第64話 水に浮かぶ湖上


「見えた、都だ」

「美しい。まるで水に浮かぶ都だ」


 それから四日後。雪原をひた歩いてきたダルフ達の目前に、イェソドの都が姿を表した。

 白い市壁に囲まれた都の周囲は、幅の広い水堀によって、まるで湖に浮かんでいる様な幻想的なものである。雪の漂うなか、湖にはまだ氷がはっておらず、風に水面が漂っている。


「ダルフさん。市門が閉じていますよ」


 グレオのいう通り、都に続く唯一の木橋の向こうにある市門が固く閉じられている。つまりその湖に浮かぶ都へは立ち入れなくなっているのだ。


「どうした、都に入れないのか?」

「子どもがお腹を空かせているの、早く何か食べ物を」


 民が狼狽える。ウィレムの森から持ち出した食糧も尽き、民は飢えていた。更に水場が近いので、凍てつく風が辺りを取り巻いている。


「寒い。凍っちまうよ。まだ中には入れないのかい?」

「……見ろ、物見塔に人がいるぞ! こちらに何か合図を送っている」


 イェソドの都は上空から見ると正方形になっている。その四隅には物見塔が、無数の砲台を乗せた市壁に沿って頭を突きだしているのだが、そこに、こちらを双眼鏡で覗き、慌てふためいた人影が見える。彼等がこちらに送る合図を見て、ダルフは意図を汲み取った。


「待て、か。みんな、少し待っていればいい、慌てることはない」


 彼等は待て、と合図を送っている。ダルフがその旨を民に伝えると、騒ぎは次第に収束していった。


 程無くすると、閉じられた市門が音を立てて開かれた。民はホッと息をついて安堵したが、そこから列になって現れた騎士達の姿に、ダルフは不吉な気配を感じ取っていた。


「なんだ……?」

「やった、助かったぜ旦那!」

「ダルフさん、どうしたんです?」


 喜び勇む民。都に掛かる木橋からこちらに進軍してくるのは、銀の甲冑を纏った約100名の騎士の姿である。


「……何故武装している?」


 ダルフの疑問も他所に、騎士が木橋を渡りきると、再びに市門が閉じられてしまった。


「なんだ、どうしてまた閉めるんだい」


 民達の前に現れた物々しい100名の騎士。その集団を率いる男が後方より現れて、一人前に出た。相対してダルフも500名の民を背にして一人前に出る。


「君達は、ネツァクから?」


 ダルフの前で、口先の尖った兜の面頬を上げた皺を刻んだ中年男が、何処と無く表情に愁いを見せながらに問い掛けた。理知的な瞳の下に深い影を落とし、やつれた印象を受ける。後方の騎士達もまた、同じ様に深い隈を作り、虚ろな目でダルフをじっと眺めている。


「そうです。ネツァクの難民約500名。ここまで命からがら生き延びて来ました。受け入れを要請したい」

「……やはりか」


 どういう訳か、その隊長風のアーモンド型の盾とランスを抱えた中年男は、ため息をついて何か憐れむ様な視線を民達に泳がせた。後方の騎士達も空気を重くして、瞳を伏せる。何処か重苦しい彼等のまとう空気から、精神的な疲労が見てとれた。


「俺は第20国家憲兵隊、隊長ダルフ・ロードシャイン。貴殿もセフトに仕えし国家憲兵隊、隊長とお見受けする。過酷な旅に、民も限界に近い。至急庇護を受けたいのだが」

「第20国家憲兵隊だと? 貴殿がその隊長だと申すのか?」


 騎士達が動揺して瞳を見合わせている。ランスを持った痩せた男も同じように動揺している。


「死んだと伺ったのだが」

「それはもしや、先日の二千の民を連れた騎士から聞いたのか? 彼等は無事辿り着いたのか、俺の仲間なんだ!」

「……」


 ランスの男が口ごもり、やがて思い詰めた様な瞳を伏せると、鼻の下の三日月型の髭が風にそよいだ。後方の騎士も、闇を抱え込んだ様な淀んだ瞳を泳がせて、ダルフから視線を外し始める。


「どうしたというのだ……二千の民がここに訪れた筈だ、彼等はどうなった?」


 ダルフの決死の問い掛けをかき分けて、民達が声を出し始めた。


「お願いします騎士様。子どもが腹を空かせているのです」

「温かいものを、スープの一杯で良いですから頂けませんか?」

「どうして都に入れてくれないのです」


 飢えた民を見てとった隊長の男は、しばらく顎に手をやって考えた後に、後方の騎士の一人にこう告げていた。


「内密に食糧を持って来てやろう。民が可哀想だ」

「しかしリットー様……」

「お前は民を見て心が痛まぬか」

「いえ、そんな筈は御座いません。しかしこの事がルイリ様の耳にでも入ったら」

「良い。全責任は俺が持つ。ルイリ様には悟られるな」

「また貴方という人は……」


 騎士数名が都へと戻っていった。リットーと呼ばれた隊長風の男が、民に向けて、先程までの暗い面持ちとはかけ離れた、溌剌な笑顔を見せた。


「民達よ。今食糧を持ってくるから、騒がずに待たれよ。寒いなか待たせてすまない」


 リットーの瞳の奥には、確かに民を思う正義の心が見てとれた。しかし何故なのだろうか、こんなに気の良い彼等の相貌に落ちた、深き影の気配は。そうダルフは思った。


「ダルフくん。申し遅れた。私は第24国家憲兵隊、隊長リットー・マルスエリ。これ程の数の民を守り、ここに辿り着いた君の功績を、私は讃えよう」

「……リットーさん、一つ聞かせてくれ。何故君達は武装している。まるでこれから戦いでもあるかの様に」


 リットーはそれに答えず、緊迫した表現で口早に言った。


「矢継ぎ早ですまないがダルフくん、君に話がある」


 リットーはダルフの側に寄り、民から少し離れた場所へと移動した。少し離れた場所に立ち尽くすリオンが、ダルフを見て口許を歪ませていた。


「ダルフくん、悪いことは言わない。食糧を受け取ったら、すぐにこの場を離れて、別の都を目指すんだ」

「な、それは何故なんです?」


 ここまで断腸の思いで辿り着いたダルフが思わず声をあげたが、リットーはそれを制して口の前で指を立てて声を静めさせた。


「民が混乱する。動揺を表に出すな」

「しかしっ……」

「言うとおりにすべきだ。あの二千の民達の様になりたくなければ」


 その言葉にダルフの胸に衝撃が走る。冷たい汗が背筋を伝う。それを口にしてから、再び暗い表情をしたリットーに、恐る恐る問い掛けた。


「二千の民はやはりここに来たのか……彼等が一体、どうなったというのです?」


 しかしリットーは首を振ってそれを否定すると、次に虚ろな視線を向けた。


。一人残らず……この私自身の手で殺したのだ」

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