第85話 襲撃

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 半日後の正午。私達は門番も居ないビナ・コクマの市門を正面から潜り抜けていた。路肩に商店が建ち並び、レンガで舗装された道が真っ直ぐに噴水のある広場まで伸びている。ローブを目深に被る私達を警戒する者は無く、麗らかな陽だまりの下で、民は普段の通りに、陽気な声を上げて朗らかな笑顔を交わしていた。

 もうすぐこの場が阿鼻叫喚の深淵になるとも知らずに。


「んじゃあ行くぜ嬢ちゃん」


 シクスが眼帯を外し、右の赤いロチアートの瞳を露にする。


「『幻』」


 彼の右目が光り輝き、空が赤き血の色に染まり逆巻き始め、その範囲を広げていく。穏やかな日和が異様なものへと豹変し、民は空を見上げ、体を戦慄かせながら指をさし始める。


「どうしたんだ、空が!」

「恐ろしい! 焼けつく様な火の色だ!」

「なに、これ、何なのかしら?」

「何かヤバイぞ、憲兵に連絡しろ、誰か早く!」


 私達はフードを外し、その相貌を衆目の前に晒した。そして鴉紋が轟音と共に、背の黒き翼を空一杯に成る程に広げる。


「ヒィッハハハ! 間抜けなツラぁし始めたぁ!」


 シクスが黒い刀身のダガーを手元で遊ばせながら舌を突き出す。その背後からは、数百の死人を連れたフロンスが悠然と歩いて来ていた。

 ようやく思考の定まって来た民は、しばらくの沈黙の後に、弾けるような悲鳴を上げ始める。


「うわぁああ!!!」

「セフトの反逆者終夜鴉紋だ!!」

「なんで!? 何なんだ突然! 何なんだあの死骸の行進は!?」

「憲兵隊は何をしていたんだ! 何で当たり前のようにそこにいる!?」

「そんな事いい! 今は逃げろ! とにかく逃げろ! 奴等は俺達を皆殺しにするつもりだ!!」

「うわぁーーん。こわいよー、お父さん!!」


 先頭に立つ鴉紋が、激しい眼光を携えながら踏み出していく。正面にある広場を目指して。

 シクスが瞳を上転させてダガーを持った右腕を空に掲げると、血のような紅色と怪しげな牡丹色の空が撹拌し、そこから無数の能面のような巨顔が落ちて来る。


「もっとぉ……もっと叫ぶんだよぉ、こわいこわいと泣きわめくんだろうがぁ……足りねぇよぉ……こんなんじゃ全然よぉィハハッッ!」


 黒き翼、死骸の群れの行進、空から迫る正体不明の不気味な化物。民が逃げ惑い混乱が渦巻く。阿鼻叫喚の声が鳴り止まず、皆が逃げ出していく。

 どうやらシクスはこの光景に快感を覚えている様子で、突き出した舌からよだれを垂らしてニタニタとしている。


「行くわよシクス。広場に向かわないと」


 ド派手に登場した私達は、殺戮を始める訳でも無く、正面に見える広場へと進む。

 嬉しそうにスキップするシクス。私の前を幼い兄弟が手を取って走り去っていく。

 私は手元に火を起こすと、辺りの家屋に向けて解き放った。


「カッハハハ! 嬢ちゃんやるなぁ!」


 屋根が焼け、家屋に潜んでいた民が飛び出してくる。徐々に火が広がって、やがてつんざく悲鳴が満ちてきた。


「ァァア! 家が焼けちまうよぉ!」

「憲兵はまだか!?」

「遅い、どうなってる!」


 なかなか憲兵隊が出向いてこない事に私は焦りを覚えていた。


「シクス。憲兵隊の反応が薄いけど、大丈夫なの?」

「いきなり全員で押し掛けてきたんだ。パニックにでもなってんじゃねぇのか?」


 やがて私達は、大きな噴水が中心にある広場へとたどり着く。宮殿はまだずっと遠くに見えているが目的地は確かにこの場なのだ。そしてその広場の奥に、整列した銀色の甲冑が並んでいる。その先頭に立つ見覚えのある巨体の女。


