第115話 向けられる敵意


 緻密な装飾のあしらわれた大扉を押して、二人はその内部へと誘われる。

 そこは巨大な玉座の間であった。左右向かい合う様に約300名の騎士が面頬を下ろして整列し、中心に真っ直ぐ敷かれたレッドカーペットを挟んでいる。それぞれの部隊の先頭には、独自の装飾をあしらった派手な騎士が一人ずつ、計3名が兜をせずに堂々と立っている。おそらく隊長格であろう3名の中には女性の姿も見られた。


「来たか反逆者。ダルフ・ロードシャインと魔女の女」


 中央に敷かれたレッドカーペットの先には、大きな赤い玉座があり、肘掛けに片足を乗せ、寝転がる様な姿勢となった前髪の長い青年が、上段になったその場から、全ての者を見下ろしていた。左右には露出の高い女性が二人、彼にまとわりつく様にして膝を折っている。


「ミハイル様より話しは聞いている」


 ホドの天使の子ラル・デフォイットは、まだ少年のあどけなさの残る面相を自信気に披露しながらに、肘掛けから足を下ろす。そして威厳を示す様に、赤みがかかった細い翼を押し広げた。

 黒のチュニックの腰に赤い革ベルトを巻き、黒いハーフパンツの下に、豪華な木のサンダルを履いている。腕輪、首輪、指輪、あらゆる箇所に銀の装飾を纏い、手元には二本の細木が捻じりあった様な短いステッキがある。

 ラルは橙色の瞳を歪ませながら、凄むように威圧的な物言いをするが、少年の面影を残す十代の相貌では、それが何かチグハグな空気感を醸している。


「聞いている……が」


 ラルは左右の腕に絡み付いた女性を強引に押し退け、転倒させる。そして大股を開いた膝に肘を乗せ、前屈みになってダルフを睨み付ける。


「どうして誉れ高き天使の子であるこの俺様と、我が栄光の騎士達が、貴様らの様な日陰草の手をんだ?」


 仏頂面のまま語気を強めていくラルの言い草は、酷く二人を見下したものであった。

 同調する様に、騎士達も二人に冷たい眼差しを送り始める。


「分かっているか日陰草。天使の子というのは、世界の秩序を維持する存在として、この世の永遠の栄光の為に、大変に珍重するべきものであり、そうあって当然な……いわば神の様な存在なのだ。この俺様も含めてな」


 まだ出会って数秒であるが、二人にはこの男が内包する、高慢で、自尊心の高い気位が嫌と合うほどに伝わっていた。


「だが貴様は、……あろう事か、栄華の象徴である天使の子を殺めた。誉れある尊き存在を、栄光の9人の内の一人を。……貴様は忌まわしい反逆者だ!」


 揺れる事のない橙の眼差しを差し向けるラル・デフォイット。隊長格の騎士達も、同調する様に首を縦に振りながら眉間にシワを寄せている。

 ぶつけられる熱気に黙り込む二人。ラルは肘掛けの付いた玉座に寝転がり、ステッキを揺らす。すると女達がまたまとわりつき始めた。


「何をしたのか、上手くミハイル様に付け入った様だが、この俺様は欺けんぞ……今すぐにでも貴様らを殺す事も……」


 ラルは懐から黄金の筒を取り出した。それを見た周囲の騎士達が一様にざわめき出す。


 ――なんだあれは?


 ダルフはその黄金の筒を凝視する。片手に収まる小さな筒の上部には割れ目が入っている様だ。恐らくあの小さな筒の中に、騎士達のざわめき出す様なが入っているのだ。……しかし、あんな小さな容器の中に、一体どんな驚異が潜んでいるというのか?


「きゃああ!」


 ラルの左脇に収まっていた女が、目前のその筒に声を上げて驚倒きょうとうした。その際に長い色の付いた爪が、先程までまとわりついていたラルの腕に一筋の薄い切り傷を作る。


「――――アッッ」


 突如目を剥いたラルは、薄皮が剥けて微かな赤色の滲んだ自らの左腕を大事そうに抱えながら、つんざく様に絶叫をしたのである。


「イッッヅダア゛ァァァァァァアアア゛゛イィッッ!!! 僕のッ僕の腕がァァ!!」


 一人称がからに変わってしまった彼の足元にだけ、直下型の地震でも起こっているかの様に、ガタガタと激しく全身を震わせ始めたラルを、その場にいる全ての騎士が慨嘆しながら見つめる。


我が手に癒やされるエロヒムッ! 我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒムッ!!」


 ラルは右手に持った短いステッキを、何度も左腕に向けて振るう。するとたちまちに傷痕は消え、彼は平静を取り戻していった。そして彼の左腕に傷を付けてしまい、へたり込んで震え上がっている女性を物凄い形相で睨み付け始める。


