第二十章 Castor

第96話 神遺物 ヘレヴ・ヤフキエル

   第二十章 Castorカストル


 ゆらゆら揺れる黒い炎が、暗黒を鈍く照らしながらその範囲を広げている。数え切れない程のロチアートの体が、肉を焦がし、溶け出して、一つであった巨体を分離させながら死に絶えていく。


「何故だ、セイル」

 鴉紋が物憂げな表情をして、闇に踊る赤い髪の背中に投げ掛ける。


 嗚咽の様な声や、熱さに悶える悲鳴が無数に続いたが、すぐにそれは収まっていき。やがて水を打った様に静まり返ったその地下牢に、最後にぽつりと、溶けてドロドロになった肉の何処いずこから、少女の声が落ちた。


「ありがとう」


 セイルはその生命の終わりを見届けてから振り返り、逆光で表情を闇に覆い隠しながら、鴉紋の問いに答え始める。


「しょうがないよ。あの体になったらもう治らないし」

「……そうじゃない」

「死にたいってゼルは私に言ったの。それに、鴉紋は殺せなかったでしょう、ゼルの事」

「ちがう、そうじゃない……っ」

「……貴方に殺せない敵は私が殺す。例えそれが貴方に望まれなくても、私と鴉紋が生きる為なら私は……」

「チガウッ!!」


 一際大きな声を出してセイルの言葉を断ち切った鴉紋は、その黒い光彩を闇に震わせながら、指先をセイルの隠れた表情へと向けていた。


「俺が言っているのは……そのっ!」


 漆黒の炎が一瞬、セイルの表情を照らし出す。

 普段の面影を微塵も感じさせない程に吊り上げられた口角。愉悦に綻んだ様に弧を描く瞳。かつて見たことも無い程に破顔した少女の面相がそこにはあった。


「あぁー! 創るの大変だったのに! 壊れちゃったじゃない私のオモチャ!! もー!!」


 動揺する鴉紋に遠慮もなく、ヨフエの声が割って入って来た。その地下牢の高い天井に空いた風穴の下で、小さな羽をはためかせて空中に留まりながら、頬を膨らませて腕を組んでいる。その背後から、クラエが白い本を開きながら怪訝な視線をセイルに落とし始めた。


「僕の用意した600名の騎士の包囲をどうやって掻い潜ったの? 君を担当していたクルーリーが、そんな単純なミスをするなんて考え難いんだけれど」

「……」

「おいおい、そんな事僕の手にするセファーラジエールに目を落とせばすぐに分かる事なんだ。ほら、もう文字が浮かび上がってる。つまり時間の無駄だから教えてくれないか、と君に提案しているんだけど」


 クラエが嘆息して左手に開いた白く発光する本に視線を落とし始めると、セイルは彼を睨み付けながら口を開いた。


「魔物が来たの、数え切れない程の魔物が広場を覆い尽くした。そして私は混乱の最中、鴉紋を助けるために一人ここにテレポートした」

「えー魔物!? ねぇねぇクラエ! 魔物って言うこと聞くの!?」

「聞かないよ。魔物は人類を殲滅しようとするだけの生物だからね」

「じゃあなんであいつらの味方をするの?」


 クラエがヨフエに細い目を差し向けながら、パタリと本を閉じると、そこにあった本は闇に消える。


「さぁ、今はまだ分からない。けれど僕の掲げるが、より信憑性を増してきた様だ」


 クラエは小さな翼をはためかせてヨフエの前に出ると、鴉紋を無邪気な少年の瞳で見下ろした。


「ねぇ、終夜鴉紋。やはり君は、そういう事なのかなぁ?」


 栗色のポニーテールが、顔を前に出して首を捩ったのに合わせて揺れる。その下では瞳を輝かせる童心が煌めいている。


「訳の分からねぇ話しは終わりだ。大人ぶった口調で話すんじゃねぇガキ」

「怖い怖い! こっちを睨んでるよクラエ! 私達大丈夫かなぁ?」

「大丈夫。僕達の勝利は動かないよヨフエ。2対2……いや、2対1になってしまったけどね。僕は闘えないから」

「キャハハ! クラエはてーんで運動神経無いもんね!」

「僕達は一人ではincomplete不完全。君のエロスと僕のロゴス。互いの不足を補いあい、二人揃ってcomplete完全だ」

「うん、そんな感じがする!」


 上空で身を寄せ会う双子に向けて、セイルが炎の大弓の標準を定め始めた。そして鴉紋が口を開く。


「すぐにその羽をもぎりとって、はらわた引き摺り出してやる」


 鴉紋の言葉の終わりに、その漆黒の矢じりは解き放たれた。ただ真っ直ぐに双子に向かっていくが、凄まじい速度と熱風である。


「うわわわ! ヨフエ、ヨフエ、ヨフエぇええッ」


 慌てふためくクラエを、ヨフエが首根っこを捕まえて飛行する。セイルの矢じりは天井を大きく貫いて風穴を空けていった。


「なんて威力なんだろう。遮蔽物も意味をなさない。これでは僕達の宮殿を穴だらけにされてしまうよ。……それにしても黒い矢じりに炎の大弓……何処かで聞いた事がある様な」

