第68話 怨嗟の森


 ダルフの黄金の瞳に光が宿る。決意した意志を宿す眼が、掲げたクレイモアの刀身から覗く。


「ふん……。恩情だ。てめぇ一人が粋がっても何も変わらんという事を、今見せてやる」

「何をするつもりだ! やめろ!」


 ルイリが量の拳を合わせ、天に向けて結集した指先をゆっくりと開いた。


「『大輪』」


 ルイリがそう呟くと、民の密集する地点に突如として、数十人を一挙に飲み込む巨大な白百合が咲いた。


「が……か……」

「父さん!!」


 巨大な白百合の花弁に、何人もの民と、騎士までもが貫かれ、絡まっている。幾人がうめき声を出すそこには、グレオの父が腹部を貫かれた姿で宙吊りになっていた。死を悟ったグレが血眼で息子を見下ろしている。


「……グレオ、私と、母の分も……生き……ろ。姉さんを守っ……」

「父さん! 父さん!」


 吊るされたまま、青ざめ始めた父を揺り起こそうとするグレオ。


「お父さん!」


 エルが駆けてきて父の頬を撫でて涙を落とす。


「……苦労をかけた……好きな事を……好きな様に、やらせてやりたかった……のに……母さんと、そう話していた……のに」

「お父さん、もう喋らないで!」

「グレオ、エル……生きろ。可能ならば生きてくれ、地を這いずってでも。どんなひどい目にあっても……生きて、生き延びて、私と……母さんの、夢を……叶え………………」

「お父さん!!!」

「う……うぅ、うわああぁああッッ!!」


 グレオが、涙を振り撒いて力強く慟哭した。すると彼の周囲の積雪が、彼を中心にして円形に、凄まじい突風で巻き上がった。


「あのガキ、風の魔力を……」

「ルイリ、貴様ぁあ!!!」 

「『大輪』」


 ダルフの糾弾も他所に、ルイリはその巨大な白百合を無数に咲かせ始めた。夥しい数の民が騎士が、瞬く間に鉄の様な硬度の花弁に突き刺され、押し潰され絶叫を挙げる。そうして残った民が逃げ惑う。