「……僕をッ殺す気かッ!! この女を放り出せ!! 暗殺者だ!! この女は僕を殺す気だったのかもしれないぞ!!」

「ヒッ……! ヒィィイ! 違いますラル様、滅相もない! お許しを! どうかお許しをラル様!!」

「ならん!! さっさとつまみ出せ!!」


 女がまた擦り寄ろうとしたが、ビクリとしたラルはそれを押し退ける。その拍子で倒れた女性は、泣きじゃくりながら騎士に引きずられて退室していった。

 喧騒の中でリオンがダルフの耳元で囁き、クスリと笑った。


「随分な臆病者よ、あの男」


 ラルは興奮したまま、耳聡くリオンの吐いた息を聞いていたらしく、唾を撒き散らしながら過激な口調を彼女に向ける。


「笑ったか!? 今俺様の事を笑ったな魔女!」


 リオンは表情も無く、微動だにせずに返す。


「笑ってないわ」

「いんや笑った! 笑ったに違いない!! この栄光の存在であるこの俺様をっ!」

「……」

「お前達など……いつだって殺す事が出来るぞ!?」


 醜態を覆い隠す様にして、赤面したまま黄金の筒の上部に手を掛けたラルに、騎士達が息を呑む。


「……」

「……ッまぁいい! 今回は俺様の聞き間違いという事にしてやる。ミハイル様の言いつけを無下にする訳にはいかないからな!」


 何の反応も示さないリオンを睨みながら、ラルは結局、眉を八の字にしながら黄金の筒を懐に仕舞い直した。どうやらただ威圧する事が目的であったらしい。

 騎士達の喧騒が止むと、ラルは居住まいを正してから二人を見下ろす。


「……力を示して見せろ。ナイトメアなど俺様の前では驚異では無いが、使えるなら肉壁位にはしてやる」


 ラルは周囲の騎士達に向けて短いステッキを差し向けて命じる。


円形闘技場コロッセオへ連れて行け。そこで力を見せろ、反逆者と魔女の女。話しはそれからだ」

「コロッセオ……?」


 有無を言わさず騎士達に連行されていく二人。ダルフの背後に続く深くフードを被った魔女に、ラルは再び口を開いた。


「おい魔女。そういえば俺様の前で無礼では無いか……顔を見せろ」


 再びにピリ付きだした空気に、ダルフが振り返ってリオンを窺う。

 リオンは立ち止まると、言われたままに相貌を露わにした。するとラルはコロリと先程までの態度を変え、身を乗り出しながら感嘆の声を上げ始めた。


「……ほう。なかなかの美貌じゃないか。魔女がこんな娘っ子だとは思わなかった」

「……」


 押し黙ったままのリオンを穴が空くほどに見つめるラルは、明らかな興味を示している。


「なんだ、目が見えないのか? 産まれ付きそうなので無ければ、今すぐにでも治してやれるぞ」

「……」


 無表情のまま一言も発さないリオンを見つめ、ラルは臆面もなくニヒルな笑みを向けて言った。


「勿論ただではないがな……俺様の物になると誓うなら、お前を永遠の闇から引っ張り上げてやろう。どうする魔女?」


 騎士達が固唾を飲んでその問答を見守っている。特に甲冑に赤い彩色を施した、隊長と覚しき短髪の女騎士が恐ろしい顔で耳を立てている様子である。

 緊迫した空気の中で、リオンはサラリと答えてみせた。


「必要ないわ。目なんて……欲しくない」


 誘いを断られたラルに衝撃が走り、黙り込んだ。騎士達もふてぶてしく誘いを断った魔女の言動に、動揺を隠せない様子である。怒り狂ったラルが何をするか、騎士達は恐恐として彼の言葉を待つしか無かった。


「先程からこの俺様の前で……随分と気の強い女だ」

「……私は貴方に、興味が無い」

 

 魔女の冷徹な発言に騎士達は凍り付く。しかしラルは強がりながら、再びニヒルな笑みを刻み始めた。


「くっく……面白い……気の強い女は好みなんだ。ますます俺の物にしたくなってきた……おい魔女、名は?」

「リオンよ」


 姓も語らぬ不遜な態度に、ラルは声を上げて笑い始めた。


「クッハッハ! リオンか……良いだろう。だが、必ず貴様は俺の物にしてみせる」

「無理よ、貴方にはね」


 そんな問答の後に、二人はコロッセオへと連れられていった。残された騎士達は、未だ腹を抱えるラルの様子を恐れ多く窺っている。


「クックッ……女は気の強い程良い……なぁ、そうだろうお前?」

「ハッ……ハイ! 私もそう思います!」


 同意を求められた手近の騎士が、無理矢理に作った笑みと共に相槌を打つ。


「……そんな女を、屈服させるのが、俺様には何にも変え難い快感なのだ!」


 短髪の女騎士が鬼の様な形相でリオンの消えて行った扉を睨めつけている事に、気づく者は居なかった。

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