第十八章 ロチアート達の怨嗟

第88話 反感

   第十八章 ロチアート達の怨嗟


 私を抱き抱えて闇の翼で舞い上がった鴉紋は、歯を食い縛った口元に幾重もの深いシワを刻み、憎々しい表情で宮殿を後にした。

 状況が飲み込めずに慌てるアーノルドやフロンス達を連れながら離脱していく道中、ヨフエに追い回されズタボロになったシクスは、民家の屋根の上で身を隠していた様で、息を荒げながら合流した。

 そして私達はアーノルド達の住む森へと帰った。何の目的も果たせず、ただボロボロになって逃げ帰ったのだ。

 元のキャンプ地から少し離れた場所に移動していた拠点に雪崩れ込み、全員が顔をしかめながら地に伏せったり、切り株に腰を掛けたりして息を上げる。キャンプに待機していた家族達の手当てを受けながら程無くして、フロンスが傷付いた腕を抑えながら、皆の前にヨレヨレと歩み出た。


「……すみません。完全に私の誤算、私の責任です。クラエ・インプリートの能力を見誤った私の……」


 傷を負った全員と、数を減らしたアーノルドの家族達を見回しながら、フロンスは深く頭を下げる。


「ゼルはどうなったのです!? 出会ったのでは無いのですか!? ゼルを連れ帰るという目的はどうなったので!?」


 アーノルドは、顔いっぱいに玉の汗をかきながら、震える老体で鴉紋に歩み寄る。同行した青年達も鴉紋の言葉を慎重に待っている様子だった。


「ゼルは……」


 鴉紋は長い睫毛を伏せて風にそよがせながら、ギリギリと奥歯を噛み締め、額に青筋を立てながら苦悶の表情をするばかりだ。


「鴉紋、私から話す」


 彼の二の句を継いで、私は見てきたものを、ゼルの有り様とヨフエの狂態について、全てを話した。



 私の話しを聞きながら、皆顔を青ざめさせていく。そして全てを話し終えると、ガタガタと震えながら青年達は狼狽えた。


「そんな……じゃあゼルは!」

「なんて事だ、何が作品だ! 俺達の体を使って……なんて酷い事を!」

「じゃあ生きているのか!? これまで連れ去られた家族は、俺の妹は!?」

「生きているなどと言えるものかっ! バラバラに切り離され、ぐちゃぐちゃに付け合わされッ死ぬ事も出来ず、ただ痛みだけに支配されている状況を!」

「ッ……」

「なんて酷いんだ。俺達が、少なくとも生物であるって事すら忘れてやがるみたいだ!」

「あぁそうだ! なんておぞましいんだ!」


 そこでアーノルドは瞳を上転させ、泡を吹いて倒れた。それを青年達が抱き抱える。


「……何が救世主だ」


 アーノルドを中心に寄り集まった青年達は、あろう事か鴉紋に対して厳しい目付きを向け始める。


「俺達を救ってくれるんじゃなかったのか」

「ゼルが目の前に居たのに、逃げ帰った! どうにかして元に戻せる方法があったかもしれないのに!」


 何を言い始めるんだこいつらは……全員が、この絶望を誰かのせいにしようとしている。そうすれば何か救われる訳でもないのに。

 鴉紋に向けられる敵意に、私は反発する。


「やめて! 私達はゼルに手を差し出した! だけどゼルは……ゼルは自らあの場に留まると言った! こんな姿じゃあもう帰れないって、私に言ったの! っだから鴉紋はっ!」


