第74話守るものを見据え、甘えは捨てた
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都の治安を維持する天使の子を殺すと、辺りに起こったのは、奇妙な事に大歓声であった。
「「うぉおおおおお!!」」
地鳴りのような、民と騎士の咆哮が雪原を震わせる。
「一介の騎士が、本当に天使の子を!!」
リットーが手を打って感涙すると、瞳を輝かせたグレオとバギットが走り寄って来る。
「ダルフさん!!」
「すんんんんんッッげぇぜ旦那ぁあああ…………っあ」
バギットは蒼白い顔のまま絶叫し、そのまま失神して雪に埋もれた。
民を囲う百合が消失していく。ダルフの体からもそれは消えて、後には民と騎士の死骸が転がった。
「…………っく」
守れなかった民や騎士から目を反らしかけたダルフだったが、思い留まり、毅然とした眼差しでその光景を仰ぐ。
「恨むがいい俺を」
彼を睨み、怨嗟を吐いた民を思い起こす。
「呪うがいい」
自らの行いの結果に死んだ民の、すがる様な瞳が思い起こされる。
陽光を照り返し、白き雪原が光を纏い、軽風に乗って空に煌めきを振り撒いた。
ふらついて膝に手を置いたダルフの前に、三日月の髭をそよがせたリットーが歩み出て来た。するとその手のランスをダルフの足元に突き立てる。
「天使の子、ルイリ・ルーベスタを
「リットーさん?」
リットーの痩せこけた頬は震え、見上げた顔は天に照らされた。彼の深い隈には滝の様な熱い雫が垂れ、淀んだ色を消し去っていった。
「さぁ民よ、天使の子が亡くなった今、我々は手を取り合い、一丸となって都の治安を守る他は無い! そうだろう!」
リットーの問いに、騎士が、民が泣いて手を打った。
「今更、数千の命を奪った我々の罪業が消える訳ではない。だが、悪い夢から覚めた今。せめてこれからは守らせてくれ」
「ありがとう。リットーさん」
安堵して俯くダルフの瞳にも煌めくものがあって、足元の雪を温かいものが溶かしていった。
「僕達の都の様にはさせません、ダルフさん」
グレオが、呆けた顔のバギットに肩を貸してダルフの前に立っていた。
「ネツァクの様に、暴徒が農園を食い潰さない様にします。農園を維持すれば魔物は都に入ってこれない。天使の子が居なくても、都の人々を守る事が出来る」
「グレオ……」
「旦那ぁ……ありがとうな。誰が何て言おうと、旦那は俺の、俺達の正義そのものだよ」
「俺はもう。正義なんかじゃないよ、バギット」
「だったらヒーローでい! 見なよ、ここに残った民。みんなあんたが救ったんだ」
「救えてなどいない……多くの民を、グレだって俺には救えなかった」
父の名を出されたグレオは、目を瞑って答える。
「僕達は貴方に全てを背負わせ過ぎていた……父が死んだのは、きっと、この僕こそが弱かったからなんです……だから、強くなります」
歩み寄ってきたエルが、父を思い涙を流しながらも、成長する弟の胸中を思って、鼻水に濡れた顔を目一杯に微笑ませた。
「大切な者を守れる位に。貴方の様な
「さぁ、礼を言うぜグレオ」
「わかってますよバギットさん」
キョトンとするダルフに向かって、二人の戦士は、これでもかと両方の口角を吊り上げて、歯を見せて、目を糸のようにした。目頭に熱い雫を流しながら。
「「ありがとう」」
歩み寄ってきたリットーがダルフに声をかけた。とても柔和な、出会った頃とは比べるまでもない表情で。
「すまないダルフくん。天使の子が殺されたとなると、流石に他の都に面目が立たなくてね。君を一人、悪者にさせてもらった」
「構いませんよ。だってなに一つ嘘はついちゃいないんだから」
「……ここだけの話し。内密に君を都でもてなしたいんだが……」
「天使の子を殺した大悪党と酒盛りをしてちゃ、面目も立たないでしょう」
「ッハ! それもそうか……」
リットーは微笑みながら、顎に手をやって思案する。
「しかし、身を呈して我々の為に闘った正義の騎士に礼を欠くというのも……」
「リットーさん。俺は正義でも無く、騎士ですらも無い」
「……そうか。……うん、ならばせめて、礼を!」
リットーは、ダルフの前で片膝を着いて頭を垂れた。
「やっ、やめてくれリットーさん! 俺のような反逆者に騎士がそんな行為をしたらっ」
しかし示し合わせる事もなく、他の騎士達もダルフに向かって同じ姿勢を取っていった。
程無くするとリットーは体を揺らし、「ぷっ」と吹き出しながらに答えた。
「こんな悪など、何処に居ようというのか」
そして真剣な面持ちに戻り、頭を下げ直す。
