第74話守るものを見据え、甘えは捨てた

 ******


 都の治安を維持する天使の子を殺すと、辺りに起こったのは、奇妙な事に大歓声であった。


「「うぉおおおおお!!」」


 地鳴りのような、民と騎士の咆哮が雪原を震わせる。


「一介の騎士が、本当に天使の子を!!」


 リットーが手を打って感涙すると、瞳を輝かせたグレオとバギットが走り寄って来る。


「ダルフさん!!」

「すんんんんんッッげぇぜ旦那ぁあああ…………っあ」


 バギットは蒼白い顔のまま絶叫し、そのまま失神して雪に埋もれた。


 民を囲う百合が消失していく。ダルフの体からもそれは消えて、後には民と騎士の死骸が転がった。


「…………っく」


 守れなかった民や騎士から目を反らしかけたダルフだったが、思い留まり、毅然とした眼差しでその光景を仰ぐ。


「恨むがいい俺を」


 彼を睨み、怨嗟を吐いた民を思い起こす。


「呪うがいい」


 自らの行いの結果に死んだ民の、すがる様な瞳が思い起こされる。

 陽光を照り返し、白き雪原が光を纏い、軽風に乗って空に煌めきを振り撒いた。

 ふらついて膝に手を置いたダルフの前に、三日月の髭をそよがせたリットーが歩み出て来た。するとその手のランスをダルフの足元に突き立てる。


「天使の子、ルイリ・ルーベスタをほふった反逆者、ダルフ・ロードシャインはこの槍が刺し殺した!」

「リットーさん?」


 リットーの痩せこけた頬は震え、見上げた顔は天に照らされた。彼の深い隈には滝の様な熱い雫が垂れ、淀んだ色を消し去っていった。


「さぁ民よ、天使の子が亡くなった今、我々は手を取り合い、一丸となって都の治安を守る他は無い! そうだろう!」


 リットーの問いに、騎士が、民が泣いて手を打った。


「今更、数千の命を奪った我々の罪業が消える訳ではない。だが、悪い夢から覚めた今。せめてこれからは守らせてくれ」

「ありがとう。リットーさん」


 安堵して俯くダルフの瞳にも煌めくものがあって、足元の雪を温かいものが溶かしていった。


「僕達の都の様にはさせません、ダルフさん」


 グレオが、呆けた顔のバギットに肩を貸してダルフの前に立っていた。


「ネツァクの様に、暴徒が農園を食い潰さない様にします。農園を維持すれば魔物は都に入ってこれない。天使の子が居なくても、都の人々を守る事が出来る」

「グレオ……」

「旦那ぁ……ありがとうな。誰が何て言おうと、旦那は俺の、俺達の正義そのものだよ」

「俺はもう。正義なんかじゃないよ、バギット」

「だったらヒーローでい! 見なよ、ここに残った民。みんなあんたが救ったんだ」

「救えてなどいない……多くの民を、グレだって俺には救えなかった」


 父の名を出されたグレオは、目を瞑って答える。


「僕達は貴方に全てを背負わせ過ぎていた……父が死んだのは、きっと、この僕こそが弱かったからなんです……だから、強くなります」


 歩み寄ってきたエルが、父を思い涙を流しながらも、成長する弟の胸中を思って、鼻水に濡れた顔を目一杯に微笑ませた。


「大切な者を守れる位に。貴方の様なの騎士に」

「さぁ、礼を言うぜグレオ」

「わかってますよバギットさん」


 キョトンとするダルフに向かって、二人の戦士は、これでもかと両方の口角を吊り上げて、歯を見せて、目を糸のようにした。目頭に熱い雫を流しながら。


「「ありがとう」」


 歩み寄ってきたリットーがダルフに声をかけた。とても柔和な、出会った頃とは比べるまでもない表情で。


「すまないダルフくん。天使の子が殺されたとなると、流石に他の都に面目が立たなくてね。君を一人、悪者にさせてもらった」

「構いませんよ。だってなに一つ嘘はついちゃいないんだから」

「……ここだけの話し。内密に君を都でもてなしたいんだが……」

「天使の子を殺した大悪党と酒盛りをしてちゃ、面目も立たないでしょう」

「ッハ! それもそうか……」


 リットーは微笑みながら、顎に手をやって思案する。


「しかし、身を呈して我々の為に闘った正義の騎士に礼を欠くというのも……」

「リットーさん。俺は正義でも無く、騎士ですらも無い」

「……そうか。……うん、ならばせめて、礼を!」


 リットーは、ダルフの前で片膝を着いて頭を垂れた。


「やっ、やめてくれリットーさん! 俺のような反逆者に騎士がそんな行為をしたらっ」


 しかし示し合わせる事もなく、他の騎士達もダルフに向かって同じ姿勢を取っていった。

 程無くするとリットーは体を揺らし、「ぷっ」と吹き出しながらに答えた。


「こんな悪など、何処に居ようというのか」


 そして真剣な面持ちに戻り、頭を下げ直す。


「正義とは何足るか、騎士とは何足るか、我々は全て、貴公の背中に教えられた。ここに礼を言わせて欲しい。ありがとう! 我々に勇気をくれて。ありがとう! 民を救ってくれて。ありがとう! 真の正義の体現者よ!」

