第84話 双子の天使の子とは

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「でよぉ、ビナ・コクマの双子の天使の子ってのはどんな奴等なんだっけか?」


 切り株の上で胡座をかくシクスがそう口を開くと、フロンスはまた深いため息をついた。今にストレスで剥げてしまいそうな程、彼の鼻筋には深いほうれい線が浮き出していて、思わず心配になる。


「私、何度も話しましたよね……」

「俺は頭が悪いんだ。そんなのいちいち覚えてられっか」

「……フロンス。悪いが俺からも頼む」


 鴉紋が木の幹にもたれ掛かりながら、気まずそうに腕を組んでいた。


「私の懇切丁寧に仕上げたレクチャーを覚えているのは、セイルさんだけなのですか……?」

「あ、ごめんフロンス。私も覚えてない」

「なんて馬鹿ばかりなんですか……」


 額にまで皺を刻み始めた彼には悪いが、私もあまり覚えていなかった。彼は説明をする時、早口でペラペラと喋り続けるから、とても全ては覚えきれない。


「早く言えよオッサン! 好きだろ、講釈垂れるの」

「講ッッ釈!! この…………ッ下郎!」


 ブルブルと震えながらフロンスは怒りに震えていた。最も、シクスと鴉紋はフロンスの長い説明が始まると毎回五分と経たずにスヤスヤと眠ってしまっていたし、覚えていないのは当然だと思った。それにしても、苛ついているからか、フロンスの言葉がいつにも増して汚い。いや、日毎に彼の本性が現れてきているといった感じの方が正しい気もする。


「まぁ、情報も交錯した事ですし、今一度整理致しましょうか」


 平静を取り戻したフロンスは、髪を片方耳に掛けながら話し始めた。


「先程も話しましたが、ビナ・コクマは、元々分離していたビナとコクマという都を、約百年前に合併した巨大な都です。当然民の数も倍の約三万。憲兵隊の数も倍の六部隊、天使の子も倍の二人となります。ちなみに面積も倍なので、かなり広い都となりますね」

「あぁ」

「うんうん、なるほどな」


 ぐるぐると私達の前を行ったり来たりするフロンス。鴉紋とシクスは真剣な面持ちで頷いていた。


「しかし一つだけ倍でない物があります。それは…………はいセイルさん!」

「え! え、えっと……大聖堂……とか?」


 フロンスはクルリと私の方に向き直り、パチンと指を鳴らす。


「んっミステイクッ!」


 中年の弾けるような満面の笑みが私に向けられている。


「ですが惜しい。ちなみに他の都の様にビナ・コクマに大聖堂は備えられていません。教会は幾つかありますけどね……そして正解の一つしか無いものというのは……天使の子や憲兵達の滞在する宮殿です!」

「……」

「赤土色の宮殿の中に、二人の天使の子も6つの憲兵達も一緒になって暮らしているのです」

「ふーん、そっか」

「え、なんか反応薄くないですかセイルさん?」

「……」

「こほん……」


 咳払いをしてから、フロンスはまたぐるぐると回り始める。


「ちなみに宮殿の内部、憲兵達の宿舎はコクマ直属の第4~6隊とビナ直属の第7~9隊とで完全に仕切られているらしいです。これは、ビナの憲兵とコクマの憲兵が、どういう訳だか不仲であるが故の措置だと聞いたことがあります」

「え、じゃあ天使の子も……」

「残念ながら、対称的にコクマの天使の子クラエと、ビナの天使の子ヨフエは互いに依存しあう程にベッタリだそうです。何処に行くにもね。不仲なのは騎士達だけです。最も命令権はどちらの天使の子も有していますので、どちらかが命じれば不仲な騎士達も共闘して来ると思いますけど」

