第100話 出来るか出来ねえかは俺が決める
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「てめぇぇらッ!!」
額に青筋を立てて激昂した鴉紋が、常闇の中に確かな存在感を携えて、暗黒の翼を垂直に出力して飛び掛かっていく。
「ヨフエ!」
「バーリアーー!」
鴉紋の前で一際肉厚の壁となったヨフエの短剣、それが彼の進撃を遮る。
「ガアぁああっっ!!」
外灯の薄明かりの下に爆散する壁。オレンジ色に舞う白銀の煌めき。鴉紋にとってその防壁は意味を成さなかった。
猛進してくる悪魔のプレッシャー。少し怯んだ様な表情を見せたヨフエに反し、クラエは澄ました表情で網にくるまれたセイルの元へとしゃがみこむと、腰から小刀を抜き出していた。
「止まってよ終夜鴉紋」
「なッッ」
目を見張った鴉紋。背から打ち出される暗黒がみるみると萎んで進行を辞める。クラエが茫然とした表情のセイルの髪を引っ付かんで、その頚に左手に持った小刀を押し付けていた。
「君は悪逆でも、仲間を思う気持ちは忘れていない」
クラエの眼下に白い本が現れた。セファーラジエールはひとりでにその内部を開示して、宙に浮かんでいる。
「やっ……て、鴉紋……」
掠れた声を出すセイルの体から、鮮血が流れ出し血溜まりを形成し始める。
「キサマッ!!」
髪を逆立てる激憤の視線に相対し、クラエは冷静に小さな口を開き始める。
「どうしようかなぁ、殺しはしたく無いんだ。それともヘレヴヤフキエルで体をバラバラにした方が良い? 彼女にこれ以上動かれると面倒なんだ」
「やめろッ!!」
「だがセイルを今ここで切り刻めば、君が怒って、その暴力的な拳を僕らに振り上げる事も分かってる」
クラエはニッコリと微笑みながら提案した。否、セイルの生殺与奪を握られている状況において、それは提案では無く、命令であった。
「僕が早計にセイルに手を掛ければ君に殺される。しかしこうして膠着している間は、君も下手に動けない……」
「何が言いたい?」
「だから、このまま動かないでよ、終夜鴉紋」
クラエが視線を送ると、ヨフエはパッと明るい表情となって、小さな翼でパタパタと飛び上がり、鴉紋の前に浮かぶ。
「いいかい、そこを一歩でも動いたら……」
「くっ……そが!」
クラエが小刀をセイルの喉元に押し付けると、鴉紋は爆発しそうな位に怒りながらも、苦い表情を露にするしかなかった。
「キャハハハハ!」
愉快そうなヨフエは星空をバックに、短剣を眼下の鴉紋に差し向ける。
「ズバー! スバズバズバズバー!」
鴉紋に向かって伸びる無数の刀身が、鋭利な刃を無数に振り下ろしてきた。
「ぐ……ガキが!!」
鴉紋はその場を動かないまま、襲い来る刃を全て弾き落とし、粉々に砕く。
「あーっずるーい! クラエ、いいの? ガードするよ!? ずるっこ!」
「……いいさ、約束通り、一歩も動いてはいないんだから」
苛烈な視線でヨフエを見上げる鴉紋の額から、一筋の血が垂れてきた。とにかく時間を稼ぎ、この状況を打開する策を必死に模索する。このままではただ蹂躙されるのみである事を、鴉紋は理解していた。
「いいか……今にてめぇらの胸にこの腕をブチ込んでやる」
「ヨフエ、あれを」
「あれかー! じゃあもう終わりだね、キャッハハ!」
セイルを捕縛した網をズルズルと引き摺ってクラエはその場から距離をとる。何事かと思いながらも、鴉紋は必死に頭を回していたが、意外にもその解答は向こうからやって来た。
「チャンスをあげるよ終夜鴉紋、次の攻撃を受けきったら、セイルはこのまま捨て置いてあげる。どちらにせよもう動けないだろうし」
「……あ?」
しかし、希望を灯しかけた鴉紋の思惑は、次の景色で水泡に帰す事になった。