「ぅううー」

「……それにしても黒い矢じりに炎の大弓……何処かで聞いた事がある様な」

「何でもいいけど重いよークラエ」


 クラエを吊り下げながら高度を落としてきたヨフエに、セイルは再び大弓を向けた。


「あぁあ来るよヨフエ! 来る来る来る、早く飛んで!」

「うるさいよクラエー」


 セイルが正面に向けて炎を放ったが、素早く飛行するヨフエにそれは当たらず、背後にあった巨大な鉄檻が漆黒の熱により、みるみると溶けて形を変える。


「なんて温度なんだ。あの鉄檻をあぁも簡単に溶かすのか」

「べーだ! 真っ直ぐならどれだけ早くても当たらないもん!」


 舌を突き出したヨフエの右45度の方角に、桃色の魔方陣が現れていた。同時にセイルの足元にも魔方陣が現れている。


「そう? 角度は自在だから、良かった」


 セイルは足元の魔方陣に向けて漆黒を放った。それは即座にもう一つの魔方陣から現れて、凄まじい速度で双子に迫る。


「バーリア!」


 確実に捉えたと思った刹那。ヨフエの前方に突如として銀色の壁が現れて、鉄を溶かす程の黒い矢じりの豪炎を打ち消していた。


「っなにあれ!? これもあの短剣の?」


 ヨフエの前方にあった銀色の壁は、みるみると収束して彼女の左手に握った短剣の刀身へと戻る。

 鴉紋も驚いて、自在に伸縮するヨフエの短剣を凝視して声をあげた。


「鉄も溶かす炎だぞ……その短剣、どうなっている」


 メタセコイヤを連想させる様な真っ直ぐの刀身に、左右に細い刃が伸びている。独特の形状のその短剣を左手に握り、ヨフエはクラエと共に地に降りた。鴉紋達とはまだ距離を置いている。


「っはぁ重かったー!」


 額の汗を拭うヨフエの背後で、地に降ろされたクラエが口を開く。


「何を驚いているんだい終夜鴉紋。ヨフエの短剣ヘレヴヤフキエルは、神の創造物だ。俗世の物質で太刀打ちできる訳が無いだろう」

「神だと?」

「そうだよ、知らないの? ……この短剣は神話で座天使ヤフキエルが神より賜った物のオリジナルだ。故にあらゆる常識を越え、形状や、質量すらも自在に変化させる。いわば神遺物だ」

「神……」


 ヨフエがその短剣を見せびらかす様にして前に突き出した。そして自慢気にニコニコ微笑みながら、小さな白い羽をパタつかせる。


「そうなの、これ神様の剣! スッゴいでしょ? ミハイル様から貰ったのー!」


 やや怯んだ様子のセイルが、怪訝な表情を落としながら汗を垂らしている。


「もしあれが本当に神の創造物なら、私達の力があれに敵うのかな」

「……」

「ねぇ、鴉紋」


 すると鴉紋は顔をくしゃくしゃに歪め、クスッと鼻で笑った。それが反響し、双子の耳にまで届く。


「くっく……馬鹿が。その名を聞くと、途端に薄ら寒くなるのは俺だけか?」

「へぇ、終夜鴉紋。君はこの時代に、無神論者なのかい。つまり君は神など居ないと言いたいのかな?」


 絶対的な力を前に、怖じ気る風でも無い彼を、クラエは訝しげな表情で眺めている。


「いいや……そいつが居ようが居まいが、どうだっていい」

「じゃあ何が言いたいんだい君は?」

「もしそいつが実在するなら、俺の一番嫌いなクソってだけだ。こので、何もかも掌握した気になった、ふてぇ野郎が居んのなら……」

「君は……」


 鴉紋は愉快そうにしながら、黒い指を顔前でゴキゴキと鳴らせていた。


「ぶん殴って泣いて喚かせて、不様に地に頭を擦り付けてやりてぇ……そう思ってたんだ」


 ヨフエは苦い表情を見せ「げー、ワクワクしてる」と気味悪がったが、セイルは一人、極上の蜜でも吸い上げたかの様に瞳を輝かせて笑った。


「重症だね君達は……」

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