第117話 吐き気を催す光景


 背に深く剣を突き立てられた戦士が、足を引きずられて闘技場から下げられていく。そこに生々しく続く血の道筋に、ダルフはラルに振り返る。


「あの男、すぐに死ぬぞ。無益な殺生はしないんじゃないのか?」

「ふん。あれ位ならなんて事はない。微かにでも息があれば全快出来る」


 ラルはステッキを掌に当てて音を出す。

 ダルフが苦言を呈していると、民達が更なる盛り上がりを見せ始めた。何事なのか、足踏みをして手を叩き始め、地鳴りが止まない。


「「「ファ・ル・ロ! ファ・ル・ロ!」」」


 手を打ちながら、千の民が一つとなって男の名を叫ぶ。ラルは心地良さそうにしながら、訳の分からないままのダルフに口を開く。


「先程剣を突き立てた男が本日の優勝者だ。今日は特別な日でな、22隊の隊長、ファルロ・キシゲドンがに出向くのだ」

「勇猛の儀?」


 取り巻きの騎士が、高慢な態度でダルフ達へと付け加える。


「優勝者は家畜の身でありながら、我が栄光の騎士達と剣を交わらせる機会を得るのだ。本日は特別にファルロ隊長が勇猛の儀に出る。この盛り上がりはその為だ」


 ――騎士とロチアートが剣を交わらせる。そんな事の為にロチアートは闘い合っているのか? 一体何故?


 ダルフ達の居る4階の特別席の向かい側で、一層きらびやかな赤い衣装の男が立ち上がると、手に持ったラッパの様な形の筒を拡声器にして声を張り上げ始める。


『さぁさぁさぁさぁ本日の勇猛の儀! メインイベントの時間がやってきた! 何を隠そう本日の出場者は……ッそう! この大歓声! 栄光の第22憲兵隊隊長っ! 巨大な体躯、その腕力で全てねじ伏せる! その鎚で、どんな相手も一撃で葬り去って来た! ファルロっっキシゲドーーーーン!!』


 釣り上げ式の台座が地下からせり上がって来て、そこに巨大な鉄球のハンマーを持った、肌の浅黒い大男が、兜もせずに現れる。

 両手を挙げた岩の様な男を、民達の激しい歓声が盛り立てる。先程城内で騎士達の先頭に立っていた男だ。


『本日の挑戦者は! 敏捷な動きで敵を撹乱し、幾人もの同族に剣を突き立てて来た! 刺突の名手! メルドットーー!』


 控え目な紹介の後に、地下から兜をした男が現れた。丸型の盾とグラディウスを手にしている。つい先程、相手の背に剣を突き立てていた男だ。体には生々しい傷跡が刻まれたままだ。

 メルドットと呼ばれた男が現れると、民達は親指を下に向け、罵詈雑言を浴びせ始める。


『やはり人気は圧倒的! だが、どちらが勝つかは分からない! さぁさぁさぁさぁ、騎士隊長の出場するこのスペシャルステージ! なんとなんと特別に、あの御方から直々の言葉を頂くぞッ!』


 女を押しやってラルが立ち上がった。前髪を気にしながら、前に出ていく。


『こんな機会は滅多にない! こんなに有り難い事があっていいのか!? 今から御言葉を頂くのは! なんと……なんとなんとなんとッ! 我等が都、栄光の象徴ッ!! ラル・デフォイット様だぁぁあーーッッッ!!』


 ラルが民衆の前に出ていくと、この巨大なホールが崩れ落ちるのではと思う程に、民は狂乱して騒ぎ立てる。


「ラル様ァァァ!!」

「キャアアアアッ!」

「天使の子だ!! ラル・デフォイット様だ!」

「素敵! なんて有り難いの!」


 ラルが顔を斜めにしながら右手を挙げた。すると民の歓声がピタリと止む。


「昨今、ナイトメアとかいう輩が世界を混乱させている……」


 ナイトメアという名に、緊迫した空気が貼り詰める。数え切れない数の民が、押し黙ってラルの言葉に耳を澄ましている。


「だが我が栄光の都の民は。そんなものに恐怖する事は無い……何故ならこの都には、勇猛なる戦士達が居るのだから!」


 彼の言葉で、民が弾ける様な熱狂を始める。それは波紋の様に広がって声を大きくしていく。


「さぁこの俺様に、民共に、騎士の勇猛さを示せ! 圧倒的力にて、微塵の疑念も無くなる程に、永久とわの栄光を示せ!」


 熱気の渦がホールを包んだ。鳴り止まぬ拍手と叫喚が何時までも終わらない。空気が震え、白熱を始める。

 リオンは熱狂の民達をグルリと見回しながら、人知れず震駭しながら息を呑んでいた。


「行くぞぉ家畜!」


 ファルロは向こう気の良い凛々しい瞳をして、鉄球の鎚を肩に担いで歩み始める。メルドットもグラディウスを静かに構えた。


『開始ッッ!』


 実況の男の合図で、会場の民は各々の声を混じり合わせながら騒ぎ立てる。

 ダルフもまた身を乗り出して、事の行く末を窺い始めた。


 ――あのメルドットという男、体付きを見れば分かる。かなりの強者だ。


 そう接戦を予想したダルフであったが――


『おぉーっと! やはり強いファルロ・キシゲドン! メルドットは防戦一方だ!』


 メルドットはファルロの大振りの攻撃を避けもせず、馬鹿正直に盾で受け続けるのだ。時折攻撃も繰り出しているが、まるで腰が入っておらず、そこには敵意も殺意も感じ取れない。

 強者である筈の男の不審な行動に、ダルフは眉をしかめた。


「何をしている……攻撃は視えている筈だ」


 メルドットは確かにファルロの攻撃を目で追っている。それなのに攻撃を避けず、ただサンドバッグの様に立ち尽くしているのを悟られぬ様にと、気の無い反撃を繰り返している事がダルフには分かった。


「いいぞファルロ様ー!! 家畜の攻撃を全く寄せ付けねえ! 全部いなしてやがる!」

「何ていう力の差なの! 流石栄光の都の騎士隊長!」


 民達はこれがただの殺戮ショーである事に気付いていない。

 メルドットが鉄球による大振りの薙ぎ払いを盾で受けて吹き飛ばされた。

 ファルロが仰向けになったメルドットに走り寄りながら、高らかに笑う。


「ガァーッハッハハハ! 弱い弱いッ!」


 メルドットの頭上でファルロが鉄球を振り上げる。余力を残した赤い眼光がそこに注がれている。

 ダルフは叫ぶ様にメルドットに呼び掛けていた。


「――避けろ! 死ぬぞ!!」


 ダルフの叫びは民の声にかき消される。そしてメルドットは、何か諦めるかの様にして、両手をダラリと下げてしまった。


「カァァアアッ!!」


 ファルロが鉄球を彼の頭部に振り下ろした。民達が静まり返る中、彼が深く沈み込んだ鉄の塊を持ち上げると、そこに粉砕された肉塊がある。

 どう見ても即死。故意の殺害を禁じておきながら、頭蓋に渾身の力で鉄球を振り下ろしたファルロを、ラルも民も咎める事はしない。

 歓声の上がる城内で、ダルフは愕然し、戦士の無残な姿を見下ろしている事しか出来なかった。


「なんで……」


 即死したメルドットを見て手を打ち、喜びの叫びを上げる民達を眺め、リオンはひどく不愉快そうに囁く。


「気持ち悪い……やっぱりこいつら」

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