第66話 死を弄ぶ


「なぁリットー。私は言ったよなぁ、前にも言ったよなぁ?」

「……が…………ぼ……っ」


 まだ微かに息のあったリットーの眼球が、頭蓋に芽吹いた不可思議な存在に押し出され、管を伸ばしたまま眼窩から飛び出した。彼の口から、耳から、眼窩から、白き花の花弁がぬらりと出て来て、彼の血にその身を濡らす。そしてリットーは膝を着いて息を止めた。


「『生命の芽吹き』」


 ルイリがそう言って左の指をパチンと鳴らすと、その白き花弁は消滅し、体内から食い破られたリットーの体が一瞬光に包まれ、眼球も戻り、元の通りに治癒されて、生命活動を再開した。


「ぉ、ぉ、ぉ、ぉお願いじますルイリざまッ!! もう……っ!!」


 民もダルフも理解が及ばず言葉を失ってしまう。しかし冷酷な紫の虹彩は揺らめきもせず真っ直ぐに彼を見下ろし続けた。


「咲け」再びに結集した指先を開いた。

「ブ……っうぼぼぼぼホボッ!!」


 体を痙攣させ始めたリットーの胴を、鉄の様に硬い白き花弁が突き破り、伸びていく。


「今の泰平の根幹を」


 白き花弁が消えて、穴だらけの体を残した騎士。ルイリが指をパチンと鳴らすと、光に包まれて元の通りに再生する。


「ゴロザナイデっ!!」

「咲け」

「ブギギィィッッ!!」

「平和の根底を」


 ルイリが指先を開くと、今度は一気に頭蓋で花開いた存在が、頭を破裂させ、その姿を露にする。破裂し、割れた頭部から、血と、脳漿を被り、人の頭程の大きさの白い百合が、項垂れた首を下げて花開いていた。


「安寧の基礎を! 揺るがす事は決して許さぬと!!」


 余りの凶行に静まり返ったその場に、指を鳴らす音が響く。


「お願いじます!! 死んで、蘇るトッ……!!」

「咲け」

「ヅゥ……っっ!!」


 陽光照り返す白き雪原に、赤い血液の花が開く。


 ――パチン。「基礎を!」咲け。「土台を!」パチン。「ベースを!」咲け。「根底を!」パチン。「礎を!」咲け。「変える事は!」パチン。「許さぬとっ!」咲け。「僅かな憂いすらも!」パチン。「塵芥の一粒の懸念すらも!」咲け。「決して許さぬとッッ!!」パチン…………


「止べで! わがらなくなるっっ! 自分ガ!!」

「ミハイル様より仰せつかっているのだッ!! それだけを守れと!! 遵守せよと!!」


 何時しか激怒し、唾を撒き散らしながら、生を、死を、手の上で弄ぶ、人智を越えた神のような人。その鬼神の様な乱心ぶりに、誰もが肌に粟を立たせ、言葉を失い、彼女の視界から消えていなくなりたいと心より願う他無かった。静寂の中で、その極限の恐怖は、ダルフにすらも思い起こされ、しがらみに捕らわれた様に身動きが取れなくなる。


「今の平和が乱れたら! それは私の責任だ! ミハイル様の言い付けを守れなかった私のっ! 平和の基礎を乱したワタシノッ! そしたらば! 軽蔑される! 侮蔑される! ミハイル様にッッ! ぁぁああアアっっ!! それだけはッソレダケハ堪えられない!!」


 ルイリは途端に激怒の表情を止め、今度は頭を抱え込んで、大きく開いた瞳に涙を抱え込みながら、頭を振り乱し出した。


「人を喰らった悪魔の手先が! 一人でも生き残り世に遺伝子を残したらッ! 悪魔の蔓延る世界へと! 悪の跋扈する世界へと変わっちまうだろうガァッッ! 殺せ、コロセ、皆殺セ! 人を喰った悪魔の遺伝子を駆逐しろ! ミハイル様のミハイル様のミハイル様ノッッ!!! 望んだ世界に一片すらの憂いをノコスナぁっ!!」


 生と死を繰り返されたリットーは。自分が自分では無くなるかの様な。先程まで生きていて、殺されて、甦った自分とでは、最早違う人格の、別人に成り代わってしまったかの様な、不可思議な錯覚に捕らわれて、訳がわからなくなったまま、茫然自失と涎を垂らしていた。


