第80話 狂った騎士達
「見ぃぃづげたぁあ! ロチアート二匹!」
突如として私とゼルの間に割って入ってきた醜い女の声で、ゼルは私の顎先を解放してそちらに向き直った。
「ベダか……! くそ、なんでこんな時間に! 油断していた!」
「ベダ?」
物凄い剣幕で冷や汗を垂らし始めたゼルの視線の先で、数百キロはありそうな巨大な女が、よだれを垂らしてケタケタと笑っている。
「セイルちゃん、逃げ出す準備をしてくれ、全力でだ!」
「なにあの人達……憲兵隊なの?」
「そうだ! あれは第七隊の隊長、ベダ・フォード。僕の家族を追い回す悪魔だ!」
ベダは兜こそしていないが、その全身をプレートメイルに包んで、手には大きな棍棒を持っている。そして後方の茂みから、続々と騎士達が集ってきた。皆フラフラとしてさ迷い歩いている様にも見える。
「あれぇ、もうこんな暗いぞぉ、真っ暗じゃねぇが。ヨフエちゃんに夕方までに帰ってこいって言われてたのになぁ、どうじよ」
ベダは指先をくっつけてイジイジしている。すると騎士達がすっとんきょうな声で彼女に言葉を返す。
「今は朝方だよ! 夜じゃない!」
「んぁ? じゃあこれから朝が来て、次は昼が来て、その次が夕方が来るがら……まだ間に合うじゃあねぇがぁあ! げひひひひ! ヨフエちゃんが特大のプリンを作ってワタジにくれるって言ったんだ、やったー!」
「俺も食うぞ、俺も!」
どうみても正気ではない彼等の瞳が、爛々と照り輝いている。笑い声が闇の森に響き渡る。
「逃げてセイルちゃん!」
「逃げるなら私、転移魔法が使えるよ!」
しかし私の意図とは反し、転移先の桃色の魔方陣は数メートル先までしか展開されなかった。
「……どうして!?」
「無駄だ。奴等そういう所だけは頭が回るんだ! 恐らくこの森全体に結界が張られている!」
「あれぇ、あんれぇー? あのロチアートの女、どっかで見た気がするなぁ」
ベダの瞳孔の開いた様な大きな黒目が、私の顔を凝視している。その恐ろしさに思わず私の足が竦んでいた。私達の人相書きは各都に出回っている、おそらくそれを見たことがあるのだろう。
「あれぇ、わがんねぇ……おい、誰がわがんねぇか、あいつ見たことねぇか?」
ベダの周囲に集まり始めた騎士達が、フラフラと揺らめきながら彼女に言葉を返す。
「わかんね知らねぇよ」
「そうがぁ? でもどっかで……誰が知らねぇのかよ?」
「知らねえっつってんだろボケ」
「そうだよなぁ、お前らもわがんねぇよなぁ…………うーん」
騎士達の粗すぎる物言いに私はギョッとしたが、ベダは腕を組んで考え込んだままだった。
「…………。あれ、誰か今ワタジの事ボケっつったか? ボケっつったよなぁ!? 誰だ! 誰、誰……お前がああ!!」
ベダが隣の騎士の兜に棍棒を振り下ろした。その騎士は兜を割られ、地に伏せて痙攣している。何がなんだか訳がわからない。とにかくおぞましいとしか思わなかった。
しかし取り巻きの騎士達はふざけあう様に声を上げる。
「誰が言ったんだ? 俺か? あれ?」
「いや俺だ、俺」
「わかんねぇけど、あいつAランクじゃねぇが? 可愛いお目目だ。俺が喰おう」
「駄目だ! ヨフエちゃん所に持っで帰るんだろうが」
「ぁあそうか」
「ああそうだったアハハハ」
ゼルが私を背に押しやって、腰から大きく刀身の反った曲刀を構える。
「行くんだセイルちゃん!」
「待って、私も戦えるから、一緒に!」
「駄目だ! 君は炎を操るんだろう? 森が焼けてしまう! そしたら僕の家族や君の仲間も……とにかく、君は走ってこの事を皆に伝えてくれ!」
「ゼルはどうするの?」
「ここで時間を稼ぐ」
ゼルは曲刀を頭上に掲げ、奇怪な舞いを踊り始めた。それを見たベダは腹を抱えて笑い始め、騎士達もつられて笑い始める。
「なんだぁー!? ダンスがぁ! ワタジも踊るぞ、踊る! げひひひひ!」
「俺も、俺! はひっ」
小躍りし始めたベダ達を前に、ゼルは真剣な面持ちで舞いを続けた。すると彼の口元から妖艶なピンク色の煙が立ち上ぼり、辺りを漂い始めている。
「セイルちゃん、僕の息を嗅がないようにしてくれ。酔ってしまうからね……さぁ早く行って! 君を傷付けられたくないんだ」
「ゼル、どうしてそこまで私なんかに……」
「惚れたからだ」
ゼルは一度振り返って、私に笑みを向けた。
「……っ」
私がその場から背を向けると、ベダが喚き始める。
「あぁー!! 逃げる! Aランク逃げるぞ、追え!」
しかし騎士達は足をもつれさせて転んだ。まるで酩酊しているかのように。
「あれ、あれぇー、ベダちゃん、俺走れねぇ!」
「酒を呑んだみてぇにフラフラするんだよぉ、転んじまった、ひひひひ!」
ゼルの吐き出した煙がベダ達を取り囲んで漂っている。
「何やってんだよ糞野郎共がぁー!」
しかし棍棒を振り上げて駆け出そうとしたベダは、大胆にスッ転んで、大の字でうつ伏せになっていた。それを見た騎士達が指を射して笑う。
「あでぇー?」
身を起こしたベダが、未だ舞い踊るゼルを眺めて口元を歪め始めた。
「良く見たら、お前、ゼルじゃあねぇか。げひひ。だからこんな酔っぱらってるのかワタジはよ。お前の能力で」
「今頃気付いたのかい、おデブちゃん」
「ああ゛ーーッ!? ワタジがデブだと!?」
騎士達がふらふらと立ち上がりながらまた笑う。
「あーはは! デブだって、ベダちゃん言われてやんの! 俺達は毎日思ってるけど、殴られるから言わなかったのに、アハハハ」
「デブだってよ、デブ! ギャハハハ」
「黙れデメェらブッ飛ばすぞ!」
どうすべきかと迷っていた私の肩を、ゼルが突き飛ばしてきた。それが早く行けという意味だということは良く分かった。
「さぁ、セイルちゃん、今のうちに行ってくれ!」
「……っわかった、絶対助けに来るからね、ゼル!」
背を押され、ようやく決心した私は、彼の背を見ながらに走り出した。鴉紋達の元へと。背後からベダの醜い大声が聞こえて来る。
「なぁゼル。お前も綺麗な顔だがら、ヨフエちゃんに捕ってこいって言われてるんだ。げひひひひ! お前だけでも連れ帰ったら喜んでぐれるよなぁ、ヨフエちゃん!」
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