第十七章 無垢なる狂気

第83話「良い子になれる様に処置してあげるの」

   第十七章 無垢なる狂気


 ビナ・コクマの巨大で荘厳な赤土色の宮殿。その内部、一室の堅牢な鉄扉に、一人の騎士が舌舐めずりをしながら忍び寄る。


「けぇひひひ」


 薄暗くランプの灯る廊下で、辺りを見回しながら、差し足忍び足としながらも、その騎士の愉悦は思わず口元から漏れていた。

 そしてソッと耳を密着させ、処置室と呼ばれるその室内からの声に耳をそばだてた。


「……むぐ……ぉお……」

「ねぇヨフエ。今回はどうしてザミナ・ボートガンに処置を施すんだい? 聞かせてくれる?」


 鎖の擦れる音と、猿ぐつわをされた男のくぐもった声に、その騎士は嬉しそうに涎を垂らし始める。そして高く中性的な幼い声の続きを待った。


「ザミナ……? そんな名前だったんだこの子。知らなかった!」

「ヨフエ……自分の隊の騎士の名前位覚えていなくちゃ」

「キャハハ! 私、人の名前はあんまり覚えられないの! 知ってるでしょうクラエ」


 同じ音域の声の、口調からして恐らく男女と思われる二人の会話。その合間に、確かに騎士の悲痛な声が聞こえてくる。


「はぁ……彼はザミナ・ボートガン。フィーロ地方フルッペル村の出身の28歳の青年。処置は583日前の正午に一度しているだろう?」

「そんなの覚えているわけ無いでしょ? クラエと一緒にしないで、キャハ!」


 二人の会話を盗み聞く騎士は、あぁ、あいつそんな名前だったのか……と同じ隊の騎士の名を始めて知って感心した。


「で、どうして彼に二度目の処置を? ……またつまらない性格だったからだとか、抽象的で非論理的な事を言ったりする?」

「ちっがーうもん! この子ね! ……なんて名前だっけ……まぁいいや、この子、ロチアート狩りの最中に、ベダちゃんの事、デブって言ったんだって! いけないよね!」

「えぇっ……それはいけないね。他人の容姿を貶すのは愚かな人間のする事だ」

「そうだよね、いけないよね!」

「……ふごぉ……! ふ……ごお……!」

「容姿を中傷する行為は差別に繋がるよね。その昔、差別をきっかけに虐殺や戦争、奴隷制度なども起こったそうだから、それはいけないね」

「だから良い子にしてあげるの!」

「あぁ、そうかい、それは良い考えだねヨフエ」

「……ごぉ…………ごめ……なざ!!」

「駄目だよザミナ・ボートガン。諸悪の根元にして、争いの火種を燻らせる君は、生まれ変わらなければいけないよ?」

「ゴァ……は…………ゆる……!」

「キャッハハハハハ!!」


 冷たい鉄の扉につんのめり、いつしか顔面の半分を押し付ける騎士は、自分の内に巻き起こるサディスティックな感情に付き従う様に、舌を出して頬を紅潮させながら、姿の見えぬ二人の声にただ耳を澄ます。