「……ぁ………………ぁ……」

「はぁ……はぁ………」


 息を荒げるルイリ。一呼吸着いた拷問に、その場に居た者は皆胸を撫で下ろしたが。


「………返事はどうしたリットー」

「ぁ……ぁあっ……は、い! ハイッ! ハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイ!!!!」


 中空を見上げながら、恐怖に支配されるリットーが狂ったように繰り返すが、ルイリは再び指先を結集させていた。


「咲け」

「ハイハイ!! ハイッうブぅっっぐ……!」


「無茶苦茶だ……」バギットが瞼を震えさせて呟く。

 眼窩と口から小さな百合の六枚の花弁を覗かせたリットーが、全身を痙攣させて血の涙を垂らす。騎士は恐怖しぶるぶると震えているだけだ。


 ――パチン。咲け。パチン。咲け。パチン。咲け。パチン。咲け。パチン。咲け。パチン。咲け。パチン。咲け。パチン。咲け。パチン。咲け。パチン。咲け。パチン。咲け。パチン。咲け。


 何時までも繰り返される過剰な虐殺に、民達は怯えて後退る。しかし声をあげる者はいない。

 

「わかッッてんのかテメェ!!」


 憤激する彼女に、剥かれた紫の虹彩に、執拗な拷問に。誰もが畏怖の許容量を越えて鬼胎きたいを宿す。まもなく自分達もこうなるのだと、彼女の手によってまるで傀儡の様に繰り返しそうされるのだと。民は、それが短くない時間に訪れる結末だという事はわかっていた。しかし、今この瞬間、僅かな時間でもその暴力の切っ先から逃れようと、誰も一言も、一挙手すらも起こさなかった。否、起こせなかった。自らに刻まれた本能的な恐怖心が、彼女に注目される事を拒んでいるのだ。その神のような人に、神のような能力で蹂躙される事を。


「やめろッッッッ!!!!」


 しかしその場に一人、恐怖というしがらみを解き放ち、神に真っ向から相対しようという存在がいた。


「……あぁ?」


 リットーを見下ろした血走った瞳が、その眼球を動かしてジロリとダルフを見下ろす。


「リットーが汚ねぇ生け花みたいになっちまったじゃネェかっ!!」


 激しい怒号にとてつもないプレッシャーをダルフが襲い、冷や汗が滝のように落ちていく。

 全身から白百合を芽吹かせて横たわる、血みどろの騎士は、最早意識を失ってだらりと口元を開けていた。ダルフが声を発した事で、蘇生のタイミングを失ってそのままになっているのだ。


「……なんだその仰々しい得物は。てめぇ、民じゃあねぇなぁ」


 蛇に睨まれた蛙の心持ちのダルフであったが、彼女の見下ろすクレイモアを手に名乗りを挙げる。


「第20国家憲兵隊、隊長。ダルフ・ロードシャインだ! もう辞めろ! 仲間を痛め付けるな!」

「隊長? 死んだと聞いているが……ふん、まぁいい。生き残りがノコノコと悪魔の徒を運んでやって来たのだ。てめぇは十分にセフトの騎士として、の騎士としての役割を果たした」

「その悪魔の徒とはどういう事だ! そんな事を嘯いて二千の民を……っ俺の仲間達も殺したのかッ!」

「ちっ……ぁあ~ん?」


 ルイリが「咲け」と呟くと、空中に留まった彼女の足元に巨大な白百合が花開いて、中空に留まり、そこに腰掛けてふてぶてしく足を組んで肘を置いた。


「先の民も人を喰らっていた。人を喰う行為は悪魔の手先。悪しき遺伝子だ。故に殺した。安寧の基盤を今後乱さぬ為に芽を摘んだ。正義の為に」

「彼等は自ら人を殺して喰らったのでは無い! 生きる為、既に死んだ者を泣きながら喰うしか無かったんだ! お前達が救援に来なかったから、生きる為に!」

「で?」

「……は?」

「喰らった者は無論、それを横目に黙っていた奴も同罪。知っていた奴も同罪。思い至った時点で有罪。事情など知らぬ。貴様らは正義の為の駆逐対象だ。セフトの騎士も……無論てめぇも」

「何が正義だ……それの何処が正義なんだっ!!」

「言っても解らぬ痴れ者が。もういい」


 ルイリは侮蔑の目を向けたまま最早取り合う余地も無く、左手で指を鳴らす。白百合が消えてリットーが蘇り、怯えた目で暴君を見上げた。


「やれ、悪魔の徒を殲滅しろ。今回はたったの数百。何……細事だ」

「……ぁあ! モウ殺さないで! ……ルイリざま!!」

「どうした、出来るよなぁ、リットー? 正義の礎の為に」

「ハイィッッィ!!」


 暴力に打ちのめされた騎士は、言われるがままに志を捻曲げながら、錯乱した面持ちで拾い上げたランスを振り上げた。

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