ヨフエは左手の短剣を天空の闇に向けた。美しい夜空の星々と月光が、その刀身を照らす。
「ぐるぐるぐる~~」
「……ッ?」
「ぐ~るぐるぐるぐる、ぐるぐるぐる~~!!」
夜空に向けられたヨフエの短剣は、刀身をひしゃげさせ、小さな球体になったかと思うと、高速で回転して、また一本、また一本と刃を追加しながら肥大していく
「なんだそいつはッ!」
何処までも肥大していく刀身は、華奢な少女が片手で掲げている事が信じられない程のサイズとなりながらも、更にパンプアップを続ける。細長い刀身を無数に折り合わせ、軋みをあげて高速回転を続ける。
「ぐるぐるぐる~ッ!!!」
「……何処までデカくなる気だ!」
「ぐーるぐーるるる~~っと……っ出来た!」
「……っ!」
出来上がった巨大な銀の球体は数え切れない程の刀身を重ね合わせ、それぞれが回転して火花を上げながら、夜空に浮かぶ満月が、そのまま墜ちてきたのでは無いかと錯覚させる程のサイズとなって、影を落としていた。
「終わりだね終夜鴉紋」
離れた場所からクラエが呟く。セイルもまた、息も絶え絶えにその光景を見上げ、そこに絶望を刻んだ。
普段おっとりとした口調で話すヨフエであったが、次の言葉だけは酷く荒々しく発音していた。
「ズッッギゃあぁァアアアアアンンッッッ!!!」
惑星が一つ鴉紋の頭上に墜ちてきた。一瞬唖然としながらも、腰を深く落とし、再び背に暗黒を爆発させながら、頭上で黒い腕をクロスして、それを受け止める体制となったのが最後に見えた。
――――次の瞬間。とてつもない地響きをたてて大広間の石畳が全て捲り上がった。そして月は、地に幾重にも亀裂を走らせて、無情にも深く沈み込んでいった。
足元が浮く様な激しい衝撃と爆裂音の後、壊滅した大広間を眺め、クラエは胸を撫で下ろす。
「こんな技、宮殿では使えないからね」
「まさか……私達をここに誘導した……あの時から、こうなるって分かって……」
土煙が晴れると、ヨフエが弾けるような声を出し始めた。
「ヤッター!! やったよクラエ、倒した! でもぉ……あれ?」
短剣を元に戻したヨフエは、髪を漂わせながら出来上がったクレーターの様な穴を除き込んでいる。
「どうしたんだいヨフエ?」
クラエはあっさりとセイルを置いて飛び上がると、ヨフエの隣に来て、一緒になって隕石の衝突した様な巨大な穴を見下ろす。
「クラエ、見て……」
「……終夜鴉紋」
深い穴の中央で、頭の上で黒い腕をクロスしたまま、鴉紋は両の膝を立てて原型を留めていた。しかしこちらに視線を向ける余力すら無く、全身に夥しい傷を作っている。
「木っ端微塵になると思ってたのに、残念だねクラエ」
「意識が無いのか……」
「げほ……っ」
鴉紋の頭が揺れて、頭に乗った破片が落ちる。その光景を見下ろし、双子は驚愕した。そして片方の瞼を半開きにした傷だらけの相貌は、ゆっくりクラエを見上げる。
「………………。一歩も……動いてねぇぞ」
「……ッ!」
「うぇ!? なんで動けるの!?」
頬を震わせた双子は手を取り合って血だらけの悪魔を見下ろす。肩を揺らしながらも、クラエはヨフエを安心させようと口を開いた。
「……しかし両の足を砕いた。もう立ち上がれない」
膝を着いた鴉紋の足は、あらぬ方角に曲がっていた。頭上で受けた衝撃により、踏ん張っていた足が先に砕けたのだ。加えて全身はズタズタに裂かれ、無事である部位を探す方が困難な程になっている。
「セイルを、離……せ」
「もう放置してきたよ」
「……」
クラエは高度を落として鴉紋の表情を窺った。そして髪を撫で付けながら呟く。
「もう一押しかな……?」
鴉紋は頭をゆらゆらとさせながら、クラエを睨み付ける。しかしそこに先程までの迫力は無い。
