第119話 色めき立つ醜い民
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『な、な、なんと!! とんっっでもない情報が舞い込んで来たぞ!!』
動揺した実況に民達が注目する。本来コロッセオでは、勇猛の儀が最後のステージであるのだが、今日は何やら騒がしくなっていく。
『なんという日だ! 俺は未だこの耳が信じられない! 今伝え聞いた話しを咀嚼しきる事が出来ないでいる!!』
熱気を増していく実況に民が色めき立っていく。
『少なくとも、今日このコロッセオに訪れた者は! 百年に一度の奇跡に立ち会う事になる!!』
「いいからとっとと言えー!」
「なんだってんだ!? 騎士隊長様の勇猛の儀の後に、まだなんか凄えもんが見られるのか!?」
野次が飛び、実況席に物が投げ込まれるが、彼は額にダラダラと汗を垂らしながら、今伝えられた情報を、自分自身でも理解しきれないまま口にする。
『反逆者ダルフ・ロードシャインを覚えているか! 死んだとされたその男が、実は生きて、今!! この都の! ここ! コロッセオの地下控室に居るッッ!!』
騒ぎ立てていた民が静まり返り、全ての者が耳を疑った。
……静寂を破り、ぽつりぽつりと声が漏れ始める。
「反逆者ダルフ・ロードシャイン? 天使の子を殺した、元騎士隊長だったっていうあの?」
「生きていたって……嘘だろう?」
「待て待て、俺は風の噂で聞いたぞ! 反逆者がこの都に訪れて、ラル様に会いに来るという噂を!」
「おうよ! 朝方都の外から怪しげな奴等が騎士に連れられていったって俺も聞いたぞ!」
「まさか……じゃあ本当に。終夜鴉紋に並ぶ、もう一人の反逆者が今ここにッ」
民の喧騒は瞬く間に会場を満たし、震え上がる程の盛り上がりを見せる。はち切れんばかりの歓声に、ラルは愉快そうに笑っていた。
実況席から身を乗り出しながら、拡声器による声は絶叫を始める。
『来るぞ!! もう来る!! この世の悪!! 世界の敵!! 我等全人類の害!! 反ッ逆者! ダルフ・ロードシャインだぁアアア!!』
地下から吊り上げられて来た台座の上で、倒れ伏したままのダルフが顔を起こすと、凄まじい相貌をした数千の民がダルフを見下ろしていた。
反逆者だという男が実際にその場に現れると、半信半疑であった民達の疑念も解け、彼等は一致団結して共通の敵に吠え出した。罵声の嵐が、全人類共通の敵に向けて団結して叩き付けられる。物が投げ込まれ、実況の声も聞こえなくなる程に、つんざく様な声に満たされていく。
特別席からその様子を見下ろしているリオンが、ラルに振り返る。
「彼は
「おっと、そうであったな、思わず伝え忘れた。クックク……」
片方の口角を大胆に吊り上げながら、意地の悪そうな笑みを浮かべるラルは闘技場に視線を落とす。
ようやくボリュームの下がってきた叫喚の頃合いを見計らい、実況の男が腕を振るい、興奮しながら声を張り上げる。
『ォォオこのトッタ! 実況生命においてこれ程の大舞台に立った事がありません! 今日この日、本日が! 歴史に名を残す世紀の大闘技会になる事は間違い! ナイトメアと肩を並べる反逆者! ダルフ・ロードシャインが生きていた! そして! このコロッセオに! この舞台に! 今立っているのダァァアア!!』
実況の男トッタが、派手な赤い衣装と見分けの付かない位に顔を真っ赤にして叫ぶ。
すぐにダルフの向かい側で、吊り上げ式の台座が上がって来た。そこに立っていたのは、不気味な顔の装飾を施した兜を被る筋骨隆々の男。手にはグラディウスと四角の縦を持っている。
『対するはッロチアートのホープ! 残虐のクレイス! フゥァァァ! 今日この日だけはっ実況の立場でありながら、このトッタ! どうしたって中立の立場を保つ事が出来ない!! いや、出来ようものかっ! 言わせてくれ! ……クレイス!! 反逆者をコロセェェエエエ!! いつものように! 残酷無比な方法デッ!!』
トッタの実況に同調した民が、諸手を振り上げてクレイスを鼓舞し、ダルフに悪意を叩きつける。ロチアートの戦士を応援する物珍しい現象に、大気が揺れ、コロッセオが揺れる。この万の民に取り囲まれる会場に、ダルフの味方など誰一人として存在しない。
『何故反逆者が今ここに居るのか!? 何故今神聖なる闘技場に立っているのか!? そんなもん俺にも何にも分からねぇ!! というか俺はもう実況じゃねぇ! 今からただの観衆だ! 早く早くと開始の合図を心待ちにする一人の民だぁあ!! だから! 訳わかんねぇが! んんん、始めぇえええええ!!!』
半狂乱の様相を見せたままの開始の合図で、盛り上がりは最高潮となる。クレイスと呼ばれた戦士は、グラディウスを抜いて上段に構え、ジリジリとダルフににじり寄って来る。
しかしダルフは腰に差したクレイモアに手を掛けない。
