第101話 引きずり出されたもう一つの人格

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 ヨフエは、明らかに纏う雰囲気を変えた鴉紋に鳥肌を立てた。クラエもまたそのプレッシャーに気圧されそうになりながらも、平静を装っている。


「ようやく出て来たね……君を何て呼んだら良いのかな?」

「……何言ってるのクラエ?」


 鴉紋は黒くなった足で地を踏み抜いて高く跳躍する。そして巨大な穴から出て、荒れ果てた大広間の中にセイルを見つける。


「君に会うためにわざわざ終夜鴉紋を痛め付けたっていうのに、余所見かい?」


 クラエは懐から巨大な銃口の拳銃を抜くと、鴉紋に向けて放った。彼はそれを避ける事もせず、魔力封じのベルンスポイアの網が覆い被さる。

 ゆったりと顔を上げた鴉紋は、そのまま右の掌を天に向けた。


「『黒雷』」


 魔力封じの網を被りながら、鴉紋は黒い雷を炸裂させた。咄嗟に銀の壁を展開したヨフエの短剣が激しく砕け散る。


「なんでなんでなんで!? ベルンスポイアが効いてないよクラエ!」


 ヨフエは思わずクラエの首根っこを掴んで鴉紋から距離をとっていた。


「見たことの無い魔法を扱う君の魔力回路は、僕達とは構造も性質も違うみたいだね……まるで違う世界から来たみたいだ。ふふ」

 

 余裕そうに語るクラエのこめかみに、脂汗が滲み出して来たのをヨフエだけが気付いていた。


「随分と痛め付けてくれたな」


 鴉紋は網を掴んで引き裂くと、残骸を辺りに投げ棄てた。そして首を鳴らし、指を蠢かせながら、確かな殺意が双子に向けられる。


「ヨフエ、構えて」

「え、でも距離をこんなに離したし、まだ……」

「良いからっ! 少し前の終夜鴉紋とは違うんだ!」

「えっ……」

 

 かなり距離を置いていた筈の鴉紋がヨフエの視界から消えていた。


「ヨフエ……っ下だ!」


 ヨフエが眼下に目を向けると、鴉紋が地を激しく踏み抜きながら、凄まじい速度で接近していた事に気付く。あまりの速度に一瞬消えたように錯覚したのだ。


「一度全力で飛んで退避!」

「っうん!」


 ヨフエはクラエの首根っこを掴んで、持てる限りの全力でその場を離れた。


「チョロチョロ飛んでんじゃねぇぞ……っ!!」


 突如として憤激した鴉紋がその黒い足で地を飛び上がる。風を切って夜空に舞い上がると、そのまま暗黒を空に這わせて加速して来た。初動に関しては明らかに鴉紋が早い。


「ヨフエ、壁! 一番固いの!」

「うんっ……ガッキン!!」


 速度に乗ればと思いきや、そうなる前に鴉紋が双子に届きそうになる。すんでの所で、ヨフエの短剣が巨大なダイヤモンドの形状となって鴉紋の前に立ち塞がった。


「オ゛ォアァアッ!!」


 鴉紋はそのまま身を捩り、ダイヤモンドに向けて拳を打ち抜いた。呆気なくそれは砕け散り、爆散する。明らかに以前よりも激しく、広く弾け飛ぶヨフエの短剣。それは鴉紋の黒色化が胸部にまで及んだ事により、拳を振り抜くという動作に更なる破壊力が生まれているからだ。