「あぁっもう! リットーさん!」


 いつまでも頭を挙げない騎士達に背を向けたダルフは、こっ恥ずかしくなって頬を紅潮させた。


「もう行くよ。リットーさん。ロチアートの農園は……」

「あぁ、わかっているよ。君がしたように、我々も民を統率してみせよう。安寧の為に」

「それとリットーさん。終夜鴉紋の行き先を知らないか?」


 リットーはその名を聞くと、目を剥いて大きな鼻息をついた。


「やはり奴を討つつもりか、この世界の最悪と呼ばれる……奴を」

「教えてくれ」

「君にとって幸か不幸か、奴の居所は割れていない」

「そうか……分かったよ」


 彼等に背を向けて歩み出したダルフの耳に、聞き慣れた二人の声が飛び込んできた。


「ダルフさん!」

「旦那! もう行っちまうのかい?」

「グレオ、バギット」


 二人がダルフの背を眺めている。

 けれど、ダルフは振り返らなかった。


「嫌だぜ俺は! 旦那には感謝してもしきれねぇ! まだ何一つだって返してねぇんだ! 俺は貸しをいつまでも返さねぇのが何よりも嫌いなんだ!」

「……」

「僕だってそうです! 貴方が居なければ、僕はこんなにも耀かしい夢を胸に抱く事もなかった。今こうして息をしている事だって無かった! 貴方に教えられた事が、与えられた物が余りにも多すぎる! 多過ぎて……とても返しきれる気がしないんですが、せめて何か!」

「……」


 立ち尽くす二人にダルフは背を向けたまま、冷たく淡々と離れていく。


「旦那!」

「ダルフさん!」


 何度も呼び止められて、遂にダルフは歩みを止めた。しかし振り返らないまま、彼等に最後の言葉を残していった。


「まずは何よりも体を作り込め。走り込みは十キロ。トレーニングも怠るな。初めは辛いが、特別な事としてでは無く習慣にするんだ」

「え?」

「体が一回り大きくなったら、リットーさんに基本の型を教えて貰え。そして素振りは千回。走り込みは甲冑を身に付けて」

「……ダルフさん」


 ダルフは振り返らない。日差しを受けるその背を向けたまま、ブロンドの後ろ髪が風になびく。


「人にすがる暇があったら早く始めるんだ。今日のノルマはまだクリアしていない」

「……っ」


 二人には金色の戦士の言わんとしている事が分かり、声もなく涙を垂らした。


「なるんだろ、正義の騎士に。俺のなれなかったに」

「っっハイ!!!」


 そうしてダルフは歩いていった。民が、騎士が、逆光となった彼の背中を、眩しそうにいつまでも眺めていた。


 ******


「いつまで泣いてるのよダルフ」

「うっ、うるさい!」


 瞳を真っ赤にしながら涙を拭うダルフの背後に、リオンが続いている。二人はイェソドの都を離れて、雪の丘を歩いていた。


「……というか」

「何、ダルフ?」

「何じゃない!! 何で居るんだ!」


 リオンは当たり前の顔をして、都を離れていくダルフの後に続いて来ていたのだった。


「都に残らないなら、せめてウィレムの森に帰れ!」

「嫌よ」

「……っどうして俺につきまとうんだ!」

「それは前に言ったわ」

「だぁ……もう」


 無表情のリオンの肩をダルフが掴んだ。端正な顔が近付いてきて、リオンの頬が何処と無く赤みを帯びていく。


「わかってくれリオン! 遊びじゃない、危険なんだ!」

「そうよ、あなたが危なっかしいからついて行くのよ」

「どういう意味なんだ! あぁもう分かった!」


 ダルフが背に二枚の翼を生やした。


「置いていくからな! ウィレムの森の方角は分かってるよなリオン? あっちだからな!?」

「酷い。こんな何もない荒れ果てた山の中に、女の子を一人置いていくだなんて……」

「なっ……」

「そうでしょう? 私分からないもの。目が見えないし、どっちが北で、どっちが南かも……」

「……」


 ダルフの翼がみるみると萎んでいった。


「……っぁあもう分かった!!」


 すると再びにその翼は迫力を増した。そして呆然とするリオンを横抱き、つまりお姫様抱っこして、快晴の空に舞い上がっていく。


「安全な所に着いたら置いていくからな!? 絶対だぞリオン!」

「何処に行くっていうの、ダルフ?」

「決まっている!」


 ダルフの翼が丘を越え、空を一筋に駆けた。


鴉紋の居る所だ! 奴を捜す!」


 リオンはダルフに抱かれて空を走りながら、すぐそこにある、彼の胸に顔を埋めて呟いた。


「ふふ、ダルフ……いい匂い」


 白き大地を眼下に、雷撃の翼が風を切って青き空に舞う。湾曲する地平線に目掛けて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る