「君は先程メルドットの亡骸の側に居た男だな」
不気味な顔の兜にダルフは見覚えがあった。先程の地下控室での問答を聞いていた男の一人だ。
『おおーっとどういう事かダルフ・ロードシャイン! 抜刀もせずに大股で近付いて行くぞ!? というかあんな馬鹿でかい剣、振れるのかぁー!?』
クレイスは大胆不敵なダルフの行動に面喰らいながらも、より一層と腰を落とす。
「ここでなら騎士にも気を使う必要は無い。教えてくれクレイス。君達は何の為に闘っている? 何故メルドットは抵抗しなかった?」
クレイスの兜の隙間から赤い瞳が光る。動揺を隠しきれないでいる様子が、その瞳の震えや、息を荒げて上下する肩から窺い知れる。
すると筋骨隆々の戦士が、構えたままにくぐもった声を兜越しに発っし始める。
「あんた、反逆者といったな。本当に奴等の……騎士の仲間じゃねぇのか?」
「俺のぞんざいな扱われ方を見たろ?」
「……」
「俺は元騎士だが、奴等のやり方に憤りを感じている。ロチアートを痛め付ける、このコロッセオとやらに」
膠着してしまった両者に野次が飛ぶ。早く殺し合えと、怒号が飛び交う。するとクレイスは周囲の反応に過敏な反応を見せ、慌てながらグラディウスを中段に構え直した。
「俺達は皆……死ぬ為に闘っているんだ」
にじり寄り、いよいよダルフを間合いに捉えよういうタイミングで、クレイスはまた話し始めた。
「トーナメントに勝ち抜いたただ一人だけが、勇猛の儀に出られる。そこで敗北した戦士だけが死ぬ事を許され、この無限の痛みから解放されるんだ。だから俺達は競い合い、勇猛の儀を目指す」
「殺される為にか? そんな事、馬鹿げている!」
未だ抜刀しないダルフにクレイスは動揺したまま近付いて行くが、軽はずみな発言を受け
「そうだ! おかしいか? あんたに分かるか? 何度も何度も何度も何度も、腕を落とされ、足を削がれ、腹を貫かれ。それでもまた翌日に闘技場に立たされる俺達の気持ちが!?」
「分かるさ。俺には……分かる」
「分かるものかッ!!」
突如激情したクレイスの剣が、ダルフの腹部を切り付けた。民が白熱するが、ボタボタと血を流しながらも、ダルフは穏やかな黄金の瞳をクレイスに向かわせ続ける。
「あんた……なんなんだ。なんなんだよ一体! 俺達に何が言いたいんだ!?」
未だ敵意の無いダルフの視線を受けて、クレイスは赤い瞳を所在なく泳がせながら、だらしなく口を開く。
「俺達は相手に手加減する事も、降参する事も許されないんだ。観衆はそんな形じゃ決着を認めない! だから俺達は仲間の腹に、背に、この分厚い剣を突き立てるしか無いんだ!」
「他に方法がある筈だ」
「故意の殺害も、コロッセオ外での殺害も出来ない! そんな事をしたら、死ぬよりも酷い拷問に合う! 俺達は互いを切りつけ合い、その頂点に立って死を選ぶ事でしか、この無限地獄から抜け出す術が無いんだ!」
トッタが闘技場に立ち尽くす二人を見下ろしながら、眉根を寄せて状況を解説する。
『どういう訳か、ダルフ・ロードシャイン。深く切り付けられても剣を抜かない……何やらぶつくさと話している様だが……』
民が怒り、物を闘技場に投げ込み始める。その数は凄まじいもので、闘技場にゴミの雨が降り注ぐ。
「とっとと闘わねぇか! 何やってんだぁ!?」
「クレイス!! とっとと反逆者の体を滅多刺しにしてやれ! いつもの様に! さっさとやれぇ!!」
「腹を割いて臓物をぶち撒けろクレイス! 野蛮なロチアートならそれ位やってのけるだろう!」
特別席ではラルもまた、苛つきながら肘掛けを指先で小突き始めていた。
「何をやってる日陰草……力を示せと申した筈だ」
クレイスが再びに剣先をダルフに差し向ける。そして今度は、懇願するな声音でダルフに訴えるのだ。
「良いから剣を構えてくれ。民が怒っている。頼むから……」
ダルフは血液の垂れる腹部を抑え、苦悶の表情をしながらも毅然と返す。
「俺は君を切りたく無い」
「――――っ!」
「君の痛みが、苦悩が……繰り返される地獄の時が、俺には少し、分かるから」
クレイスの握り締めたグラディウスが、カタカタと揺れる。
「なんで? どうして、あんた……俺達ロチアートの事なんか……。そんな人、今まで」
――その時、罵詈雑言の民の声が一瞬で止んだ。何事かと思うと、天使の子ラル・デフォイットが立ち上がって、憤激の表情を露わに特別席から闘技場を見下ろしているのだった。
「何をやっているこの軟弱者共ッ!!」
恐々とした面持ちで、会場の民が一斉にラルの声に耳を傾ける。先程の喧騒が嘘の様に静まり返ってしまったこのコロッセオに、ラルの声だけが落ちる。
「もう良い……クレイス。その反逆者を
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