第97話 大嫌いな女が、大好きだったから
クラエがヨフエに合図を送った。すると彼女はニコリとして少し飛び上がってから、短剣の切っ先を鴉紋に向ける。
「ひゅる、ひゅるる~~っ!!」
ヨフエが奇怪な擬音を発すると、短剣は何処までも伸び、細く、そして薄くなって揺らめきながら、放射状に広がって来た。あまりの範囲に逃げ場が見当たらない。
「速い……来るよ鴉紋!」
「あんな薄っぺらな刃、俺が砕いてやる」
何処までも範囲を広げて迫るヨフエの短剣が、鴉紋とセイルを一挙に絡めとろうと頭上から迫り、その揺らめく紙の様な刀身を広範囲に、無数に突き立てた。
「まるで網に捕まった気分だな」
「本当にこれが剣だっていうの?」
形容するならば、放られた網に捕らわれた様になった鴉紋とセイル。そして彼等を囲う細くなった無数の刀身が、一気にその幅を狭めていき、網の内部に居る存在を押し潰そうとする。翻る地盤、絡めとられそうになる足元。
鴉紋はセイルの前に立って、背の暗黒を横にした形で頭上から迫る刀身を受けた。
「……確かに普通の鉄じゃあ無いみたいだな」
無数の刀身がギリギリと鴉紋の翼を押しやっている。徐々に刃が上下左右から迫って来る。
「鴉紋が力負けしてるの?」
「これ……ならどうだッ!!」
鴉紋はそのまま、目前に迫った紙の様な刀身を殴る。細く薄いその刃は粉々に砕けるが、即座にその刀身を伸ばし元の通りへと戻ってしまった。
「何だとッ!?」
「驚いた。いかに細くなろうと、その剣を破壊できる物質があるとはね……」
自在に変化する刃は、へし折ろうがすぐにその刀身を伸縮させ、失った質量すらも元に戻す。その光景を刃の網の外から眺めながらクラエが口を開く。
「だが、いかに君の剛力が凄まじかろうが、そんな理屈や常識だって神の力の集約された短剣には及ばない」
すると網の内部から鴉紋の怒号があった。
「黙れクソガキ!! 神がなんだ、常識がなんだ、理屈がなんだ!!」
「はぁ……」
鴉紋は周囲に迫った刀身を、その黒い両の掌でもって、思い切り掴んだ。
「んなもん俺には関係ねぇんだよッッ!!」
鴉紋は掴み込んだヨフエの短剣を、思い切りに引っ張った。すると短剣を握るヨフエはグンと引っ張られ、「キャ」と短い悲鳴をあげた。ひどく驚いた様子で目をパチクリとしている。
鴉紋は身勝手にキレまくりながら吠えて、短剣の剥き出しの刀身を無理矢理に握り、引き寄せる。どうやら鴉紋の黒い掌の硬度を持ってすれば、ダメージを負うことも無い様であった。
「うわ! うわわわわぁクラエー!! 怖いよぉ、私引っ張られてる!」
「ヨフエ! 刃の幅を狭めて終夜鴉紋を押し潰すんだ!」
「もうやってるけど出来ないのぉー! 抑え込まれてて動かないよ!!」
悪魔のような形相で網を引き寄せる鴉紋。その背後ではセイルが屈んで彼を見上げている。
「あ、ヨフエ。あれをやってみて」
「……あ、あれかぁ~、ありがとうクラエ、やってみるー!」
ズルズル引き摺られながらも、以外にも能天気な様子の双子は、何か思い至ったらしく、微笑みあった。そしてヨフエが元気一杯に口を開いた。
「ぎゅぅぃぃいいいいいん!!」
ヨフエの擬音に合わせて、鴉紋の握り込んでいた刀身の形状が変化する。細かい刃が無数に並び、それが高速で回転を始めたのだ。まさにチェーンソーの様に。
「ぐぅぅうっぐ……ッ!!」
「大丈夫鴉紋!?」
鴉紋の握り込んだ掌から火花が飛び散る。高回転する刃に、彼の拳すらも徐々に削られて、火花を起こしているのだ。
「やったぁクラエ、これなら行けそう! あぁ怖かったぁ!」
「うんうん、良かった良かった、頑張ってヨフエ」
「うん、怖いけど、あと少しだから頑張るね」
未だ刀身を捉えながらも、鴉紋が膝を落としていった。背後にはセイルを抱え込んでいる。しかし逃げ場はこの刃の網によって完全に塞がれていた。
「飛ぶよ鴉紋!」
「……く」
突然にその刃の網は凝縮し、塊となった。嬉しそうに覗き込むヨフエだったが、そこから滴る筈の二人の血液が見当たらない。
「あっれぇー、おかしいなー?」
見ると、近くに起きた桃色の魔方陣の上で、鴉紋とセイルが息を荒げている。
「あー!! もー、なんで逃げるのッ!! もーー面白くない!!」
「やっぱり既に結界が完成されてる。もう遠くには飛べないからね。せいぜい数メートルが限度!」