「ほら、剣を出して。君の剣を」

「やべ……! ……ふぉ……やめ゛!!」

「もっともっと良い子にしてあげるからね~!」

「べ……! あべべ……べべっ!!? いだッ! いがががか!!」

「ほらヨフエ。頭蓋骨を開く時は慎重に。…………そう」

「……が………………づッッィび!!」

「あっ、手が滑っちゃった」

「ヨフエ! 脳というのは繊細なんだ。僅かに傷を付けるだけで、人体に多大な影響を与えるんだから」

「…………か………………」

「大丈夫、死なない死なない!」

「……確かに君の剣なら彼の脳をどれ程切り刻もうとんだろうけれど、あまりやり過ぎると彼が廃人になってしまうよ」

「それはダメ! 良い子にしてあげなくちゃ可哀想だよね!」

「そうだねヨフエ。君はなんて優しいんだろう……理解は出来ないけれど」


 扉に耳を押し付ける騎士は待ち望んだが始まり、鼻息も荒く「フォオオ! ふぅおおお!」と最早自らが隠れている事も忘れている様な、快感に任せた声を放ち始める。


「……ここだったよねクラエ?」

「違うよヨフエ。もっと前。剣を細く針金の様にして」

「こう?」

「うん……僕が誘導するよ。脳の部位というのは分かりづらいからね。…………ここに刺して」

「……げ………………ま……」

「もっと深く……うん。少し手前に引いて……ここでストップ。それ以上やると神経に触れて左足が麻痺するよ」

「出来た~!」

「あとここ」

「ここ?」

「……っギィゥイン!!」

「わぁ変な声!」

「そう、剣先を少し鋭利に……こういう風に剃らせて……うん、いいね。じゃあここからここまで、思いきって一直線に……そうだな、余り興奮しない子にしようか」

「えいっ」

「………………ぁ……!」

「待って、そこは慎重に。この部分には触れない様にね。この神経を壊したら永遠に満腹にならず、食べ続ける子になってしまう。それに左の瞼が閉じられなくなるかも」

「それ面白そう! えいっ!」

「ぼ…………っぁ……?」

「あー、もう何するんだよヨフエ」

「キャハハ! だって~見てみたかったんだもん」

「ほら、泡を吹き出したじゃないか、血のあぶくを」

「治せないけど、から大丈夫! キャハ!」

「間違っても殺してはいけないよ?」

「勿論!」

「殺しは人道に背く行為だからね」

「うん! 人殺しはいけない事だね!」

「そうだねヨフエ。最も罪深き行いだって、僕のにも記されている」

「そうだね、いけないね!」


 扉の向こうの光景を想像する騎士は、とうとう額を付けるその鉄扉をベロベロと舐め始め、眼球を上転させながら「ッツヒョーーォオ!!!」と奇怪な声で絶叫する。


「そういえばねクラエ、聞いて! 遂にゼルを捕まえたの、凄いでしょ、えっへんへん!」

「あの幻惑術のゼルを? 凄いねヨフエ」

「うん! 今は地下牢に閉じ込めてるの!」

「……じゃあ、あの理解不能な作品とやらも遂に完成するんだね」

「ひどーい! いつになったら私の作品を理解してくれるの?」

「……抽象的過ぎて、僕には一生理解出来そうにない」

「な、ん、で!!」

「……芸術は非論理的な創造の一つだからね」

「クラエ! 想像力が足りない!」

「僕とヨフエとでは想像力の意味が違うだろう」

「わっかんない!」

「僕にとってそれは思考であり理論であり、ヨフエにとってそれは、イメージや情緒なのだろう?」

「だからわっかんない!!」

「あぁもう嫌だなぁ……つまり、僕がシャキーンなら、君がドッカーンって事だよ」

「クラエがシャキーンに……私がドッカーン!? ……なんだそうか~早くそういってよ!」

「僕には理解出来ないけどね」

「そういえばね、騎士達あの子達が言ってたの。赤い髪の、スッゴく可愛いメスのロチアートがいたんだって! Aランクだってみんな言ってた!」

「赤い髪のAランク……? 過去の君の話しの中で、一度でもそんなメスの事なんて聞いたことが無いけれど」

「私も始めて聞いた! あの野生のロチアート達の中に、まだとんでもない獲物がいるんだって! 私ワクワクする、欲しいなぁ!」

「……何か引っ掛かるな。所詮五百そこらの彼等の中に、そんな上物が居れば目立つ筈だ。それに、赤い髪……?」

「どうしたのクラエ?」

「……。ヨフエ、落ち着いて聞いてね……終夜鴉紋がこの都に近付いている可能性がある」

「終夜鴉紋って……セフトに反逆したあの!?」

「誰が呼び始めたかと呼ばれる終夜鴉紋を筆頭とする一団。その仲間の中に赤髪の、セイルという漆黒の炎と転移魔法を操るメスが居た……つまり彼等が野生のロチアート達の中に紛れ込んでいる可能性がある」

「えぇっ、こ、怖いよクラエ……ッ!」

「そうだねヨフエ。終夜鴉紋は何の躊躇いもなく人を殺す、とても恐ろしい悪魔だ」

「どうしよう! ゼルを取り戻しにここに来るかなぁ?」

「……大丈夫だよヨフエ」

「でも……」

「大丈夫……これまで僕の言うとおりにして、上手くいかなかった事なんてあったかい?」

「クラエ……」

「僕が守るよヨフエ」

「……っうん」


 何をしているのか、肉と肉を絶えず合わせる濃厚な物音が静かになり始めた。


「……ぁあぶぅ?」

「あーぶ……」


 甘える吐息の絡んだ、二人にしか分からぬ言語の応酬。途端に妖艶な雰囲気を纏い始めた室内の様子に、鉄扉の前の騎士は息を潜めてしゃがみこんだ。……そうして思い至ると、その扉を正面に、またニタニタとして耳を近付ける。

 ――――すると唐突に、彼が体重を預けようとした観音開きの鉄扉が開け広げられた。


「わわ、わっ!」


 驚いた騎士が見上げた先に、彼を冷ややかにグレーの瞳で見下ろす少年と、ポカンとした様な黒い瞳を向ける少女が居た。

 瞳の虹彩以外、彼等の容姿は全くの同じ。世にも珍しい性別の違う一卵性の双子である。


 身長140センチ程の幼いその双子は、共に薄茶色で空気を孕んだウェービーな長髪を、それぞれにスカイブルーとパステルピンクのリボンで結んで低いポニーテールにしていた。

 可愛らしく、天使の様な見た目の双子。だが少女は左手に奇怪な形状をした短剣を握り、少年の左手には宙に浮いた白く瞬く異様な本がある。


「ヨフエ、もう一人処置してあげよう」

「そうだねクラエ。盗み聞きは悪い子がする事だもんね」


「いや、いや、いやだあぁあヨフエ様! クラエ様許しでぐれぇええ!!」


 二人の子どもは聞く耳も持たない様子で、無邪気に微笑んだ。

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