「あ゛~ッ! 居だぞ! Aランクのメスだ!」


 ゼルを連れ去った第七隊隊長ベダ・フォードが、手を叩きながらニヘラニヘラと笑い、棍棒を持ちながら、腹を揺らして小躍りしていた。


「なんだ~あの俺よりも頭の悪そうなデブは? 魔物みてぇな目付きしやがって、気色悪りぃ」

「あ゛ーーッ!? 誰がデブだこの野郎ッ!」

「耳の穴にまで脂肪が詰まってると思ったのに、良く聞こえてんじゃねぇか」

「ギャハハハ! ベダちゃんやっぱりデブって言われてる、アハ!」

「うっせぇええ!! てめぇぶっころず!!」

「あれが終夜鴉紋かー。おっそろしい顔してるなぁ、ベダちゃん程じゃないけど、ハハハハ!」


 その場には、都を進行する私達に物怖じもしていない様子の騎士が、約二百人甲冑に身を包んだ姿で待ち構えていた。シクスはダガーの刀身を幻の能力で長くすると、腰を落とし臨戦態勢をとり始める。


「待って、たったなの?」

「んだよ、二部隊位居るだろうが」

「ここは他の都とは違うのよ!? 六部隊もある内のたった二部隊? 私達全員で奇襲をかけてるっていうのに、警戒が薄すぎるよ!」


 私の脳裏に一抹の不安が過る。先刻、私の姿はベダ・フォードに見られていた。彼女達は私の正体に気付いてはいなかったが、その話を聞いた何者かが推測をたてていても不思議はない。その可能性はフロンスも考えていた。

 だけど、考えていても無視できる筈がないんだ。今世界を混乱に陥れる私達の存在を。百パーセントであると確信できない限りは。


「お~いヨフエぢゃーーん! 来たよぉおーー!!」


 ベダが私達に背を向けて、後方の上空に向けて手を振り始める。


「ヨフエ!? 天使の子もここに来てるっていうの?」


 私はベダの呼んだその名に驚いたが、シクスはそれとは違った要因でもって冷や汗をかき始めているらしく、眉を八の字にして困った表情を私に向けて来た。


「あー……嬢ちゃん。こりゃ全部筒抜けかも知れねぇ」

「えっ?」


 すると風を巻き上げながら、凄まじい速度でもって、幼い少女が飛来して来て、ベダ達の十メートル程上空で静止する。そして溌剌とした無邪気な笑顔を見せながら、真っ白い歯を剥き出し、黒い瞳で私達を見下ろす。


「こんっにっちはーー!!」


 話しに聞いていた通りに、幼く華奢な体。ふわりとなびく薄茶色のポニーテール。背には白き小さな羽が揃っている事が、彼女がただの少女ではなく、天使の子である事を如実に物語っている。


「あれが、ヨフエ・インプリートなの?」

「本当にガキじゃねぇかよ」

「ヨフエちゃんどうだったんだよー? 遠くから見てきたんだろー!?」


 ベダの言葉にヨフエは頷いてみせる。


「うん! クラエの言った通り、シクスくんとセイルちゃん以外、だったよ! キャハハ! クラエってばやっぱり凄いねー!」


 信じられない言葉を口走った少女に動揺を隠せない私は、思わずシクスに振り返る。


「どういう事なのシクス!?」


 しかしそれに答えたのは、伸びをしながら爛漫な笑顔を見せる少女であった。

 

「あのねー、クラエが言ってたの! この手の術には……えいきょう範囲? があってね、そういう魔法は記録でも最長で百メートル前後だからね、えっとね……んーと」

「ヨフエちゃん頑張れー」

「がんばー!」

「可愛いよぉーー」


 たどたどしく語る少女を騎士達が応援する。そして少女は続ける。


「んー、都の中じゃあ建物とかもあってそんなに距離をとったら直接見えないからってね、でね、だからね空を飛んで、その、んーーと、えいきょう範囲の外から見ればいいんだって! 待ってれば来るからって! クラエが言ってたの!」

「ぉおー! そうだったのかヨフエちゃん!」

「凄いぞヨフエちゃん!」


 まるで敵意を感じさせない不思議な視線を落としながら、少女は薄っぺらな胸を張って得意気にしている。話し終えた彼女に、騎士達が盛大な拍手を送る。


「ちっ……嬢ちゃん、あのガキの言う通りだ。俺の術には有効範囲がある。地上からじゃまずわからねぇだろうが、あんなに上空から直線距離を取られたら流石に届かねぇ。あのガキからは、ただ悠然と歩く俺と嬢ちゃんの二人だけが見えていたんだ」

