第81話 彼の創る世界の為に


「待って鴉紋!」

「この辺りなのか?」


 背から黒い稲妻の翼を噴出して飛ぶ鴉紋の腕に抱かれながら、私はゼルと別れた場所へとたどり着いた。


「誰も居ないぞ?」

「……ゼル! 何処に居るの!?」


 静まり返る闇。耳を澄ましても物音一つしない。それはゼルがもうこの辺りに居ない事を意味していた。

 鴉紋は私を地に置くと、周囲を詮索しながら、とある場所に膝を着いた。


「血痕……それにこの切れ端は……」

「ゼルの羽織……金の刺繍があるわ。遅かったんだ……ゼルは連れ去られたのよ!」

「殺さずに、連れ去っただと?」

「そう、ベダ・フォードという女に」


 ゼルの羽織の切れ端を握り込んだ私を、遅れてきたアーノルドが愕然とした表情で見ていた。


「ベダ・フォードだと!? ゼル……ぁあゼルよ! 母と同じ様に、連れ去られたというのか! 何故、この老いぼれを一人残してお前が……お前なのだ……あぁ、息子よ」


 ゼルの事をあまり良く言っていなかったアーノルドだったが、その実彼をいたく愛していたらしく、膝を着いて泣き崩れている。武装したロチアート達も動揺しながらアーノルドに肩を貸し、浮かない顔をしていた。


「クソッ! ゼルが守ってくれていたから、これまで俺達は奴等の魔の手から生き延びられていたっていうのに……何故ゼルがあんな奴等に!」

「囲まれたんだ……でなければゼルが敗れる理由が無い、家族一の屈強な戦士が、あの化け物女とイカれた騎士達なんかに!」

「ぁあ、どうしよう。居場所がバレたよ、また場所を移動して暮らさないと」

「また逃げるのか俺達は! 家族を連れ去られて、ただ逃げ惑う事しか出来ないのか!」

「そうするしか無いだろう。俺達は、そうやってずっと生き延びてきたんだから」


 暗い顔をしながら語り合う彼等の内の誰かが呟いた。


「でも今は……終夜鴉紋さんが居る」


 すると彼等の淀んだ瞳が、たちまちに光を取り戻していった。


「そうだ、俺達の元には今、救世主様が!」


 誰よりも早く鴉紋の元にまで駆け寄ったのは、アーノルドであった。崩れた相貌を向けながら、鴉紋の足にすがり付く様にして懇願し始める。


「お願いです鴉紋様! 息子を、ゼルをどうかお救い下さいませ!」

「落ち着けアーノルド」

「後生です! なんでも致しますから! 私のこの身を囮として、奴等を誘きだすのでも構いません、私はどうなっても構いませんから、どうか息子だけはお助けください! どうか!」

