第102話 終末の角笛

 ******


 鴉紋は暗黒を支配している様に背の闇を押し広げながら、歪めた黒い虹彩を少年に向ける。


「赤い瞳を……グザファンの現し身うつしみを家畜だと言ったな……」


 静かな語り口であったが、それが逆に恐ろしく感じられた。彼の内包する冷酷さを見せ付けられている様で。


traitor裏切り者だとも……貴様は、そう…………」

「……こわいよ」


 クラエが冷や汗を垂らして呟くと、鴉紋は身を焼く程の感情を暴発させた。


「ッッィィイ言ッッタナァア゛ァアアアッッ!!!」


 はち切れんばかりの憤激が血管を浮き立たせ、力んだ表情を作る。口角も瞳も限界まで吊り上げられて、恐ろしい怒声と共に背の闇が空に逆立った。

 尻餅を着いてしまいそうなプレッシャーに耐えながら、クラエは懐から何かを取り出していた。


「き、君の異能力がまだ、変異の途中だという事は分かってたよ……だから僕は、君の全身が真っ黒になる事だって想定していたんだ」


 震える手で、クラエは金色に発光する角笛を取り出した。そして口に当てる。

 ――フォォオオオオオン、と低い音色が都中に響き渡り、闇夜に溶ける。


「……遊んでんじゃねぇぞガ――――ッッ!!?」


 ――――歩んで来ていた鴉紋の腹部に、閃光の様に速い存在が突撃し、そのまま上空へと連れ去っていった。

 それを見上げたクラエは安堵したように微笑する。


終末の角笛アポカリプスホーン。ごく短時間の間、ヨフエの能力を神の領域にまで飛躍させる神遺物だ。反動もあるし、一度きりしか使えないけどね」


 金色に発光する角笛を撫でながら、クラエはそれを空に掲げて眺める。


「この角笛というのは、一体何から出来ているんだろうね……似たような物を頭に付けた魔物は見た事があるけれど、彼等は死ぬと脆くなって崩れ去るだろう? それでは、このとは一体……」


 少年の疑問の答えは、手元に現したセファーラジエールにも記されなかった。


 ******


 上空に向けて腹部を突き上げて来ている存在にゆるゆると手を伸ばす鴉紋。


「なん……だテメェ!!」


 遥か上空へと連れ去られながら、鴉紋は確かにその存在を黒い掌で掴み込んだ。


「くっ!」


 すると腹部を突き上げていた存在はピタリと制止して、更に握り込んでいた鴉紋の剛力を太い腕で振り払った。勢いのまま上空へと投げ出された鴉紋であったが、闇の翼で勢いを制御して止まる。そしてその存在を見下ろした。


「ぅぅうううッッ!!」


 ヨフエが呻きながらその相貌で鴉紋を見上げた。灰色の瞳は炎が灯った様に光り、揺らめいている。そして彼女の背にあった小さな翼が、皮膚を引き裂きながら巨大になっていく。


