第86話 巨大な地下牢

 ******


「……ん」


 目覚めると冷たい石の床に頬を着けていた。凍り付きそうな程の寒さに体温が奪われている。暗く静謐な何処かで、私は横たわった体を引き起こした。


「手錠……」


 私の両の手首には紫色に発光する鉱石の手錠がかけられている。試してみたが、外れる訳も無かった。


「傷が治ってる」


 穿たれた背中は痛んだが、感電した事による身体中の火傷は治まっている様だ。何者かが気を失った私をここに連れ込み、治癒魔法を施したのだろう。


「そうだ、シクス!」


 反響する自分の声に、ここが密室である事を意識する。辺りは薄ぼんやりとしていた闇に満たされていて、窓もなく、射し込む光りすらも無い。

 気絶する直前の記憶を呼び覚ます。するとどうやら、シクスは上手く逃げ仰せたのかもしれないと思った。彼はここには連れ込まれていない様だし。


「何処なのここは?」


 立ち上がった私は、その闇の中をさ迷い歩く。すると、何処からか肉を擦り合わせる様な物音がして、私は振り返っていた。


「……ッ誰か居るのっ!?」


 返事はない。ただ果ても見えぬ闇の空間が何処までも続いているような気がするだけだった。不気味に感じた私は、その物音から遠ざかるように歩みを進めていく。すると、程無くして鉄の格子が私の行く手を阻んだのだった。


「檻……」


 闇に慣れてきた視線を見上げると、その格子は、十メートルはある高い天井から伸び、私の足下の地面に突き刺さっている。


「こんなので私を捕らえていられると思ってるの?」


 私は転移魔法でその格子の先へと飛ぼうとした。しかし、私の足下には微塵の魔方陣も浮かんでこない。それどころか、全く魔力が練り上げられない。


「なんなの! どうして魔力が!」


 手首で紫の光を放つ手錠が輝きを増している様に見える。


「まさかこの手錠が魔力を封じ込めてるの? そんな物質聞いたことも無いわ!」


 また冷たい闇の奥から物音がする。無意識にビクリと肩を飛び上がらせていた。


「早く行かなくちゃ……クラエ・インプリートは私達の作戦を見抜いていた。だからきっと、鴉紋達の事も」


 私達が敵を引き付けている間に、鴉紋達は宮殿に忍び込み、手早くゼルを救出して離脱する算段だった。しかし私とシクスの陽動を見事に看破していたクラエが、鴉紋達に気付いていないとは思えない。私達の元にたったの二部隊しか現れなかったのが何よりの証拠だ。間違いなく残りの四部隊とクラエ本人は、鴉紋達の迎撃にあたっている。


「戦闘は避けるつもりだったのに、どうして……」


 クラエは限られた僅かな情報だけで、私達の心理を読みきっていた。何が戦闘向きの能力じゃないだ。彼の呆れるほど明晰な頭脳は見事に私達を出し抜き、今こうして首根っこを鷲掴みにしているではないか。

 

「正面から立ち向かっても敵わない。だから、危なくなったらすぐに離脱する……」


 フロンスの言葉を繰り返しながら思うのは、捕らえられた私の事など気に止めず、無事に撤退していて欲しいという願い。


「鴉紋……」


 どうしてだろう。そんな事を頭の中で嘯きながら、この胸中にはもうひとつ、矛盾した滾る思いが胸を焦がしている。

 格子を掴んで膝から崩れ落ちる。そうして何もかもを包み隠してくれそうな暗黒に紛れて、願ってはいけない思いの一端を吐露していた。


「助けて……」


 気を失ってからどれ程の時間が経過しているのか、閉ざされた闇の中で、それは分からない。だがその秒針が確かに動き続ける様に、膝を着いて静かにすすり泣く私に向かって――ヒタヒタと、忍び寄る様に、そして怯える様にして近付いている者がいた。

 私が振り返るよりも先に、その涼やかで何処か甘い、聞き覚えのある声が、私の背後に向けられていた。


「……ヨフエに捕まってしまったんだね、セイルちゃん」

「……っゼル!?」

「待って!」


 暗闇に射した希望という光に振り向きかけると、どういう訳かゼルはそれを強く制止した。語気が非常に荒く、飄々とした言葉遣いをする彼が発した言葉だと思うと、肝が冷えた。


