第70話 甘ったれた正義の結末
「バギット! グレオ! まだ動けるなら民を! 民を守ってくれ!」
「わかってるぜ旦那!」
グレオもよろめきながら、埋もれた雪の中から這い出してきた。
「ダルフさん……そいつは、みんなを、父さんを! だからどうか! お願いします!!」
「わかってる! こいつは俺が討つ!」
醜悪な巨人となったルイリがダルフを睨めつける。
「与太言をのたまいやがって……私をやるだぁ? 騎士を殺す決心もつかねぇガキに何が出来るってんだ、ぁあん!」
「やるさ、誇り高き騎士のプライドを弄び、民を殺すお前だけは!」
クレイモアの切っ先を向けるダルフを、百合の中から冷たい声が襲う。
「いつまで正義の騎士を気取っている。私に仇なしたてめぇは、既にこの世界の反逆者。悪党だ!」
「……っ」
醜く蠢動する巨体で、地を揺らしながら歩いてくるルイリ。
「私を殺せば、この都の万の民はてめぇらと同じ結末を迎えるだろうなぁ!? そこまで考えての謀叛だったんだよなぁ?」
「……それはっ!」
ルイリが憤激のまま、地を蹴って猛烈に突っ込んできた。
「馬鹿が、少し考えてものを言いやがれ! 私は歯の浮く様なガキの戯れ言が何よりも嫌いなんだ!」
「違う! そんな事はわかっている!」
迎撃しようとダルフの繰り出した上段からのクレイモアは、ルイリの巨大な百合の左腕に難なく止められた。というより、その鋼鉄の様な百合の花弁に突き立ちもせず、完全に勢いを殺されていた。ダルフの中を駆け巡る
「わかっているだぁ!?」
高い声を挙げたルイリが、その蠢く花の巨大な左腕でダルフを真っ直ぐ殴り込んだ。
「づっ!」
思わぬ速度と威力とその範囲に、ダルフはそれをクレイモアの刀身で受けたが、そのまま吹き飛ばされた。
ルイリは嘲笑う様な表情を百合の塊の胴体から覗かせ始める。そして棘のある物言いが、彼を捲し立てる様に責めたてた。
「そうか、わかっているのかぁ……だから、のそのそと今頃になってその重苦しい鉛の塊を振り上げた……ギィハハ! だったらば、笑い草だ!!」
「……何が言いたいっ!」
ダルフはその稲妻の翼で飛び、そのエネルギーをルイリに向けて解き放った。雷が音を立てて彼女の巨体を包み込む。
しかし、白煙を立ち上らせて、その蠢く百合の巨人は何事もなくダルフに向けて大股で踏み込んだ。
「無傷だと!? その百合は魔法を散らすのかっ!」
ルイリは今度は愉快そうに、意地の悪い眉間に皺を寄せたままの奇怪な笑みをダルフに向けながら、激しく上ずった口調で唾を飛ばす。
「てめぇは民を! その民を殺そうとする騎士までをも殺そうとせず、万事平穏を叶えようとしていやがる! そうやってテメェがゆったりと逡巡している内に、たーいせつな、守るべき者が殺されているじゃあねぇカッ!」
ルイリの強烈な横からの蹴りがダルフを捕らえた。そうして吹き飛んでいったダルフは、今度は中空に留まっていた白百合に叩き付けられた。
「グォアア!」
突然に鋼鉄の棘の生えた壁に打ち付けられたダルフは、その背に深く花弁を突き刺され、吐血する。
同時にルイリの言葉も彼の心に突き刺さっていた。
――――おまえの、全部お前のせいだ。
巨大な百合の花弁に吊るされた民が。逆さまに彼を、憎々しく見下ろしていた。
――――おまえが……押したから……お前に、殺された……
自らが守ると豪語して連れてきた民が、自らの行動のせいで死に、怨み言を言った。
「優しさだ! 思いやりだ! 助けるだ! 守るだ!」
「オッぶぐぅ!! ッッぐ! ッッぁあ! あぁ゛ッッ!」
飛び上がってダルフの元にまで来たルイリが、激しい自らの言葉の間隙を縫って、強大な巨人の腕を何度も殴り込んだ。その度にダルフは血を吐いて、瞳を上転させかける。
「そんなガキの妄言みてぇな戯言をのたまう輩は! そのはらわたを生きたまま、ぐッッちゃぐちゃにかき混ぜてやりたくなる!」
「か…………ッ」
「捨てる事も選ぶ事もしねぇ、綺麗事に頭を犯されたお花畑ハッピー野郎はッ! テメェの様な幼稚なクソは! 殺して甦らせて、殺して甦らせて、殺して甦らせて、殺して甦らせて…………!」
再びに乱打を始めたルイリ。ダルフはカッと目を剥いてクレイモアの切っ先を百合に囲まれた胴体に突き出した。今度のそれは百合に突き立ちはしたが、厚い花の鎧の前では、とてもルイリまでは届かない。意にも介さずルイリはダルフの顔を、胸を、腹をタコ殴りにしていく。その衝撃に、背後で彼を押し留めている、空中に浮かんだ百合にヒビが入っていっている。
「殺して甦らせて、殺して甦らせて、殺して甦らせて、殺して甦らせて、いたぶってッッッッ闇を!
「……ガ……ッッ…………ッ!!」
ダルフをその場に押し留めていた白百合が砕け散り、そのまま殴られ、吹き飛んで、何回転もしてから民の喧騒の中の地に叩き付けられた。
「ぁ…………が……っ」
――――強い。天使の子とは、これ程強大なのか。
ズタボロになって地に投げ出されたダルフが、力無い瞳を瞑りかける。
「いや゛ああぁぁあ!!」
「やめてくれっ! やめてくれ! 怖いんだ!」
――――民の叫声が聞こえる。騎士の狂いそうな咆哮が、助けを求める無数の民の声が。
俺が彼等をこんな地獄に連れて来てしまったが為に、民が苦しみ、恐怖している。
どうすれば良いというのだ……俺はどうすれば……。
「どうする、ダルフ?」
地獄の呻きに満たされた最中に、氷のような少女の声が起こって、ダルフは閉じかけた瞳をそちらに向けた。
「力を貸そうか?」
リオンはヒラヒラと舞いながら、クルリと回った。優雅に、まるでピクニックでもしているかの様に、自らは、こんな地獄とは無関係だといった立ち姿で、飄々と。
「騎士も、
ダルフを直ぐ頭上から見下ろすリオン。その無表情に内包した感情は窺い知れない。だが確かに彼に決断を迫っていた。
「だめ、だ…………そ……れは、そんな……!」
「あなたが悪に堕ちるのならば、私も共に行くわ」
「同じ、だ……そんな事を、すれば…………
こんな事態に陥っても決断の出来ぬ、数多の正義に囚われた黄金の瞳がリオンを見上げた。
「……」
表情の無い彼女の中に蠢くは、侮蔑か、尊敬か。まるで窺い知れない。ただ彼女は「そう」と寂しげに呟いてから、彼の元を離れていった。
そうして視界から消えてしまった。
「咲け」
ダルフの体内に百合が芽吹いた。それは体内から臓器を貫き、花開き、やがて口から目から、茎を伸ばして項垂れた白い花弁を見せた。
花も折らず実も取らず、何も守れないまま、正義は果てる。
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