第109話 唯一の友
ミハイルの現れた先ではどよめきが起き、人の群れが割れた。その背後に深くフードを被る二人が続く。
――俺達をどうするつもりなのか……。
決まっている。反逆者は断罪されるのだ。天使自らの手で執行するのだ。
それが分かっていながらも、二人は言われるがままに付き従う他が無かった。逃げる事も抗う事も許されないという事が、直感的に分かる。
迷宮の様に入り組んだ修道院を進んで、青空のテラスへと出ると、岩山の頂上。雲まで突き抜けるかの様な尖塔の教会堂にミハイルは歩んで行く。
教会堂の前で警護をしていた騎士達は、その存在を見つけると飛び上がって、一挙に棒を飲み込んだ様に背すじを立てた。
「ミミ、ミハイル様!?」
「誰も通すな。お前達もここを離れよ。聞き耳を立てる事は許さないよ」
「ははは、はいぃ!」
素っ頓狂な声を上げて騎士は走り去った。ミハイルの物言いは命令口調でありながら、不思議と威圧感を感じさせない。
ミハイルに続いて木製の扉を抜けると、そこは筆舌に尽くし難い程に美しい、ゴシック様式の大聖堂であった。天井は非常に高く、曲線になって板張りのヴォールト天井となっている。周囲を覆うステンドグラスは二層になって、それぞれが七色の光を取り込み、教会内は自然光のみでありながら、とても明るく、発光しているかの様な印象を受ける。左右取り囲む様に巨大な柱が立ち並び、壁に精緻な装飾が施されている。奥にパイプオルガン。左右には信者が祈りを捧げる為の木製の長椅子が並び、正面には白き祭壇がある。そしてその奥に小さな金色の十字架が掲げられ、聖母マリアのステンドグラスがそれを照らしていた。
決して派手では無く、しかしこれ以上無いくらいに目を奪われる。神聖であり厳かな空気に満たされていた。
「閉めてくれる?」
逃げる事も忘れてノコノコとついていき、挙げ句の果てに自ら戸締りまでするのを間抜けに感じながらも、後方に居るリオンが木製の大扉を閉めて閂を掛ける。
静謐で荘厳な密室の中で、二人は改めて冷や汗を垂らし、自らの辿る運命を待っていた。自分達の命運を決める、その存在の次なる言動を肝を冷やして待っていたのだ。
ミハイルは入り口付近で立ち尽くす二人を置いて、一度も振り返らぬままに奥の大理石の祭壇に登ると、神に貢物をする神聖なテーブルがまるで、自らの座椅子であるとでもいった具合にふんぞり返ってしまった。二人はそんな不遜な態度――しかして彼に不遜という言葉を当てはめられるのだろうか、とも思いながら目を丸くしていると、次に彼が起こした反応は、更に予測が出来ないものであった。
「ッハ! アーッハッハッハ! どうやって侵入して来るのだろうと思っていたが、まさか……正面から……堂々と来るとはっ! 流石
ミハイルは祭壇の上で、涙目になる位に笑い転げながら腹を抱え始めた。祭壇の手前に添えられた花束が足にあたって転がっていく。そんな光景に仰天しながらも、ダルフはミハイルの口から飛び出した
「父を……覚えているのですか?」
「当然だよ」
次にミハイルは笑いを抑え、キョトンとした表情をしながら座り直し、足を組む。
「ヴェルトは数百年に一人の逸材であり、我が唯一の
「友……? 父が、ミハイル様の?」
朗らかに今は亡き父の話しをする存在に、ダルフは心を緩めかける。ミハイルは美しく微笑みながら、ステンドグラスからの陽射しを仰いで瞳を瞑る。
「知っているかい? 私はある大仕事を遂げたヴェルトに3つの騎士団を統括するグランドマスターの任を与えたんだ」
「グ、グランドマスターだって……父が!?」