「で、どうするんだい終夜鴉紋」
「……」
「その状態で無傷の僕達と闘うのかい? それとも、もう降参する?」
「降参……?」
鴉紋は自らの足が砕けて曲がっている事に気付いてもいなかったのか、ぼんやりとしながらも立ち上がろうとして、そのまま転がった。
「だってそうだろう? 闘うどころか、君はもう自分の足で立ち上がることも出来ないじゃないか」
「ちょっと……待ってろ」
鴉紋はそのまま地に座り込んで、骨折してねじ曲がった両の足に手を伸ばす。
「うわわぁー、ヤバいよクラエ、終夜鴉紋って」
「そうだねヨフエ。尋常じゃない。イカれているとしか表現できない」
鴉紋は苦悶の表情をしながら歯を食い縛り、両の足を元の形へと無理矢理に戻している。
「そんな事をしたって無駄だよ終夜鴉紋」
「何……が無駄だ、」
「君の靭帯はネジ切れ、筋肉は切断され、右足は腓骨が、左足に至っては頸骨が折れて開放骨折している」
「黙って待ってろ……」
「踏ん張り過ぎて大腿部の筋肉も弾けている。君はもう立ち上がれない」
「勝手に決めてんじゃねぇぞ……」
クラエは深いため息と共に肩を落とす。その背後ではヨフエが恐々として行く末を眺めていた。
「勝手に決めるも何も、そうなっているんだよ、人体の構造的に……君はそんな事も分からないし、受け入れられないのか? 物事には理屈ってものがあるだろう?」
「……」
「指が無ければ物を掴む事は出来ないし、瞳が無ければ視界は開けない。僕が言っているのはそういったレベルの話しだ」
侮蔑するような視線を投げる少年に、鴉紋は見せ付けるようにして、元の形状に戻しただけの右足を地に着いてみせた。同時に飛び上がる様な激痛が彼を襲うが、顔を青ざめさせながら口角を上げたと同時に、未だぎらぎらとした視線を向き合わせる。
「知った……ッ……事か!」
繋ぎ合わさって無い骨が、鴉紋の筋肉にめり込んでいく。ブルブルと顔を震わせながら立ち上がろうとするが、血の
「おいおい、辞めてくれよ終夜鴉紋。そんなムゴイ光景を僕らに見せないでくれ」
「おぇえ~」
しかし鴉紋の眼光は苛烈さを増す。眼球を真っ赤に充血させながら、再びに右足を着く。
「ふんっっ……ぐぬぅうう!!」
「……何が君をそうさせるんだい?」
「ぁぁああア゛!! 俺がここで倒れたら、誰が
「……!」
鴉紋は息を荒げながら、遂には左足までも地に着いた。
「出来るか出来ねぇかは俺が決めるッ!!」
自らの体重でズレた骨が肉に深く突き刺さる。耐え難い、想像を絶する痛みを堪え、鼻腔を押し広げながら膝に手を着いている。
「今……までもッ……これからも!」
「……無駄だよ。理屈というのは覆せるものじゃないんだ。君は立てない」
鴉紋の噛み締めた奥歯から血が垂れていく。膝はその痛みにガクガクと揺れる。丸め込まれた背中から血が噴き出している。
しかし視線は獣のそれだ。血の泡を撒き散らしながら、獣は吠える!
「黙れ……!! 俺が出来ると言ッテンダぁあッッ!!!」
「な……っ」
鴉紋の背に闇が爆発する。立ち消えかけていた筈の暗黒のエネルギーが、今一度拡散している。そして彼のズタボロになった
「アアァア゛アアアア゛゛っ!!!」
「暴慢もそこまでいくと、畏敬の念を抱きそうだよ」
風前の灯だった鴉紋のエネルギーが一挙に流れ出す。それは背にごうごうと滾る闇の翼が証明している。そうして鴉紋は、黒く変化したその両足を着いて立ち上がった。激烈な憤怒をその表情に刻み付けて。噛み殺さんとする様な敵意を持って。
「やれやれ、つくづく君とは話しが合いそうに無いね」
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