 私の言葉を、鴉紋は手を上げて制止していた。その眼は深く、暗く淀みながら、だが確かに携えられた決意があった。


「鴉紋……」


「あんたは全てのロチアートを救うんじゃなかったのか!?」

「言ったじゃないか! ゼルがいなければ俺達はお仕舞いだって!」

「今の襲撃でまた家族を失った! それなのに何も得られなかった! 恐ろしい事実が浮き彫りになっただけじゃないか!」


 鴉紋は彼等の勝手な罵声を、ただジッと座りながら聞き続けている。静かにただ何も言い返さずに、頭を下げる。


「てめぇら兄貴に無茶苦茶言いやがってッ!」

「シクスさん……今は、堪えるのです!!」


 全身に火傷を負ったままのシクスが憤るが、フロンスがそれを止めた。鴉紋の心に灯るその決意に、水を差さない様にとしながら、自らも瞳を吊り上げて激昂に堪え忍んでいる。

 好き勝手に彼等は鴉紋を罵倒した。それを鴉紋は黙って全て聞いていた。そしてしばらくの後、彼等は背を向けて歩き出す。


「もういい、俺達はこの地を離れよう」

「でもここを離れたら家族達の食料は……」

「じゃあお前はヨフエの生き人形として玩ばれるのをこの地で待つっていうのか?」

「……わかったよ出よう。家族がそんな目に合わされる位なら、ここを離れ、痩せた土地で、ひもじい生活をした方がマシだよ」


 鴉紋は私達の元を立ち去っていく彼等に言葉をかけた。


「待て、お前らだけじゃ危険だ。安全な所まで送っていく」

「あ~もう兄貴。無茶苦茶言われまくった挙げ句にそれかよ……どうしてロチアートにゃそんなに甘いんだ」


 シクスの言った通りの感想を私も鴉紋に抱いていた。はらわたが煮え繰り返りそうな程に腹の立つ、身勝手な彼等に温情など欠片も見せたくは無いと思っていた。けれど、一番辛い状況にいた筈の当の本人は、未だ彼等の身の安全に気を配っている様子なのだった。


 そして無数の冷たい視線が鴉紋に振り返る。


「嫌だね」


 否定の言葉を発した彼等にフロンスが歩み寄る。


「待って、家族を守りたいのなら、あなた達も冷静になるべきです。一晩ここで休んだら私達の体も十分に動きます。ですから明朝共に……」

「奴等の狙いは今や有象無象の俺達じゃなく、世界を混乱に陥れるあんたらの一団だろう」

「ナイトメアですって?」

「あぁ、そうさ、あんたら自分達が今や何て呼ばれてるかも知らねぇのかい? 世界に落ちる悪夢。言い得て妙だよ。あんたらが来たからゼルはあんな事になった。あんたらは俺達ロチアートにとっても悪夢そのものだったんだからな」

「すぐにナイトメアを狩るべくこの森に奴等は来るだろうさ。多分すぐだ。もう近付いてるかもしれねぇ。むしろあんたらと離れて行動した方が、俺達が逃げるための囮になるってもんさ」

「……そうですか」


 気を失ったアーノルドを青年がおぶり、辺りの家族達に向けて声を上げる。


「みんな、俺達はこの地を離れるぞ、すぐにテントを畳んでくれ!」


 そそくさとテントを畳み始めた彼等を眺めながら、私達は一所に固まって座り込んだ。心身ともにドッと疲れが押し寄せる。


「へっ! 勝手にしやがれゴミ共が!」


 一人腕を組み、苛立ちをつのらせるシクスの元に、おかっぱ頭の少年が駆けてきた。


「シクス!」

「んだガキィっ!? ……ってマッシュかよ」

「みんな怒ってるね」

「あぁそうだな馬鹿馬鹿しい! 怒りの矛先が違うってんだ!」


 マッシュはシクスのボロボロになった袖を引っ付かんで、頭を下げさせると、耳元でヒソヒソと話した。


「シクス達が僕達の為にボロボロになって闘ってくれたのにね」

「……。おお」

「うん……でもみんな、誰かのせいにして、どうしようもない気持ちを誤魔化そうとしてる。そうじゃないと、前を向けないから、家族を守れないから」

「……マッシュ。おめぇ実は賢かったのか? 俺より頭良いだろ」


 するとマッシュは、しゃがみこんだシクスの肩の所で鼻水をかんで、ニカッと笑う。


「っが! なにしやがんだマッシュ!」

「みんな、冷静になったらシクス達に謝りに来ると思うよ。でも今はみんないっぱいいっぱいなんだ。だから僕から言うね。……ありがとうナイトメア」

「……」

「うん! あとね、シクス。小さいテントと少しの食料。あそこの林の奥に隠しておいたよ」

「……マッシュ。お前頭切れすぎだろう。鼻垂れ小僧の癖に」

「へへ」

「……気ぃ付けろよマッシュ。不味くなったら、自分一人ででも逃げ出すんだぜ。死んじまったら、何もかも終いなんだからよ」

「うん、シクス達も気を付けて! 僕は応援してるよ、ナイトメア!」

「あぁ……じゃあなマッシュ」


 少年は私達の元を離れていった。そうして彼等はテントを畳み、もぬけの殻となった森の中に、焚き火だけを残して去っていった。

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