「え?」

「振り向かないで」

「どうしてなの?」

「……お願いだから」


 妙な気配を孕んだ物言いに、ひとまず私は言われた通り、振り向かずに続けた。


「良かった、無事だったのね!」

「……」

「私達、あなたを助けるために来たの、アーノルド達も来てるよ」

「……助けに来た?」

「そう。鴉紋達も一緒よ」

「鴉紋……!」


 明らかに怒気のこもった声がその名を呟いた。何をしているのか、やはり背後からは肉を擦り合わせる様な物音がけたたましい程に聞こえてくる。


「やはり奴か……奴のせいで君はこんな危険な事を!」

「どうしたのゼル? 落ち着いて」

「何故君をこんな危険な所に連れて来たんだ……クラエに狙われていると知りながら、わざわざ敵の手の内に飛び込む様な真似を……ッ!」

「それは私達が望んだからよ! ……ゼル、もういいからここを出よう。みんな待ってるから」

「…………僕はもう帰れない」

「え……」


 様子のおかしいゼルに振り返ろうとすると、また私の行動は中断された。


「待って、振り向く前に最後に聞いて」

「どうしたのゼル、帰れないってなんで?」

「……。この言葉を聞いたら、振り向いてもいい」

「……?」

「セイルちゃん……僕は君を愛していた……それは心の底から本当の気持ちだった」

「こんな時に何言ってるのゼル?」

「愛している。セイルちゃん」

「ゼル……」


 彼と月の下で語った光景が、こんな闇の中でありありと浮かんだ。あの時と同じ何処か甘ったるい彼の声に向かって、私はゆっくりと振り返っていた。


「――――ぇ、…………き、きゃああああッ!!」


 振り返った先の闇の中で、変わり果てたゼルの巨人のような体が立ち尽くしていた。

 数え切れない程のロチアートのパーツを組み合わせて出来上がったその醜い姿。下肢には数百の足が取り付けられ、それぞれがまだ生きているかのように蠢き、自由に動き回りながらも、巨大な足を形成している。腕も胴体も同じようになって蠢動し、巨大な体躯は背を折り曲げている。そしてゼルの上半身だけが、巨人の頭であろう部分に張り付けにされ、虚ろな瞳だけを私に向けていた。その周囲には数え切れない程の、正気を失い疲れ果てる、ロチアート達の顔面が埋め込まれている。

 その恐ろしい姿に、無意識に声を振り絞っていたのだった。


「こんな体では、もう君を抱き締める事だって出来やしないんだ」

「なに、それ……腕が、足がパーツだけになってもまだ生きているみたいにッ」

「醜いだろう……ヨフエ・インプリートの芸術とは、こういう事だったんだ」


 絶句した私は思わず嘔吐していた。

 そしてゼルは半ば錯乱しながら、その巨体の腕を広げてその体を惜し気もなく見せつける。


「この体を見ろ。この巨体に付いているのは全部拐われた家族の体だ! みんなこんな体になっても死ぬことが出来ず、ただから逃れる為だけに、漠然と息をしているんだ!」

「痛みから逃れる?」

「そうだ、もう誰も生きていたくなんか無いのに!! 正気を保ってる奴なんて、誰も居ないのに、死ぬ事も出来ないんだ!」

「その体、一体どうなって……?」

「それがヨフエの短剣の能力だ」

「ヨフエの能力は、剣の形状を変えるだけの能力じゃないの?」

「違う……奴の短剣は切り刻んだものを能力だ。バラバラにされても、その部位は頭だけとなって、指だけとなって、強制的に生命活動を続ける! 切り離された体は、ただ痛覚だけを残して生き続けるんだ」