「正義とは何足るか、騎士とは何足るか、我々は全て、貴公の背中に教えられた。ここに礼を言わせて欲しい。ありがとう! 我々に勇気をくれて。ありがとう! 民を救ってくれて。ありがとう! 真の正義の体現者よ!」
「あぁっもう! リットーさん!」
いつまでも頭を挙げない騎士達に背を向けたダルフは、こっ恥ずかしくなって頬を紅潮させた。
「もう行くよ。リットーさん。ロチアートの農園は……」
「あぁ、わかっているよ。君がしたように、我々も民を統率してみせよう。安寧の為に」
「それとリットーさん。終夜鴉紋の行き先を知らないか?」
リットーはその名を聞くと、目を剥いて大きな鼻息をついた。
「やはり奴を討つつもりか、この世界の最悪と呼ばれる……奴を」
「教えてくれ」
「君にとって幸か不幸か、奴の居所は割れていない」
「そうか……分かったよ」
彼等に背を向けて歩み出したダルフの耳に、聞き慣れた二人の声が飛び込んできた。
「ダルフさん!」
「旦那! もう行っちまうのかい?」
「グレオ、バギット」
二人がダルフの背を眺めている。
けれど、ダルフは振り返らなかった。
「嫌だぜ俺は! 旦那には感謝してもしきれねぇ! まだ何一つだって返してねぇんだ! 俺は貸しをいつまでも返さねぇのが何よりも嫌いなんだ!」
「……」
「僕だってそうです! 貴方が居なければ、僕はこんなにも耀かしい夢を胸に抱く事もなかった。今こうして息をしている事だって無かった! 貴方に教えられた事が、与えられた物が余りにも多すぎる! 多過ぎて……とても返しきれる気がしないんですが、せめて何か!」
「……」
立ち尽くす二人にダルフは背を向けたまま、冷たく淡々と離れていく。
「旦那!」
「ダルフさん!」
何度も呼び止められて、遂にダルフは歩みを止めた。しかし振り返らないまま、彼等に最後の言葉を残していった。
「まずは何よりも体を作り込め。走り込みは十キロ。トレーニングも怠るな。初めは辛いが、特別な事としてでは無く習慣にするんだ」
「え?」
「体が一回り大きくなったら、リットーさんに基本の型を教えて貰え。そして素振りは千回。走り込みは甲冑を身に付けて」
「……ダルフさん」
ダルフは振り返らない。日差しを受けるその背を向けたまま、ブロンドの後ろ髪が風に
「人にすがる暇があったら早く始めるんだ。今日のノルマはまだクリアしていない」
「……っ」
二人には金色の戦士の言わんとしている事が分かり、声もなく涙を垂らした。
「なるんだろ、正義の騎士に。俺のなれなかった
「っっハイ!!!」
そうしてダルフは歩いていった。民が、騎士が、逆光となった彼の背中を、眩しそうにいつまでも眺めていた。
******
「いつまで泣いてるのよダルフ」
「うっ、うるさい!」
瞳を真っ赤にしながら涙を拭うダルフの背後に、リオンが続いている。二人はイェソドの都を離れて、雪の丘を歩いていた。
「……というか」
「何、ダルフ?」
「何じゃない!! 何で居るんだ!」
リオンは当たり前の顔をして、都を離れていくダルフの後に続いて来ていたのだった。
「都に残らないなら、せめてウィレムの森に帰れ!」
「嫌よ」
「……っどうして俺につきまとうんだ!」
「それは前に言ったわ」
「だぁ……もう」
無表情のリオンの肩をダルフが掴んだ。端正な顔が近付いてきて、リオンの頬が何処と無く赤みを帯びていく。
「わかってくれリオン! 遊びじゃない、危険なんだ!」
「そうよ、あなたが危なっかしいからついて行くのよ」
「どういう意味なんだ! あぁもう分かった!」
ダルフが背に二枚の翼を生やした。
「置いていくからな! ウィレムの森の方角は分かってるよなリオン? あっちだからな!?」
「酷い。こんな何もない荒れ果てた山の中に、女の子を一人置いていくだなんて……」
「なっ……」
「そうでしょう? 私分からないもの。目が見えないし、どっちが北で、どっちが南かも……」
「……」
ダルフの翼がみるみると萎んでいった。
「……っぁあもう分かった!!」
すると再びにその翼は迫力を増した。そして呆然とするリオンを横抱き、つまりお姫様抱っこして、快晴の空に舞い上がっていく。
「安全な所に着いたら置いていくからな!? 絶対だぞリオン!」
「何処に行くっていうの、ダルフ?」
「決まっている!」
ダルフの翼が丘を越え、空を一筋に駆けた。
「
リオンはダルフに抱かれて空を走りながら、すぐそこにある、彼の胸に顔を埋めて呟いた。
「ふふ、ダルフ……いい匂い」
白き大地を眼下に、雷撃の翼が風を切って青き空に舞う。湾曲する地平線に目掛けて。
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