」


 槍を持った無精髭の男がそう告げると、幽鬼の様であった女騎士は、みるみると目を見開きながら涎を垂らした。騎士達に一斉に緊張感が走る。

 暗黒に紛れる存在が月光の元に姿を表す。その姿を視認すると同時に、ニータは心の闇をありのままに吐露し始める。


「殺してやる、ころす……あの魔女だけは、私のラル様を奪い去ったあの糞女だけは……大切なものをグチャグチャにして、拷問して……」


 激しく繰り返されるニータの呪詛に、騎士達ですらが寒気を覚えていく。

 息継ぎするのも忘れ、顔を真っ赤にしながら三白眼を一点に注ぐニータの恨みは計り知れない。最早正気を疑うまでも無い事は誰の目にも明らかだ。

 悠然と踏み出して来た魔女が口を開く。


「顔を焼かれても、恥を晒しても、まだ懲り無いのね。おばさん」


 氷の様に冷たい表情を落とすリオンが、深く被ったフードの下で、顔に掛かった髪を払う。その動作の荒っぽさが、静かに彼女の怒りを表している。

 そして女達は同時に語り出す。互いに譲れない熱情を絡ませて。


「ラル様を返せ」

「ダルフを返せ」

 

 リオンを青い大気が包み込む。夜気の中で発光を始める。

 ニータが鞭を地に叩き付ける。赤き灼熱の発光が飛び散る。

 無精髭の男が騎士達へと号令を告げた。


「展開!」


 百の騎士が扇状に広がってリオンを迎え撃つ陣を構えた。皆剣を抜かず、諸手のままで魔女を見据えている。

 リオンの足元から怒涛の如く大地が凍てついていく。彼女を中心にみるみると、クリスタルの様な純度の高い氷が円形に広がっていく。


「部隊を丸毎引き連れて来れば、私に敵うとでも?」


 魔女の静かな声に、ニータは不敵な笑みを漏らした。


「思っている。貴様の能力は全て攻略したのだから」


 リオンの氷が騎士達に届く前に、彼等は動き出した。全ての騎士が諸手を前に突き出して手元に赤い魔法陣を起こす。

 百の魔法陣の発光がリオンの前方に広がる。するとニータは嬉しそうに乱れた髪をかきあげた。


「たった一人で我が栄光の隊を相手どれると思ったか!? 貴様の氷は通用せんぞ魔女ぉ!!」


 赤い魔法陣から炎が現れその場に留まり、隣の火炎と合流しながら巨大になっていく。

 灼熱が纏まって一つの塊となっていく。

 何処までも肥大化していく熱気を受けると、リオンの足元の氷が、地の侵食を止めて溶け出し始めた。

 しかしリオンはやはり動じない。それがどうしたとばかりに落ち着き払って語り始める。


「あなたを焼いた炎が、こんなに広がっていくわよ?」

「……減らず口をッ! 糞女魔女ぉお!!」


 憎々しくリオンを睨み付けたニータの先で、コロッセオの4階まで届かんとする巨躯な火球がメラメラと燃え上がっている。焼け付く様な高温がその場に満たされていき、リオンの長い髪を押し流していく。


 苛烈な表情を始めたニータが、自らの手元に起こした魔法陣を背後の十字架、高所に縛り上げられたダルフへと差し向けた。


「妙な動きをしてみろ魔女! 怪しげな魔術で治された貴様の大切な死骸が、焼け焦げて炭になるぞ!」


 時を経て、無残な姿から外見だけは元のままに再生したダルフの眠った様な死体が、項垂れたままに灼熱に髪を揺らしている。

 卑劣な行為にニータが笑みを作る。ラルの様に邪悪な笑みを。


「貴様はこの炎に焼かれて朽ち果てろ」


 騎士達も笑い、コロッセオを下劣な声が包み込む。リオンただ一人を暗黒の様な無数の悪意が取り巻いていく。

 リオンは醜悪な百の心を垣間見ながらに、表情も見せずにこう囁いていた。


「醜いわ……醜いものは嫌い……」


 諦めた様に氷の発生を辞めて、青い冷気を消したリオンの姿に、勝利を確信したニータが高揚した叫びをあげる。


「放てッ! 魔女は火刑に処すのだッ!!」


 放たれた豪炎に、すぐにリオンの視界は炎に埋め尽くされた。吹き荒れる熱風に額が露わになり、フードが外れていく。

 ダルフに魔法陣が差し向けられていて見動きが取れない。僅かにでも動けば正気ではない様子のニータは躊躇なくダルフを焼くだろう。

 天まで届く様な炎の壁が迫って来る。いずれにせよこの超大の火炎を止める盾は創造出来ないうえに、逃げ場すらも無い。

 炎の向こうからニータの声が届く。


「ッフフフッ! 本当に一人で来るとは思わなかったぞ魔女! いいや違うか、お前には仲間がいないのだ、既に死に絶えたこの反逆者以外、誰一人として!」

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