第120話 お前は何もわかっていない


 その言葉に息を呑む会場の民。

 クレイスはラルに差し向けられた橙の瞳に、腰を抜かしそうな程に萎縮し始める。瞳を見開いて、口をわなわなと震えさせているのが兜越しに、ダルフにだけ見えている。


「そうでもしなければ、そこの反逆者は剣を抜かぬと見た……故に殺せ。あぁ、心配はせんでいい。俺様はお前がどの様な手傷を負おうと即座に治してやる……だから存分に切り合うがいい、クレイス」


 それだけ言って、ラルが再びに玉座に座り直すと、会場は爆発する様な熱気を帯びた。


「ラル様から許しが出たぞ!! 殺せクレイス! その悪人を殺せ!!」

「全力で切り付けて容赦をするな! 体をバラバラにしてバラ撒いてやれ!」


 クレイスが鼻息を荒くしてグラディウスを強く握り込む。ラルの要求に応えねば、彼がどんな目に合わされるのかは想像に難くない。


「いいぞクレイス! 八つ裂きにしろ!!」


 殺意に満ち溢れたクレイスに、ダルフはそっとクレイモアに手を掛けた。その様に民が注目し、声を上げる。


「抜くぞ! 遂に抜くつもりだ!」

「殺されると分かってビビってやがるんだ! ギャハハハ!」


 しかしダルフが次にとった行動は、この場に居る全ての者の逆鱗に触れる行為であった。


「おい……あいつ何してんだ」

「……あい、つ……嘘だろう。栄光の存在に向かって!」

「何たる……何という不遜な態度!!」


 歓声をざわめきに変えた民が見ていたのは、反逆者ダルフ・ロードシャインが、抜いたクレイモアの剣先を、確かな黄金のまなこと共に、ラル・デフォイットの居る特別席へと差し向けている光景だった。


「――――んなァっ!!?」


 ラルは目を剥いて玉座から立ち上がると、特別席から身を乗り出して、額に何本もの青筋を立てながら激昂した。しかし余りの怒りに言葉が出て来ず、鼻筋をピクつかせながら口をモゴつかせ、赤みのある翼を小刻みに戦慄かせている。


「ふふっ」


 千数の民が背に氷を入れられた心持ちの中、ただ一人、リオンだけが笑いを漏らす。

 ラルが4階席から落っこちそうになる程に前のめりになるのを騎士達が支える。そしてラルは激情で顎が外れてしまう程に大きな口を開けて喚き散らした。


「――こッ、ズぁ!? 俺、さ……ダァっ!!」


 激憤が言葉にならず、みるみると赤面していったラルが噛み付く様に言い放った。


「この……ドぐされ、ゴミ野郎!! ッ糞ッ野郎ッ!! あの背徳者を殺せええクレイスッッ!!」


 ラルの狂乱ぶりに黙り込んだ会場で、クレイスが駆けた。しかしダルフは一切揺れない視線をラルへと向け続け、今だその剣先を下ろそうとしない。


「わぁああッ!!」


 雄叫びと共にクレイスの振るうグラディウスが、ダルフの体を切りつけていく。腕を裂き、足を裂き、顔を裂かれ、みるみると赤く染まっていきながら、ダルフは歯を喰い縛ってラルを見上げ続ける。


「なんだあいつ……反撃しねぇぞ? あんなに切り付けられてるのに」

「おい、失血であのまま死んじまうぞ? 見ろよ、足元に血溜まりが出来ちまってる。どういうつもりなんだ?」


 クレイスは、何かに操られでもしているかの様に、一心不乱にグラディウスを振るい続けた。


「うぅわァァァァァ!!」


 情け無い声を上げて、何時しかクレイスは瞳に涙を溜めていた。ダルフは全身を切り付けられる痛みに奥歯を噛み締めたまま、尚もラルを睨み付けている。

 ダルフの挑戦的な態度に、ラルは目を真っ赤に充血させて絶叫する。


「殺せ! 殺してしまえクレイス!! 奴の顔面にグラディウスを突き刺せッッ!!」


 まるで癇癪を起こしている様な有り様のラルがそう命じると、クレイスは兜を脱ぎ払いながら、それに応えた。


「うがァァァ!!」


 大きな瞳の一杯に涙を溜めた戦士が、歯牙を覗かせながら、両手で持ち直したグラディウスをダルフの顔面に向かって突き出した。

 いつの間にか、ただの虐殺ショーへと様変わりしていた闘いに、民は思わず顔を伏せた。


「お前は何も分かっていない。ラル・デフォイット」


 頭を僅かに捩ったダルフの頬に、グラディウスの両刃の刀身が触れて、鋭い一筋の切り傷を作っている。

 渾身の刺突を避けられている事に誰よりも驚いていたのはクレイス自身であった。黄金の長髪をたなびかせる男の頬に、グラディウスが触れたままになって止まっている。そこから流れ、滴る血液が、刀身を伝って彼の手元にまで伝って来る。

 ダルフの眼差しがラルを射貫いている。星宿る煌めきの眼光を、クレイスは膝を震わせながら、啞然と見上げていた。

 民も思わず黙り込んで、ダルフの言葉に耳を傾けるしか無かった。


「刃物で切り付けられる痛みを、その恐ろしさをお前は分かっていない」


 圧倒されたラルが、言葉を失いながらもダルフの眼光を見返している。彼の橙色の虹彩が細かく揺れて、僅かに恐怖を刻んでいる。


「治癒を施せば問題無いだと? お前にこの痛みが分かるのか? 切り付けられた時の灼熱感を知っているのか? 足が竦む程の殺意を、その恐怖を感じた事があるのか?」

「……ッ!」

「仲間を切り付け、痛めつけねばならない悲しみが分かるか? 命を弄び、見世物にされる屈辱が分かるか? そんな蛮行を永遠に繰り返させられる彼等のッ――」

「グッ……ギィィ!!」


ロチアート彼等の痛みを、お前は何一つとして理解していない! ラル・デフォイット!!」


 今に破裂しそうな程に赤面したラルが、ダルフの頬にグラディウスをあてたままのクレイスに命じる。


「黙らせろ!! 奴の首元にあてたグラディウスで、そのまま首をはねて黙らせろクレイスゥッ!!」


 クレイスは命じられた言葉の意味を良く理解していた。その命に背けば、自らがどんな目に合わされるのかも、自分の置かれた状況も、立場も、全て理解していた。


「……ぁ……ぁぁ、……あ……」


 それでもクレイスには、自分達を思い、都の全てを敵に回してしまった正体不明の反逆者を、これ以上切り付ける事など出来なかった。


「ぁぁっ……!」


 ロチアートの、家畜の境遇をこんなにも理解し、こんなにも共感して貰った事が彼には無かった。人間の様に扱われ、まるで人権を主張する様に周囲に訴える人間に、身を呈してロチアートを擁護する人間に、出会った事が無かった。

 胸が暖かくなり、目頭が熱くなる。そんな得も言えぬ初めての感情に取巻かれたクレイスは、気付けば剣を落とし、膝を付いていた。


「ぁぁあぁああっ!!」


 胸を締め付ける訳の分からない感情に混乱する。湧き上がる感情への対処の仕方が分からない。

 だからクレイスは慟哭しているのだ。頭を抱え、大粒の涙を落としながら。

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