グランドマスターとは言うなれば全ての騎士の長である。そんな大層な話しをダルフは聞いた事が無かった上に、あんな田舎村にポカンと隠居していた父とグランドマスターなんぞという大それたものが、とても結び付かない様に感じた。しかしそんな荒唐無稽な話しすら、彼の口から出たのなら信じるしか無いのだろう。
「それなのにあいつと来たら……その命を蹴っ飛ばし、次には目にも止まらぬ
ミハイルの異様に長い話しの間隙に、リオンはダルフの背を引っ張る。
「そんな話しをしている場合なの?」
リオンの言葉でダルフはスッカリと心を許し掛けていた自分に気付いた。そして心地良さそうにペラペラと語り続けるミハイルに向き直る。
「――私直々の説得にもなかなか応じず。最終的に何とか彼の応じた条件が、「そんなに言うならネツァクの騎士隊長なら
ミハイルはそこまで語るとピタリと静止して、天に向けて閉じていた瞳を押し開いた。
「……だが確かに友であった」
黄色い虹彩が何処と無く寂しさを匂わせる。
「あの、ミハイル様」
「あぁごめん。長かった? 私は元来お喋りな
「……俺達を待っていたと言いましたね」
「うん」
「反逆者である俺を粛清されるのですか……」
「……もし、そうだと言ったら私はどうなるのかな?」
顔を前に突き出したミハイルは、組んだ膝の上に頬杖をついた。
突如にして筆舌に尽くし難い程のプレッシャーに押し潰されそうになるダルフ。
――思わず
「…………ッ!」
プレッシャーを押し退け、ダルフは毅然と顔を上げると、挑戦的な眼差しに応えるように、激しい瞳と共に腰のクレイモアの柄を握り込んでいた。
「押し通ります。俺には殺さなければいけない者が居る。奴を殺す為ならば悪魔にだって魂を売る。神だって斬る。そう決めた。これは俺の宿命なんです」
臨戦態勢となったダルフを眺めながら、ミハイルは愉快そうに破顔した。
「アッハハハハ! ヴェルトに育てられたんだねぇ君は! 私に真っ向から楯突く人間はロードシャイン家の者位だよっ! アハハ、大丈夫、からかっただけさ。私は君を
リオンとダルフは同時にハッとすると、怪訝な顔付きをミハイルに上げていた。
「断罪しない……? 天使の子を殺した俺を?」
「私は民の為に闘う君の気骨と、不死という能力を授かった君の天命に大変関心があるんだ」
リオンが歩み出て、二人の会話に割って入る。
「仮にセフトの長でもあるあなたが、天使の子を殺害したダルフを容認するっていうの?」
ミハイルの鋭い視線が流し目で彼女を捉える。
「……ロチアートのお友達が居るんだねぇダルフ。初めまして。ウィレムの森の氷の魔女さん」
リオンは体をビクリと跳ねさせてから、ミハイルに険しい顔付きを向け始める。
ダルフもまたミハイルの言葉に驚きを隠せないでいた。何故なら眼球の無いリオンをロチアートと判別する事など、魔物以外には出来る筈が無いと思っていたからだ。
ミハイルは黙り込む二人に応えるように話し始める。
「いかに血が薄まろうと、私にとって因縁の種族の匂い位嗅ぎ分けられる」
「因縁の種族だって?」
ダルフの抱いた疑念を他所にして、リオンは慎重に言葉を選びながら呟き始める。
「ダルフの持つ不死の能力。氷の魔女と呼ばれる私がダルフに同行している事……これはごく限られた者しか知り得ない事よ。どうして貴方がそれを?」
「私は知っている事が多い。君達の事や、
ミハイルの囁いた言葉に、ダルフは色めき立つのを抑えられず、気付く頃には祭壇に向かって走り寄っていた。目前に迫った黄色い虹彩が、発光しながらダルフを見下ろす。
「何処なんです、奴が次に現れるのは!? 教えて下さいっ!」
「それは順を追って説明する。私は言っただろう、力を借りたいと。つまり私はね
――君に終夜鴉紋を殺して欲しいんだ」
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