第87話 彼は望まなかった

 ******


「貴様……何故来た……まだセイルちゃんの事を利用するつもりなのかッ!!」


 有無も言わさず激昂するゼルの巨体が鴉紋に突っ込んだ。


「ゼルっ!? やめて!」


 数百のロチアートの筋肉が凝縮したようなパワーに、鴉紋はそのままゼルに引き摺られて壁に身を打ち付けた。


「貴様がセイルちゃんを!!」

「が……っハ……なんだこいつは!?」

「この顔を忘れたかっ鴉紋!!」

「ッゼルか!? なんだその体は!」


 一方的に敵意を向けるゼルに、私は叫ぶ。


「やめてよ、どうして二人が争わなくちゃいけないの!」


 しかしゼルは耳を貸さずに鴉紋を睨み続けている。


「ぐっ……その体がヨフエの作品という訳なのか……?」

「鴉紋、お前は僕が殺す!」


 ゼルが桃色の吐息を口元から垂れ流し始める。その異様さにいち早く気付いた鴉紋は、背の黒き翼でゼルを押し退け、そのまま私の前にまで飛んで距離をとった。


「逃げるな鴉紋ッ!」


 ゼルの姿に鴉紋は明らかに動揺している様子だ。それは恐らく、彼の体に埋め込まれたロチアートの顔面がこちらを向いて睨み付け始めたからだ。

 すると再び突進しようと構えたゼルが、唐突にビクリとして動きを止めた。

 格子の向こうの大扉が音を鳴らして開け放たれた。


「あ~もう、無茶苦茶じゃないか終夜鴉紋。まるで重機だ」


 高い少年の声が落胆しながらそこに現れた。その前には数え切れないほど大勢の、銀の甲冑がひしめき合っている。


「ヨフエは帰ってる?」

「いえクラエ様。貧民街のシクスを追いかけ回しているらしく、未だに……」

「っもう! 計算外はヨフエもか。は~」


 ひしめき合う甲冑の頭上で、小さな翼を羽ばたく少年が、スカイブルーのリボンを揺らして私達を見下ろしていた。

 理知的な瞳は灰色であったが、他は寸分たがわずヨフエと同じ姿の少年が宙を漂っている。


「ガキが、また来やがったか」

「ぁあ怖い! そんな恐ろしい眼差しを僕に向けないでくれよ!」


 鴉紋は拳を引き絞り始めた。しかしクラエはというと、腕を組んで何やら考えている。

 

「てめぇは今ここで握り潰す……」


 暗黒の翼を噴出した鴉紋が腰を落とし、飛び掛かろうとすると、クラエは少年の良く通る声でこう言った。


「もう終夜鴉紋」


 興味を失ったようにしてクラエは瞳を閉じて欠伸を始めた。


「……黙ってろ、今すぐにてめぇら全員殺し尽くしてやるから!!」

「ま、待って鴉紋!」

「セイル」

「理由は分からないけど、逃げていいって言ってるんだよ? 何百の騎士と天使の子をこのまま相手にするのは無謀だよ! 一度退いた方がいいに決まってる!」


 しかし鴉紋は血だらけの顔で前髪をかきあげながら、眠そうにしているクラエに向かって言い放つ。


「どういうつもりだガキ」

「どういうつもりも何も、君の力を見誤っていたから逃げていいよと言ったんだ。極力こちらも被害を増やしたくはないからね」


 どうみても形勢は私達が圧倒的なまでに不利だ。それなのにクラエは私達を逃がそうとしている。何なのだこの少年に宿る自信は?

 するとクラエを取り巻く騎士の一人が、眼鏡を中指で押し上げながら私達に言う。


「分からないのか。クラエ様は情報を修正すれば僅か程の被害も出さずに貴様達を完封出来ると言っているんだ」

「クルーリー。それ、言わなくていい」

「はっ。これは失礼致しましたクラエ様。あまりに知性に欠けた逆徒でしたので、つい」


 頭を下げたその騎士をクラエは困ったように見下ろしていた。そして鴉紋はクラエに食って掛かる。


「はっ、どうだか……てめぇにとって不利な何かがあるから、逃げて欲しいんじゃねぇのか?」

「……確かに傷を負っているとはいえ、未知数の君が今ここで暴れれば、どれだけの被害があるか分からない。けれど四百人を前にして、君の勝率は数パーセントあるかどうかだと思うけど」

「やってみるか?」

「構わないけど、君の仲間の首は百パーセント獲れるよ、それでもやる?」

「なんだと……この!」

「それにしても百聞は一見にしかずというのは本当だね。知った話しだけでは君にここまでの膂力があるとは思わなかった。大幅な評価の修正の必要がある。……だから逃げていいよ。」


 クラエはさっさと踵を返して行ってしまう。その選択が取れる筈の無いという、鴉紋の思考を読みきっている様に。


「でも確かに君の首を獲るには駒が足りないんだ。それに場所も良くないという事情はある」

「待て! この俺を舐めてるのか!」

「舐めてないよ。君は落ち込む程に僕の想像を越えてきたんだからね。それに焦らなくても僕達はすぐにまた会うことになると思うよ、終夜鴉紋」

「待て!」

「またおいで。次会うときは僕とヨフエ、二人で君の相手をするから」

「……ッ」

「あぁそれと帰る時にその部屋を荒らさないでくれると助かる。ヨフエが泣いてしまうから」


 鴉紋は屈辱を噛み締めながら、しかしこの場は退く事にした様で、私の体を持ち上げて横抱きにした。

 

「……ぁっ」


 鴉紋の顔がすぐ側にある。

 そして背の翼に乗って、打ち壊した天井の風穴に向かって飛んだ。


「待って、ゼルも一緒に!」


 小さくなっていくゼルは、静かに首を振って、緩く微笑んでいた。

 鴉紋が私を片腕に抱え直し、去り際に天井を殴ってぶち壊した。

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