「あぁ、助かった」
咄嗟にセイルの転移魔法で二人は難を逃れた。転移を妨げる結界が完成されていたが、目視数メートルの範囲であれば術の行使が出来るのだ。
「来るぞセイル」
「うん」
ヨフエが地に降り、延びた刀身を元の短剣に戻して俯いている。鴉紋達は不穏な空気を纏う彼女から、次繰り出されてくる攻撃を警戒し、腰を深く落としていた。
「もう……やだ」
俯いたまま呟くヨフエに、クラエが怪訝な表情を向けた。
「ヨフエ……?」
「もう、ヤダー!!」
両腕を上げ、泣きべそをかき始めたヨフエに、セイルは目を丸くする。
「ヤダヤダヤダ! 今ので終わると思ったからガンバったのに! 怖いもん!! あいつ私の剣を掴んで引っ張って来るんだもん! そんなの怖いもん!! そんな奴今まで居なかったもん!!」
「あぁ……もうヨフエ~」
クラエは嘆息し、頭をもたげながらヨフエの元へと飛び、慰める様に頭を撫で始める。
訳の分からぬ展開に、鴉紋とセイルもその光景を眺めるしか無い様子である。
「鴉紋、何なのあれ?」
「……俺に聞くな」
ヨフエはクラエの手を払い、バタバタと激しく地団駄を踏み始める。
「あと少しだから、頑張ろうよヨフエ」
「ヤダー!! 疲れたし眠いもん! あとお腹も空いてるの! もう動けない! こんな時間まで起きてた事ないんだもん!」
「もう終わるからさーヨフエ。お願い」
「ダメったらダメ! だってほら見て、もう3時だよ! お腹が空いて動けないの! 頭も動かないし、おやつにしてよ!」
「おやつは正午の15時だろう? 今は深夜の3時。外は闇に覆い尽くされているじゃないか」
「ヤダヤダヤダ!! 食べたいの! 苺のショートケーキがいいっ! じゃないと疲れて動けないし、頭も回らないの!」
「頭なら僕が使うけど」
「ちっがーーう!! そういう事じゃないの!」
左手の短剣を泣きながらブンブン振り回すヨフエから、眉を垂れ下げたクラエがやや離れていく。
「あぁもうまた予想外だよ。ヨフエはこうなったら聞かないからなぁ」
「いいクラエ! 女の子はね、甘いものを食べないと頭が回らないしやる気も出ないの!」
するとクラエは手元に発光する分厚い本を現し、必死になってページをめくった。けれど彼の望んだ知識が即座に記されるはずのその本に、いつまで待ってもその回答が書き込まれない。
「そんな事、このセファーラジエールには書いてないんだけど……」
「女の子はみんなそうなの!!」
「僕のポケットにクッキーだったら入ってるよ?」
「違うの、今は苺が食べたい!!」
「そんな事言ったってどうするんだよ」
「ティータイムにするの! じゃなきゃ頑張れない!」
クラエが泣きそうな顔でチラリと鴉紋達を窺った。
「無理だよ、こうしている今だって彼等はこっちの隙を窺っているよ?」
「大丈夫だよ、あっちにはセイルちゃんが居るもん! セイルちゃんだって女の子なんだから、一度お茶休憩にしたい筈なんだから!」
「だったら聞いてみなよ」
「うん!」
ヨフエは肩を落として落胆するクラエの前に出て、セイルに飛びっきりの笑顔を見せた。
「ねぇねぇセイルちゃん! セイルちゃんもお腹が空いたよね? ティータイムにしない?」
呼び掛けられたセイルは困惑し、邪気の無い笑みを見せる少女を眺める。
「疲れてるでしょ? 一回休憩して、その後でまた戦お? 苺は好き? たーくさん苺を乗せたショートケーキを持ってきてあげる! キャハハ!」
「はぁ……」
瞳を座らせて短く嘆息してから、セイルは空中を漂い始めた少女に、静かに答える。
「確かに、疲れたし、喉も乾いてる……」
「ね、そうだよね、キャハハ!」
その返答に面喰らった鴉紋が彼女の横顔を眺め始める。
「お腹も空いてるし、甘いものも食べたい……」
「うんうん!」
「でも……」
セイルは細く鋭い苛烈な赤い瞳を上げ、その手元に炎の大弓を現した。
「あれ、セイルちゃん?」
「だから言っただろうヨフエ」
ごうごうと燃えるこれまでよりもずっと巨大な漆黒の矢じりを創造し、その弓を引く。標準を天使の少女に定めながら、ゆっくりとセイルは口を開いた。
「苺は嫌い……大嫌いな女が……大好きだったからッ!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます