第65話 暴君


 やがて食糧を乗せた荷車を押して騎士がやってきて、民は笑顔でそれを分けあい、温かいスープを貰っていた。

 そんな和やかな民とは相反した心情のダルフが、リットーに詰め寄って胸ぐらを掴んでいた。


「それは……どういう、どういう事なのです!」


 蒼白になったダルフの顔面。ひきつった表情で見下ろす彼の冷ややかな視線から逃れる様に、リットーは掴まれたまま視線を泳がせている。


「君の感情は至極全うだ。だが、とかく今は早急にこの場を離れるべきだ。民を連れて、早く」


 ダルフに胸ぐらを掴まれて大きな盾を落としたリットー。それに異変を覚えた騎士と、グレオとバギットがこちらに歩み寄ってきた。


「何してるんですかダルフさん!」

「何があったんだよ?」


 しかしダルフは侮蔑の眼差しをリットーに向けたまま、歯牙を剥き出す。


「あれ程の数の民を……俺の仲間を、全員だと? お前達の面構えに射した影の正体はそれか!」

「騒ぎを大きくするな……彼女が、彼女がここに来たら君達もっ」

「さっきから俺の質問に何一つ答えていないじゃないか! 説明しろ! 何もかもッ!」

「我々も、好きでその様な外道極まる行いをした訳ではない!」

「ならば何故だ!」

「彼女がそう命じたのだ。正義の為にそうせよと」

「正義だと!? 聞いて呆れる! それだけの数の人を殺しておいて!」

「俺達にも守るべき者がある。親を、妻を、子を。……あの暴君の前では、そうしなければ何も守れないのだ!」

「暴君? それは誰だ!」

「ルイリ・ルーベスタ」


 聞き慣れたその名に、ダルフは戦慄した。ルイリ・ルーベスタ。イェソドの都を治める天使の子、その人だ。リットーが息苦しい首を抑えて続ける。周囲の騎士は俯いて、彼を苦しめるダルフを止める事もしない。まるで自分達の犯した罪の裁きを受け入れるかの様に、苦々しい顔をして立ち尽くしている。


「……我々は、ごほっ……従うしかなかった。彼女はこの都の法律そのものだ。反発した者は殺された。何度も何度も! この私自身もっ」

「何度も殺されるだと……?」


 何時しか騒ぎは大きくなり、民も彼等を見て固まっている。しかしそんな中、一人湖に浮かぶ都へと振り返る者が居る。


「来るよ、ダルフ」


 リオンが一人、都の上空を仰ぎ見て、寒風に揺れる黒髪を抑えた。表情の無い彼女の口元が、やはり歪んでいた。笑みを堪える様にして微かに。

 圧倒的なまでの重圧を感じ取ったダルフが、リットーの胸ぐらを離して都に振り返る。


「あ、あぁ……っ! 来た、勘づかれた! 彼女がっ!」


 都の市壁を越えて、肉厚な茶褐色の翼が羽ばたき、こちらに向けてくる。彼女が一度羽ばたく度に、強烈なプレッシャーが押し寄せて近付いてくる。

 リットーと騎士はその姿に動揺し、情けなく肩を戦慄かせながら、眉を八の字にして愕然とした。彼程の威厳を纏った人物を、親に叱られる少年の有り様にするその暴君とは、一体どれ程に過激な人物であるのだろうか。


「我々はまた民を殺さなくてはならないというのか……何が正義だ……世紀の大虐殺をしておいて、まだ足りぬというのか」

「旦那、俺達はどうしたら」

「とにかく下がって、民を守るんだ!」


 上空から飛来して来る桃色のサーコート。丈長で袖の無い外套に緻密な金の刺繍が煌めいている。宝石の散りばめられた小さな帽子の垂れ下がりは肩にまで達し、中肉中背の貴婦人然とした出で立ちであったが――彼女自身の性格は、そんな優雅とはかけ離れたものであった。


「リット~?」


 すぐ頭上にまで飛来してきた彼女の紫の瞳は、その眉間に深く皺を寄せて、苛烈な視線を下げていた。リットーのみならず、辺りの騎士は皆青ざめて、棒を飲み込んだ様に背を伸ばす。


「おい」


 威圧感しか感じさせない粗雑な物言いに、リットーはビクリとしながら声を返す。


「はっ……はい! ルイリ様」


 小さな白い帽子の下に濃い黄色の巻き毛が覗いている。その下の鼻筋にはほうれい線が浮き上がり、額には血管が何本も出て、その機嫌の悪さを醸し出す。しかしこの睨み付ける様な表情がおそらく彼女の基本的な面持ちであるのであろう事が、眉間に出来たあまりにも深い皺の様子から想像できる。


「何故報告を怠った?」

「いえ、それは」

が訪れたという重要な報告を、何故怠ったと聞いている!」


「悪魔の徒だって?」グレオが怒鳴り付ける様な彼女の言葉を繰り返した。民達もざわめき始めた。


「あまつさえ、食糧まで施し……貴様はなんだ? 惻隠そくいんの情ならば、思慮足りぬ偽善甚だしい」

「は……はい」

「てめぇ、この安寧のに亀裂を入れるつもりか……なぁ? リットー!!」


 ルイリは白いレースの付け袖を眼前に掲げ、そこから伸びる指先を結集させて、天に向ける。


「お、お許しを! お許し下さいルイリ様ぁあ!」

「てめぇには仕置きが必要だ。たっぷりと、そんな思考が二度とは浮かばなくなるまでに」


 ルイリのその一挙手に、途端に懇願し始めたリットー。騎士達も、明日は我が身と怯えた目をしている。しかし彼女はその厳しい顔付きを一切に緩めずに、口角に幾重もの皺を寄せて、忌々しいといった風に言葉を続けた。


「『輪開りんかい』」

「ご容赦をぉおおオオ!!」


 ルイリが右手の、天に向けて結集していた指先を開いた。


「咲け」

「ルイ――――ッぼォアッ!! …………ッボ!」


 上空に留まったルイリを仰いでいたリットーが、頭蓋が破裂でもしたかの様にその口や眼球から血を吹き出した。ランスと盾を地に落とし、立ったまま、顔面の穴という穴から血を噴出している。


「何……だ……?」


 目を見開いて固まったダルフが呟く。民達もその戦慄の光景に言葉を失っている。騎士達はその見知った光景に、ただ声もなく俯いている。その暴君の矛先が自らに向かぬ様に、視線を逸らして。

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