第111話 駒
二人が異様という程に雰囲気を変えたミハイルに恐恐として固唾を飲んでいると、やがて天使は俯いて表情を覆い隠し、肩を上下に揺らし始める。
「アッハハハ。そういうと思った。じゃあラル・デフォイットと手を組んでナイトメアを討伐してよ。君の事は各都に伝えておくから、程なくしたら堂々と歩いても大丈夫だろう」
ミハイルの様子にダルフは胸を撫で下ろし、玉のような汗をこめかみから垂らす。
「前金と言ってはなんだけど……」
ミハイルは懐から小袋を取り出してダルフに放り投げた。ずっしりとした袋の中身を確認するとそこには多量の金貨が入っている。
「武具を取り揃え、好きなものを食べるといい。傷の具合からみて、鴉紋の襲撃には最短でも
ダルフは頭を下げてから、ずっと自らの頭をもたげていたある疑問についてを、ミハイルに問い掛けた。
「ミハイル様。一つお聞きしたい事が」
「うん」
この世のタブーとされた疑念。本来口にするのも謀られる問いが、ダルフの口から惜しげも無く放たれた。
「ロチアートとは何なのですか……俺達と同じ人では無いのですか、何故喰われなければならないのでしょうか?」
教会内が一気にピリついて糸を張り詰めた様になるのをリオンは感じる。ミハイルは上を向いて考えた後に、こう切り出したのだった。
「君が決めればいいさ」
「え?」
「今ここでその全貌を明かす事は簡単だ。けれどその答えは君自らで導き出して欲しいと思う。あり方というのは流動的に変わっていくものであり、それが文明の発展であると思うから。何事もこうあらねばならぬという事は無い。君達人類で決定し、変えていけばいい」
釈然としない感覚を覚えるダルフに、ミハイルは顔を斜めにして挑発的な視線を送った。
「君の望む未来はイバラの道だ」
「……?」
「一つ伝えておこう。ロチアートの始祖を捕え、ロチアートと名付けたのは私だが、その子孫達を喰い始めたのは
リオンは顔をしかめて呟く。「人間……」と忌々しいかの様な語気を孕んで。
「私は一度だってそんな事をしろとは命じていないし、当初はそのおぞましい行為を咎めたりもした。だがそれでも人間は私の目を盗み、肉を喰らい続けた。まるで何かに取り憑かれたかの様に」
額の下に影を落としながらミハイルは続けた。
自らの目指す未来がどれ程の困難を極めるのかを、ダルフは今一度突き付けられているのだ。
「人類が私の言いつけを守らなかったのは、あれが最初で最後だろう。……分かるかダルフ。私にも止められなかったのだ」
歯軋りするダルフを満足気に見下ろすと、ミハイルはふんぞり返って六枚の翼を押し開いた。抜けた羽毛が舞い、その内の一枚を空で捉えると、眼前で陽光に透かす。
「だが、どうするかは
ミハイルは祭壇から勢い良く降りて二人の姿を眺める。
「さ、もういい? 久し振りに降りて来たからやる事が沢山あるんだ。面倒だよ」
ダルフは慌てふためきながらもミハイルに頭を下げると、深く礼を述べる。
「終夜鴉紋の件、頼んだからねダルフ」
「はい! 奴は必ず俺が!」
「うん、もっともっと強くなるんだよ。もう時間は余り残されていないんだ、
「……? はい!」
ダルフとリオンは大きな息を吐いてミハイルの元から離れ、木製の大扉へと近付いていく。すると――――
「リオン。君に話しがあるのを忘れていた」
「……私に?」
無愛想なまま振り返ったリオンは、ダルフを置いてミハイルの元へと歩み寄った。向かい合い、互いにジッと見つめ続け、思惑を探り合う両者。先に口火を切ったのはミハイルである。
「君はダルフの心に惚れ、彼の成長と勝利を切に願っている。……私と同じ様に」
「だから何よ?」
ミハイルはリオンの返答を受けて不敵な笑いを漏らし始める。全て見通しているかの様に。
「君には分かるだろう……?」
「……」
ダルフには悟られぬ様に、ミハイルは囁く様に息を吐いた。
「ラル・デフォイットを殺せ。ダルフの勝利を願うなら」
リオンは表情も無くミハイルを窺っている。片方の口角を吊り上げた存在が彼女に一歩近寄って来る。
「何も端から暗殺者として君を送り込む訳ではない。共闘し、それでも尚奴の左足の治癒される様な状況の予測される場合、もしくはそういった局面になったら殺して欲しいんだ。君には出来るだろう? 氷の魔女なんだから」
「私……恐ろしいわ」
「恐ろしい?」
リオンは呆然とミハイルを眺めながら言葉を続ける。ミハイルは彼女の周囲をまとわりつくかの様に歩みながらに、凝視して次の言葉を待っている。
「あなたには一欠片すらの悪意も無い。それが恐ろしい。人間をチェスの駒位にしか考えていないあなたが」
その言葉にミハイルは吹き出してから、嬉しそうにはにかむ。
「アッハハ、そうだね、僕には人と駒の見分けがつかない。だってそうだろう? 君は足元を歩く
「あり……?」
「あぁごめん。君にはナイトの駒が何を模しているのかも分からないんだったね」
腰を折って深く息を吐くと、ミハイルは長い睫毛を伏せる。
「もし仮に鴉紋が全ての都をうち滅ぼし、私の元へと届いた時には、奴は私の手には余る程に凶悪な力を身に着けているだろう」
「あなた以上にですって?」
「故に奴の左足を治癒される訳にはいかず……加えて私と肩を並べられる者が必要なんだ」
「……」
「それまでに、ダルフを仕上げて置いてくれ。過酷な困難を越えて成長し、私と肩を並べられる戦士へとね」
「……随分とダルフに肩入れしているのね。何か理由が?」
ミハイルはそこまで語ると、リオンに背を向けてしまった。リオンは返答が無いのを見て取ると、自らも踵を返して、立ち尽くしたダルフの元へと帰っていく。
「彼は最後の
リオンは微かなミハイルの声に立ち止まり、振り返っていた。
「……」
祭壇に羽毛を残して、ミハイルは消えていた。ステンドグラスからの虹色の輝きに羽が舞っている。
「最後の剣……?」
その言葉が不穏な空気を孕むのを感じながら、リオンはダルフの元へと歩んで行った。
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