「俺達からもお願いします! アイツがいないと、俺達はもう騎士達から逃れる術もないんです!」

「アイツは女癖が悪いけど、根は家族思いのめちゃくちゃ良い奴なんです! だから助けてやって下さい!」


 地に手を着いた彼等に囲まれる鴉紋。真剣な面持ちで考える彼に、私は恐る恐る耳打ちする。


「どうする鴉紋……多分ベダ・フォードの属する都はフロンスが前に言ってたあの……」

「分かっている。都ビナ・コクマ。2つの都が一つとなった、フロンスが最も警戒していた場所だ」

「フロンスは、強大過ぎるから、攻めるのは戦力が十分に備わってからって言ってたよね……」

「ああ」

「憲兵隊の数も、天使の子の数も倍だってね……」

「そうだな」


 アーノルドが真っ赤になった瞳で鴉紋を見上げた。


「お願いです鴉紋様! 我々も微力ながら尽力します故!」

「あぁ、わかったアーノルド」

「えッ!?」


 思わずすっとんきょうな声の出た私を、鴉紋の座った瞳が眺めている。


「どうしたセイル?」

「い……いや、私だってゼルの事は助けたいよ? でも、その……フロンス達ともっと相談してからでも……」


「おーい鴉紋さん! ゼルさんは憲兵隊はどうなったのですか!」

「うぇ! 頭いて、でけぇ声出すなよおっさん」


 タイミング良く、未だ千鳥足のフロンスとシクスが駆けてきた。私達の元にまでたどり着き、息を荒げる二人に鴉紋は淡々と告げる。


「フロンス、シクス。ゼルが都の騎士に拐われた。ビナ・コクマの都を攻める」

「そうですかぁ鴉紋さん……はぁ、はぁ」

「あ? 今何て言った兄貴?」

「ビナ・コクマを攻める」

「はぇッッッ!!?」


 フロンスが目を剥いて口をわなわなとして驚愕していた。


「ヒハハハハハ! 流石兄貴! 面白そうじゃねぇか、俺は賛成だぜ」

「ちょちょちょ! 待って下さい! 駄目です、駄目駄目! ビナ・コクマは強大過ぎるんです! 憲兵隊も天使の子の数も――――」

「それ、私がもう言ったよフロンス」

「鴉紋さんは今万全な状態じゃないでしょう!? 軽率過ぎます!」

「俺は万全だ」

「ヒハハハハハ! やっぱり兄貴は面白ぇなぁ! 最高だあ!」

「シクスうるさい!」

「黙ってシクスさん! 何処が万全なんですか! いいですか? 今回ばかりはただの無謀です! 冷たいようですが、彼一人の為に、火中に飛び込む様な危険は冒すべきじゃない! またボロボロに……いいえ、それだけじゃない、生きて帰れるかも!」

「分かっている。だから、で行く。お前達はここに残ってくれ」

「「「は?」」」


 私達の驚愕が重なり合う。鴉紋はただ無表情のまま顔を上げる。


「もうお前達を傷付けたくはない」


 その一言に私達は静まり返り、ガクリと項垂れながら、非難する様な細い目を鴉紋に向けた。


「あ~……兄貴って馬鹿だったのか?」

「鴉紋さん、あなたという人は今更……」

「珍しく私もシクスと同じ意見みたいだよ鴉紋」


 私達の反応に困った鴉紋は、狼狽しながらも、黙って私達を順番に見渡している。


「しかし……」


 沈黙を破ったのは、地団駄を踏みながら落胆する、フロンスの一声だった。


「もー! そこまで言うなら分かりましたよ! ただし、作戦は私が決めさせてもらいますからね!? 戦闘は極力避け、ゼルさんを救出したら即撤退しますからね!」

「いや、フロンス……だから今回は俺一人で」

「うん、鴉紋に任せたら、多分正面突破だもんね」

「セイル……」

「あんだよいいじゃねぇか正面突破!」

「……お前達」


 有無を言わせぬ私達の様子に困惑していた鴉紋だったが、最後にはため息をついて、恥ずかしそうにそっぽを向きながら、僅かに口元を緩ませながら、はにかんだ。


「兄貴が笑った! カーッハハハ似合わねぇッあは! あは! あは! ――――ッいでぇ! 嬢ちゃん何すんだよ!」

「可愛いでしょ!」

「全く、何なんですかいつもいつも! じゃあ一つだけ聞かせて下さい鴉紋さん! どうして今日出会ったばかりの人の為に、そこまでしてやるって言うんですか!」


 その問いに、アーノルド達も顔を上げて鴉紋の返答に興味を示す。そして鴉紋は、ぷりぷりと怒りながら詰め寄って来るフロンスに向けて、何でもないようにサラッと答えた。


「俺が創るのは、誰一人として、赤い瞳が虐げられる事の無い世界だ」


 その言葉に歩みを止め、黙り込むフロンス。私もまた、そのロチアートへの熱い情愛に声を失いかけた。


「目の前で殺されようとしている奴を見棄てたら俺はもう、何の為に闘っているのか分からない」


 その言葉で、私達を取り巻くロチアート達が、一人、また一人と感涙しながら震える声を上げ、額を地に擦り付け始める。


「あぁ、やはり救世主様だ」

「あなたが居れば、きっと俺達のこんな生活は変わるんだ」

「ゼルを救ってくれる、俺達の仲間を!」

「救世主様! 何と慈悲深い!」


 そんな彼等の様子を目の当たりにしたフロンスは熱を冷まし、次に皮肉っぽく捨て台詞を残して鴉紋の前から一歩引いていた。


「何なんですかそのカリスマ性…………はぁ、お人好しで、それでいてロマンチストですよね、鴉紋さんって」

「またお前達を傷付ける事になるかもしれない……だが、それでも俺は……」

「良いじゃない……私達、そんな鴉紋だからこそついてきたんだから」

「カハハッでもよ、兄貴はそのおとぎ話みてぁな理想の為に、騎士も民も何百人だって何千人だって殺しちまうんだろ! アーハハハ!! 何だか矛盾してねぇか!?」


 シクスの考え無しの一言に、ピンと糸が張りつめる様な緊張感を覚えたが、鴉紋は――――


「そうだよなぁ…………くく」


 そう言いながら、ニヒルに口元を歪め始めるだけだった。先程ロチアートへの深い思いやりを話した男と、同一人物だとは思えない程に、冷酷な表情を貼り付けていて、私は何かうすら寒いものまで感じた。


「もう! 何で全員愉しそうなんですか! 鴉紋さん! シクスさん! それに……! ぁあーもう!」


 どうやら私の笑みがまた、陽炎の様に現れていたらしかった。

 ――――いけない。鴉紋の前で笑っていてはいけないというのに……

 止まれ馬鹿野郎。

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