 ダルフは怒り心頭のまま、クレイモアを握り込んで、花に押し潰され、騎士に斬り伏せられる民の元へと、ルイリの眼下を離れ、矢の様に駆けていた。

 ――――しかし。


「待ってくれダルフ様!」


 散り散りに逃げ惑っていた一部の民達が、ダルフの存在に気付き、すがるように集まってその進行を阻む。民がダルフの胸に、腕に決死の表情でしがみついて来る。


「助けてくれ、わしを守ってくれ!」

「わかってる! 離してくれ!」

「頼む、あんた不死なんだろう!? 頼むよ! 俺はまだ死にたくねぇんだ!」

「……っ」

「そうだ守ってくれ! あんたは何回死んだって蘇るんだろ!? 俺達は終わりなんだ、あんたと違って、一回死んだら二度目は無いんだ!! ……守れよ!」

「守る……守るさ。だから退いてくれ! これではみんなを守 れない!」

「みんななんていいから! お願いダルフ様! 死にたくないの! 私を守って! 私の盾になって! 何度だって死ねるんでしょう!? 私達を守るって言ったでしょう!?」

「く……」

「あなたは何度だって死ねるんでしょ!? !? だったら守ってよ! その身を呈して私を守ってよ!!」


 醜い喧騒に掴みかかられるダルフを、リオンが遠巻きから覗いている。緊張感の無い佇まいで、揺れながら。


「うわああ! たすけて! おかあさん!」

「……っ!?」遠くから聞こえたその幼い声にダルフはハッとして顔をあげた。


 一人の騎士が剣を振り上げて、幼い少女を追い回している光景が飛び込んできた。


「頼む、わしを、わしを守ってくれダルフ様!」

「いや、私よ! 私私ワタシ!」

「っ退けぇッッ!!」


 ダルフが民を強引に押し退けた。突き飛ばされ、よろめく民達。

 ――――その途端、よろめいて後退った民達が、瞬間的にそこに現れて花開いた、背丈を越える巨大な白百合の花弁に突き刺され、そのままに宙吊りとなった。


「――――はっ!」


 自らが突き飛ばした事で民が何人も同時に死んだ。その事に気を動転させたダルフの瞳に戦慄が走る。

 即座に押し潰された民を除いて、幾人かは花弁に体を貫かれたまま、逆さまになって血走った瞳をダルフに向けている。そして血を吐き、呻きながらに話し出した。


「どう……してダルフさ…………」

「あ……あぁあ! 違う! 俺は、俺はッ!!」

「おまえが……押したから……お前に、殺された……」

「待ってく……っ」


「おかあさん! おかあさん! イヤだ、死にたくない!」


 立ち尽くし、茫然と巨大な花弁から血を垂らす民を見上げていたダルフの耳に、再び幼子の声が飛び込んだ。ダルフは歯を食い縛り、その場を離れて少女の声のした方角へと駆けた。


「ぁぁっ! ……なんだ……何なんだ…………なんだコレはっ!!」


 駆けるダルフに影を落とす、何時しかに、無数に咲いた背丈を越える巨大な白百合。その花弁に突き刺され、押し潰されて宙吊りになった百数名は居る民が、逃れられない死の吐息を漏らしながら、貫かれ、逆さまになり、うつ伏せに吊り下がりながら、百合を避けて駆けるダルフに、無数の視線を落としている。


「うわああああぁあ!!!」


 人の吊り下がる、鬱蒼とした木立の間を抜けながら、ダルフは狂いそうな位に絶叫していた。


「ぅ…………ぅ……う」


 すぐには死ねず、微かに息のある者が多く、彼等は駆ける金色の騎士に向けて、息も絶え絶えに口を開いた。無数の声が頭上から豪雨の様に降って来る。

 ――――怨嗟の雨が。


「まもって……くれるって言ったじゃないか」

「うそ……つき」

「お前が私達を、都から連れ出したから……こんな……っ」

「苦しい……痛い」

「……あのまま、あの都で野垂れ死んだ方が……マシだ…………った」

「おまえの、全部お前のせいだ」


 ダルフは耳を塞いで、涙を振り撒きながら幼い少女の元へと駆けていた。しかし怨嗟は彼の耳にへばりつき、止むことが無い。


「いたい! やめて……いやだよ、やだ! おかあさん! おとうさん!」


 幼い少女が髪を掴まれ、吊り上げられている。そうして騎士が剣をゆるゆると挙げ、突き刺す姿勢を取ったのがダルフの視線に飛び込んできた。距離はまだ十メートルはある。間に合わない事は明白だった。


「あああああぁあッッ!!」


 ダルフは駆けた。全速力で駆けた。その絶望に足を止めてしまいそうになるのを必死に堪えて、目を血走らせ、獣の様に歯を食い縛り、血管を浮き立たせる位に全身に力を込めて。


「くっふふふ」


 ルイリが愉悦の息を漏らしてダルフの表情を見下ろしている。そして目を見開いて刮目した。壊れてしまいそうな彼の目前で、やがて、幼子がその頭を剣に突き刺される瞬間を。そうして彼が、次に一体どの様な表情を見せてくれるのか、ルイリはそれが楽しみで仕方がなく、笑ったのだ。


「いやあああっ!!」


最後の叫喚を振り絞る少女に、ルイリはにんまり微笑んでその時を待った。





「………………あ?」


 しかしルイリの期待した光景は一向に訪れなかった。少女の髪を掴んでいた騎士が白煙を挙げて倒れ伏す。


「――――む、む! ムムっ……! む、む、ム、むむっ! ムっ!!」


 ルイリは余りの怒りに顔を真っ赤にして震え、力み過ぎて、こめかみに浮き立った血管から血を噴き出しながら、わなわなと紫の虹彩を揺らして激昂した。

 ルイリが見た光景は、ダルフの背から伸びた白き雷火が、騎士を貫いていく瞬間であった。


「謀ぅぅううウウウううッッ叛んんんッッッッ!!!」


 セフトを、世界を、正義を裏切ったダルフに、ルイリは謀叛。と絶叫していた。

 ダルフは稲妻の様に駆け、民を襲う騎士を、その雷撃の翼に包み込んで駆け巡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る