「そんな……でもおかしいよ、まるで、私達が幻術を使って陽動して来る事がわかっていたみたいに!」

「しかも端から俺と嬢ちゃんだけは本物だって事は知ってやがった様な口振りだったよな……何かの能力じゃねぇなら、相当の策士がいるとしか思えねぇ」

「……クラエ・インプリート」


 僅かな情報でここまでの布陣を組んで私達を待ち構えていた少年の姿を連想する。

 最も警戒すべきは、ブレインである彼の方であった事に、私は今更ながらに気付いたのだった。


「だがよクソガキ! てめぇは今俺の術の有効範囲に入っているぜ! 関係ねぇよ、このまま全員なぶり殺しだ!」


 息巻くシクスを黒い虹彩で見下ろしながら、少女は左手に握った、長く真っ直ぐの刀身に、左右に枝分かれした刃が伸びる――まるでメタセコイヤの木を連想させる奇怪な短剣を振り上げながら、大きな口で微笑む。


「あとねぇ、クラエが言ってた! こういう形で騎士を整列させてれば、多分シクスくんとセイルちゃんは、第一広場の噴水から二十メートル手前で立ち止まるって、心理学? だって、本当だね、キャハハ!」

「な……っ」

「じゃあいくよー!」


 ヨフエは奇怪な短剣を振り上げながら、元気一杯にこう言い放った。


「ドッカーン!!」


 するとその短剣は刀身を折り曲げながら肥大化し、たちまちに形状を変えて、少女が片手で操っている事が信じられない程巨大な、銀の槌の形となった。

 そしてその槌は、広場の中央にある巨大な噴水に蓋をする様に被さって押し潰した。すると噴水へと繋がる太い水道管が、私達の足下で破裂して激しい水飛沫を上げる。


「何なのあの短剣ッ!?」

「何のつもりだガキ! ずぶ濡れにしたからどうした! このまま俺の夢で押し潰してやる!」

「駄目シクス! 嫌な気配がする! 退こう!」

「ぁあ!? コケにされたまま引き下がれるかってんだよ!」

「いいから! 戦うことが目的じゃないから、危なくなったら逃げろってフロンスも言ってたでしょ!」


 ずぶ濡れになりながらシクスを引っ張り、足下に逃走のための桃色の転移魔法を起こすと、騎士達の方から無数の魔力が練られている事に気が付いて私は顔を上げていた。


「みんなー、いっくよー!」

「は~いヨフエちゃん!」

 

 騎士達の手元には数え切れない程の魔方陣が見えていた。


「まだ間に合う、逃げるよシクス!」

「クソッ、覚えてやがれ!」

「――――キャアッ!!」


 桃色の転移魔法でその場を離れようとした刹那。私の背に強烈な痛みが突き刺さって、転移を中断させられていた。


「大丈夫か嬢ちゃん!? んだこりゃあ……矢じりか!?」

「……逃げ、てシクス」


 切り裂かれる様な鋭利な痛みに振り返ると、背後の家屋からこちらに向けて、ボーガンという魔力を介さない原始的な武器を向けている者が居た。目前の魔力に気を取られ、まるで気付けなかった。そのボーガンを向けていた小人のような男はひょっこりと物陰から出て来て、歯の抜けた顔でガッツポーズしながら喜んだ。


「やったど~。当たった当たった、オラやったどヨフエちゃん! 一時間も前から構えてたかいがあったど~」

「嬢ちゃんしっかりしろ!」

「いいから……シクス!」


 ベダ達の手元から雷撃が放たれて来た。それは私達の体にまとわりついた淡水に感電し、脳天まで痺れさせて意識を剥奪するのには十分な威力だった。


「あぁー!! ちょっと! 殺しちゃいけないんだからねベダちゃん! セイルちゃんは私の作品に使うんだから!」


 ヨフエが上空から降りてきてベダの脳天をポカリと叩く。


「あだっ! ご、ごめんよヨフエぢゃーん。多分大丈夫だよ~」


 倒れ、焦げ臭い臭いにまとわれながら、私は半開きの瞳でヨフエを眺めていた。

 隣にはシクスが同じ様に体を焦げさせながら倒れている。

 ベダの背後から騎士が二人、けたたましく走り寄ってくる。


「ヨフエちゃん、俺が手錠付ける、クラエくんの作った奴。女に」

「俺は男の方に付けるぞ、なんて名前だったか覚えてねぇげど、がはは」


 痺れ、動けず思考もままならぬ私の両手首に、鉄のひんやりとした感触がある。そしてもう一人の騎士がシクスの手にも同じ様に手錠をかけようとした。


「……ッうんぎゃあ!!」

「ヨフエちゃん、こいつまだ動く!」

「あっ、逃げる!」

「あぁもう何で逃がすの! お仕置きなんだから!!」

「ひぇえ~ッ」


 そこで意識がブラックアウトした。

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