「肝心の天使の子が一緒にいるのね……どうにか分断できれば良いけれど」

「それは私も考えましたが難しいかもしれません。まぁそこまで落胆する事は無いのかも知れませんよ」

「どういう事? 天使の子二人も同時に相手にしたら、いくらなんでもひとたまりも無いでしょう?」


 フロンスが指を鳴らし、再び私に向けて、無性に気に障る笑みを見せた。


「んっミステイクッ!」

「……それやめてフロンス」

「え、どうしてです?」


 どうしてだろう。途端にかつて彼に教えられていた農園の子ども達が気の毒に思えてきた……。


「ごほん……えぇと、それはですね。コクマの天使の子クラエが、全くもって戦闘に秀でていない人物であるからなのです」


 天使の子なのに戦いに向かない? どういう事なのかと、私は身を乗り出していた。


「ヨフエの方は自在に変形する特殊な短剣を操ると言われますが、クラエの方は魔法の本を手にするだけで、魔術も体術もからっきしであると聞きました」

「その魔法の本って?」

「あらゆる物事の知識が記されているという本で、文明の発展には多大な益を生みますが、こと戦闘においては全く関係の無いものとなります」

「そうなの!? ……じゃあ私達が警戒すべきは、クラエの方って事?」


 フロンスが指を鳴らし、私にウインクしてこう叫んだ。


「んっベリベリグッドッアンサーナイっスッ!」

「……」


 変にリズムに乗った一言に腹が立って来た。


「クラエは稀代の知識人であると言われますが、戦闘においては無力であるので、セイルさんの言うとおり、未知の短剣を操るヨフエを警戒すれば良いのです」

「……知識人って、確かクラエって年端もいかない子どもなんじゃなかった?」

「ええ、彼等が天使の子に就任したのは三年前の9歳の時なので、現在は12才。丁度可愛い盛りのただの男児です」

「……」

「セイルさん、何なんですかその表情は。何か苦いものを口一杯に頬張った様な、もしくは肥溜めを眺める様な表情をしていますが」


 フロンスは腕を組むと、また歩き出した。


「ただの子どもが何故それほどの知識を有するか、でしたよね。それはミハイル様の……いや、ミハイルよりお授けを受け、能力とを与えられたからなのです」

「人格って、元々の性格と変わっているって事?」

「塗り替えられる訳ではありません。ただ、お授けとして能力を授かる際に、一部の思考や行動原理、知識までもが付与されるのだと聞いたことがあります」

「どういう事なの?」

「ほら、先程アーノルドさんがビナの天使の子は代々芸術に興じると言っていましたよね? あれはビナの天使の子へのお授けに、そういった因子が組み込まれているからなのです。故に天使の子は代々似たような性格の者が就任するのですね」


「そうだったのか」

「おお、流石フロンス様!」

「知識人というなら、フロンス様こそがそうだ!」


 ロチアート達が手を叩くと、フロンスは少し照れながら嬉しそうにしている。


「フロンス、そんな事出来るの? どういう原理なの?」

「分かりません。知っての通りミハイルは人ではなく、天使ですから、我々の理解は及びません」

「なんかズルいなぁその結論。言い返せないし」


 王都に君臨し、セフトの長でもあるミハイルは、天使のではなく、使として在るという事は、世の常識だった。にわかには信じがたいという心情を抱える反面、ミハイルが何世代にも渡って生を全うしながら王都を治め続けているという事実が、彼が私達とは違う生物であるという事を克明に物語っている。


「余談ですが、天使の子には誰でもなれる訳ではなく。適応した素養がある者でないとなれないのだとか……なので数十年に一度位しか天使の子が入れ替わらないのです」

「じゃあビナ・コクマの天使の子になれる素養があったから、クラエとヨフエは幼いながらに天使の子になった?」

「ええ、先代はかなり良い歳まで勤めていましたからね、やっと素質のある者が現れたと、幼いままにお授けをしたのでしょう」


 幼い彼等は天使の子になるだけの条件を満たしていた。だから物心も付くか付かないかの時分にも関わらず、二人はお授けを受け……そして、人格を植え付けられた。

 でも、そんなのって…………


「その素質って何だったのかな……」


 私の問いには立ち上がったアーノルドが答えた。垂れた瞳が私を見つめている。


「それはおそらく、双子の男女である事でしょう。先代もそうでした、二人ともそっくりの容姿でしたので」

「双子の男女? それだけの事で?」


 そんな事で彼等はというの?


「セイルさん。男女の一卵性双生児は、この長い歴史において数例しか無い、未だ原理も良く分かっていない神秘の一つですよ」

「……」


 彼等もきっと、好きでそんな風に産まれてきた訳じゃないのに……そう言いかけて辞めた。


「よし、これでレクチャーは終わりです。鴉紋さん、次は作戦を練りましょうか」

「……」

「鴉紋さん?」

「……」


 幹に寄りかかったまま寝息をたてている鴉紋を、フロンスが驚愕の表情で眺めていた。


「……。シクスさん、今から立てる作戦ではあなたに大役を任せようと思っているのです」

「……かー…………かー……」


 大胆に切り株の上で大の字で眠っているシクスに、フロンスはレクチャーに夢中で気付いていなかったらしい。


「……」


 フロンスは以外にも静かに私にこう言い放った。


「セイルさん。鴉紋さんをミディアムレアで焼いてください。シクスさんはウェルダンでいいです」


 瞳を座らせながら、しかし確かに彼のこめかみにはビキビキと血管が浮き立っていた。


「……はっ、すまんフロンス。眠っていた」

「……んぁ!? なんだ? 寝ちまってたか」

「お二人とも、私の話しは何処まで聞いていましたか?」


 二人は顎に手をやって考え込んだ後、鴉紋から順番に口を開く。


「ビナ・コクマには教会が幾つかあるって所だ」

「都には宮殿が一つしかねえって所だな」

「なんて序盤なんだッッ!!」


 フロンスの嘆きの叫びが、森閑とした明け方の森に響き渡る。


「流石鴉紋さんとシクスさんだ」

「流石だ」

「敵の情報など無くても捩じ伏せられるという確固たる自信の表れだ」


 曲解する家族達に、アーノルドも密かにため息をついている。

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