「っうぇぇえーウソ!」

「ヨフエ、急降下!」


 ヨフエは鴉紋を振り切って地に着いた。その正面に鴉紋が墜落して来るように足から降りて来て、激しい衝撃を起こす。

 眉間に深いシワを寄せながら、怒髪天を衝いた鴉紋が双子を射貫く。

 徐々に追い詰められてくる実感に恐怖を募らせながら、双子は身を寄せた。


「終夜鴉紋、別人になっちゃったみたいだよ!? あんなにボロボロだったのに」

「そう、別人なの! ダメージは蓄積されてるけど、黒色化して無理矢理に動かしてるの」

「ど、どういう事?」

「その話しは後」


 行き着く島もなく地を踏み抜いて鴉紋が飛び掛かって来る。爆発的な脚力により風を切っている。


「グサグサグサグサグサーー!!!」


 ヨフエは短剣を無数のレイピアの様に変化させ、逃げ場が無い程に鋭い突きを繰り返した。


「あっ……当たんないよぅ」


 鴉紋は右に左に激しいフットワークでそれを避けながら、尚猛進して来た。足が黒色化した事により、打撃の際の踏み込みに加え、凄まじい瞬発力を得たのだ。


「あぁ~もうっ、グサグサグサグサグサグサグサグサ!!!」


 遮二無二繰り出す刺突の嵐を掻い潜り、鴉紋が近付いてくる。そしてもう目前という所で腕を振り上げたその時、刺突の一撃が鴉紋の顔面に炸裂した。


「あたった!!」

「違うヨフエ!!」


 鴉紋は黒くなった口で、レイピアの切っ先を噛んで止めていた。そしてそのまま噛み砕き、一歩猛烈に踏み出してヨフエに拳を振り抜いた。


「バリァ……っヒっっぐ!!」

「ヨフエ!!」


 短剣で作った壁毎に、鴉紋の拳がヨフエを殴り飛ばした。小さな体は何回転も後転した後、仰向けになって目を回す。


「ひぃ~ぇええー……駄目だよクラエーーを使って~」


 目を回してはいたが、拳は外れていた様で、ヨフエに外傷は無かった。


「次はてめぇだ」


 未だ髪を逆立てる鴉紋が、一人棒立ちになったクラエに歩み寄って来た。額の脂汗を拭いながら逃げ出したいのを堪えて、クラエは問い掛ける。


「君にどうしても聞きたいことがあるんだ。終夜鴉紋にも聞いたんだけど、君の方にも聞いておきたくて」

「黙れ」


 静かな激情を携えながら歩んでくる黒い悪魔に、クラエは構わずその質問を投げ掛けた。


「君はどうしてロチアートを守り、人を殺すんだい?」


 ロチアートという言葉にピクリと鼻先を動かして不満を露にした鴉紋であったが、それよりも興味を引き立てたワードがあったのか、徐々に語気を熾烈にしながら、その問いに答え始める。


「グザファンの無念を晴らす為。未だいたぶられるあの女を救う為、俺は人間を殺す! 殺し尽くす! ミハイルも、神も、俺達を堕とした全ての存在に報復する!」


 クラエは瞳を細くしながらセファーラジエールを開き、手の甲に顎を乗せる仕草を見せる。


「君は過ぎ去った過去の為に闘っているのかい? だったらば虚しい話しだ。過去よりもこれからの未来を想像した方が建設的じゃないか」

「それはてめぇらに都合の良い理屈だろうが。未来は俺が作る。ムカつく奴等全員ぶっ殺して、俺の望む世界を」


 もう目前にまで差し迫った鴉紋を毅然と見上げ、クラエは続ける。


「もう一つだけ良いかい?」

「駄目だ、死ねよ人間」

「君にとっても面白い質問になると思うよ?」


 胸ぐらを強引に掴まれて吊るされたクラエは、目と鼻の先にある豪火の様で、闇のそのものの様な邪悪な存在に向けて、表情を冷徹なままにして口を開いた。


「僕が一番聞きたかったのはね。君もだと思うかい? という問いだよ」

「あ?」


 すると鴉紋は、憤怒していた表情を崩して、ケタケタと、嘲笑う様に声を上げ始めた。彼が揺れるのに合わせてクラエも髪を揺らしている。


「くっはははははは! 同じだと? 思い上がるのも程々にしろ」

「……というと?」

「赤い瞳はキサマらよりも高次な存在だ。思い上がってんじゃねぇ」

「僕も同じとは思わないよ。赤い瞳はただの家畜で、人間とは違う生物だ。……そういう事に、なっているんだ……」

「家畜だと!? 低俗な種族風情が息巻いてん……じゃッ…………うっ、ぐ……!」


 突如として苦しみ、呻き出した鴉紋が、クラエを投げ出して頭を抑え始めた。

 かと思うと、何やら苦しそうに口を開き始めた。


「ちが……う」


 鴉紋は再びに顔を上げる。憤怒しながらも、そこにあった冷酷過ぎる面影は消えている。


「同じだ……赤い瞳は、梨理は……セイルは! 俺と同じ、瞳が赤いだけの……人間だ」

「……終夜鴉紋か」

「例えルーツが違えど……同じ……人間なんだ!」


 懐をまさぐりながら、クラエは自らと葛藤する鴉紋に眉根を下げる。


「ふーん……その一点に置いて、君と終夜鴉紋では意見が違う訳か……もう分かったよ。僕の望んだ答えは返ってきそうにないから、続けようか」


 ゆっくりと振り返った鴉紋は、再びに冷酷で陰惨な雰囲気を纏っていた。空に更なる暗黒の翼を立ち上らせながら髪を逆立て始める。そうして次に、思い通りにならぬ鬱憤をただ撒き散らすかの如く、腰を深くしながら肘を引いて咆哮した。


「ガァぁあグアアアアぁあ゛ッッ!!!!」


 それは最早人の声では無く、凄絶なエネルギーを孕んで夜空の星屑を穢している。


「鴉紋……」


 離れた場所から闇夜に咲いた暗黒を眺めるセイルが、虚ろな表情をしながら呟く。


「キレイな翼」


 そうして彼女はにんまりと笑った。大好きな悪魔の様な彼の存在を、直ぐ側に、確かに感じながら。

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