「痛覚だけを残し……い、意味がわからないわ! どうなっているの!?」

「俺だってわからない! だが切り離された俺の下半身が、もうそこに無いのに関わらず、感覚を、痛覚を残して感じられるんだ! 分かるか、この生き地獄が」


 私がゴクリと生唾を飲み込んだのをゼルが眺めていた。


「……もうすぐ君もこの体の一部になる」

「……ッ」

「恐ろしいだろう……奴のせいだ。鴉紋が君をこんな所に連れてきたせいだ!!」


 ゼルがその表情を苛烈にすると、身体中に密集した手足が呼応するように震え、動きだし、彼の上半身に並んだ無数の顔が呻き出した。


「やはり奴は利用しているんだ。君の心を、ロチアートの事を! でなければ敵の牙城に踏み込んで、たった一人のロチアートを助けるだなんて無謀な事をさせる訳がない!」

「ち、ちが……鴉紋はロチアートの為に戦ってる。この救出作戦も、危険だからって私達は止めたの。でも、鴉紋だけは拐われたあなたの命を救おうと――」

「違う違う違うちがうチガウチガウッッ!!」

「ゼル!」

「騙されているんだ! 人間にッ!! その優しい心を利用されているんだっ心の汚れた人間にッッ!!」


 ゼルは人間への疑心暗鬼に刈られ血眼になって腕を振り回し始めた。


「だったらどうして助けに来ないんだ! 声を殺して助けを求める女の子の声に、どうして奴は答えない! ロチアートの為に戦っているのなら、どうして!?」

「落ち着いてゼル!」

「君の恋心を利用していたんだ! だから奴は来ない、来れる訳がない! ここは宮殿の地下。敵の本拠地のど真ん中! こんな危険な所に、狡猾な人間が乗り込んで来る訳がない! 自らの身が守れれば、奴等はそれでいいんだから!!」

「鴉紋は……ッ」


 ――鴉紋はきっと来る。

 その言葉を私の口は紡げなかった。

 クラエ・インプリートは恐ろしいほどに巧妙に私達の先手を打ってくる。彼の手腕の前では、鴉紋もただ真っ直ぐに突っ込んで来たのでは敵わない。

 作戦が筒抜けとなった今、そこまでのリスクを犯して鴉紋が私を救いに来るだろうか……。

 

 もし、今この状況に置かれたのが私でなく、梨理さんだったら――――


 鴉紋は何もかもを捨ててこの場に飛び込んで来ている。そんな気がした。

 私は梨理さんじゃ無いから、鴉紋はきっと来ない。

 結論に至り、私は力無くただ黙って俯いてしまった。


「セイルちゃん。僕のこの複数の意思の宿る体では、自らを傷付ける事は出来ない。でも、他者であればそうする事も出来る」

「……」

「君をこんな醜い姿に変えて、痛みだけに支配される体にする位ならば、今ここで、僕が殺してあげる」

「……」


 ゼルの言葉を聞きながら、それも良いかなとただ思う。これ以上鴉紋の足枷になるのならば、鴉紋に必要とされないのであれば、私はこの世界で息をしていたくも無い。


「もうじきヨフエが来ても不思議ではない。彼女が現れれば、この体は痛みの記憶に突き動かされ、もう僕の自由には動かない。だから、今のうちに……」

「いいわ、やってゼル」


 ゼルは黙って頷くと、その腕を振り上げ、両の掌をガッチリと組んだ。固く組み合わされたその掌で私を一思いに押し潰すつもりらしい。


「いくよ、セイルちゃん」


 ゼルは化物になった体で涙を一筋に垂らしていた。だけどその涙を拭う指先は、もう彼には無いのだ。


 ――あぁ、私が死んだら、鴉紋はこんな風に泣いてくれるのかな?


「………………」


 ただその時を待っていると、凄まじい衝撃が私達の居る地下牢にまで届いた。


「……っなんだ?」


 天井から瓦礫が落ちてくる程の衝撃。地下に反響する瓦解する物音にゼルは辺りを見回す。


「……ッまただ!」


 その巨大な鉄球で宮殿をうち壊している様な振動と物音が、私とゼルの居る地下深くにまで響き、確かに近付いてきている。


「まさかな……そんな筈がない、奴がここに来れる訳がッ」


 来ている! 壁を暴力的に破壊する衝撃が、近くに、すぐそこまでに! 頭の先から爪先までもが震える様なプレッシャーが確かに近づいているッ!


「ア゛ア゛ア゛アアッッッ!!!」


 厚く、冷たい地下の地盤をうち壊し、瓦礫と共に鴉紋が私の前に降り立った。


「……ッ!」


 目前の光景が信じられずに、私は目を見開いていた。


「がアアァアアア゛ッッ!!!」

「バカなバカなッどうしてお前がここに……こんな所に!!」


 ゼルはその光景を否定して怯んでいた。だが確かに鴉紋は、悪魔の様な雄叫びと共に、私の前に舞い降りたのだ。頭から血を被った様な真っ赤な姿で、その両の掌に騎士の生首を引っ付かんだまま、悪魔の様な姿で。


「セイルッ!!」


 私はわなわなと震え、そして目尻に溜めていた涙を振り撒いた。そして声を振り絞り彼の名を叫ぶ。その胸の熱い情動に任せて。


「鴉紋っ!!」

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