「ぅぅぅうアアアアアッ!」

「何が起きている……っ」


 ヨフエが絶叫すると、大きな白い翼が闇夜に開いた。元あった二枚の翼に加え、もう一対、つまり四枚の巨大な白き翼が広がっている。


「天使の真似事か……くだらねぇ」

「ぅう……クラエ、を……虐める奴……は……ッ!!」


 左手に握られた短剣が分裂して二本となり、右手にも握られた。そしてその刀身は彼女の背丈程にもなる巨腕。巨人の腕の様になって、両手に握った短剣の下に垂れ下がる。


「俺の腕を振り払ったのはそいつか」


 人の変わったように真剣な表情のまま、少女の発光した灰の瞳が見開かれる。


「許さないッッ!!」


 四枚の翼をはためかせ、ヨフエが怒涛の速度で鴉紋に迫る。瞬く間に彼の前に現れると、巨人の腕を握り込んで拳を作った。


「どぉ許さねぇのか言ってみろぉおおッッ!!」


 銀の巨腕が鴉紋に繰り出され、それを腕で受けた鴉紋は吹き飛ばされた。凄まじい膂力がクラエの鳴らしたアポカリプスホーンによって実現している。

 思わぬパワーに面喰らった鴉紋は、舌打ちをしながら体制を立て直して反転した。そして即座に眼下に漂うヨフエに向かって突っ込んでいく。


「紛い物の腕なんぞでぇ!! 何が出来る!」


 闇の翼を打ち出しながらに、鴉紋は上方から飛来してヨフエに拳を振り下ろした。それは巨腕に阻まれたが、粉砕する。

 続けざまに残った左腕で殴り込む。しかしそこには既に巨人の拳があった。力む両者の拳がぶつかり合うが、拳を振り抜いた鴉紋がそれを砕いた。

 しかし――――


「くらえ悪魔!!」


 拳を振り抜いた鴉紋の頭上に、既に再生を遂げていた巨人の拳が待ち受けていた。


「ぐぅぅっお!!」


 頭を殴り付けられた鴉紋が落下していくが、直ぐに空中で止まる。垂れた鼻血を拭いながら、月を背にした少女を見上げる。


「鬱陶しい……砕いても砕いてもっ!」


 鴉紋が憎々しいといった風に憤怒していると、鉄板の様に肉厚の刀身が落ちてきた。


「……ちっ!」


 鴉紋はギリギリで頭を捩って避ける。逆立った頭髪が切り裂かれるが、両腕でガッシリと鉄板を掴んだ。


「また引きずり込んでやるッ!」


 鴉紋が鉄板を猛烈な力で引っ張り始めると、表面に細かい刃が現れて高速回転を始めた。鉄板を掴む鴉紋の腕で激しい火花が散るが、奥歯を噛み締めたままその手を離さない。


「ッそれがっどうした!!」


 自らの腕がチェーンソーで削られているのも構わずに、鴉紋は鉄板を強く引き寄せる。するとヨフエはこめかみに血管を浮き上がらせながら、巨大な4枚の白い翼を闇に広げる。


「あ?」


 鴉紋が引っ張り込むのに合わせ、その力を利用したヨフエが逆に高速で落下して来た。突然の襲撃に虚を突かれた鴉紋の腹に、巨人の腕が振り下ろされる。


「――ブフォッ!!」


 落下エネルギーも乗せた一撃に鴉紋は血を吐いて落下していく。ヨフエはそのまま空中で鴉紋に馬乗りになりながら、激情の灰の瞳を落とす。


「私とクラエの世界に、お前はいらない!!」

「だったら捻り潰すんだなぁッ!」


 空中でもつれ合い、マウントを取り合う両者。落下しながらも上になったのは鴉紋であった。


「潰れろッ」


 鴉紋の振り下ろす拳に、巨人の拳が合わさって砕ける。すぐに繰り出した次の拳にも銀の拳を合わされる。粉砕された刀身をキラキラと散布しながら、二人は落ちていく。


「ガキ!!」


 鴉紋は拳を防がれるのに構わず、拳を乱打し始める。激しい攻撃であったが、その全てが即座に再生する巨人の腕に阻まれた。


「消えるのはお前だ! 終夜鴉紋!!」


 ヨフエの短剣からぶら下がっていた巨人の腕が、分裂を始めた。一つ、また一つと同じサイズの腕が連なっていき、その拳を握り込む。

 その光景を横目にしながら、鴉紋は吠える。


「だから……それがどうしたってんだよぉォオ!!」


 ヨフエによって、下から絶え間無く繰り出されて来た無数の連打に、鴉紋は真っ向から乱打を合わす。幾つもの腕を粉砕するが、即座に再生しては、またその数を増やしていく巨人の腕。明らかにジリ貧なのは鴉紋の方だ。


「ぐぅっぼ!!」


 遂に鴉紋の乱打を掻い潜り、無限の銀の拳が鴉紋にぶつかり始めた。そして怯んだ拍子に今度はヨフエがマウントを取る。

 上方から、視界いっぱいに増殖した巨大な拳が鴉紋に影を落としている。


「……いなくなっちゃえ」


 空に四枚の翼を広げたヨフエの顔面に、太い欠陥が幾つも浮き出して血を噴き出した。異様に息も荒く、筋肉も痙攣している様だ。アポカリプスホーンによるドーピングのツケが、早くも現れてきている。


 空から無限の銀の腕が落ちてきて、鴉紋に炸裂した。何発も何発も叩き付けられ、鴉紋は一人、大広間の中央へと突き落とされた。


 激しい土煙の中で、倒れるでも無く、空を見上げた形で鴉紋は立ち尽くしていた。その光景を遠くから眺めながらに、クラエが愉しげに声をかける。


「今僕に黒雷を放てばひとたまりもないよ、終夜鴉紋」

「……」

「ははっそんな余裕無いよね……だって今から君は――――」


 大広間に再び、月光による巨大な球体の影が落ち始めていた。


「――――再びに、月に押し潰されるんだから」

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