第十四章 礎を守る暴君

第63話 人間のふり

   第十四章 礎を守る暴君


 ウィレムの森から十分な食糧を持ち出すと、民は名残惜しい気持ちを残してその場を後にした。目的地はイェソドの都。

 しかしその辛く険しい旅路は、ウィレムの森を訪れる以前とは一変していた。


「都に着いたらどうするつもりなんだ?」

「さぁ……ダルフの隣に居るわ。ずっと」

「……はぁ」


 ダルフの背後に、いつ何時もぴたりと寄り添い続ける痩身の少女が同行を始めてから、魔物はその姿を全く見せなくなっていた。

 民はその状況に心より安堵した。魔物という唯一の敵が、いとも簡単に消え失せたのだ。都が陥落してより苦しめられ続けた、あの絶望が、ひょんな事で終わりを迎えた。

 魔物はその特性上、ロチアートを襲わず、近寄ろうともしない。

 であるからして、既に民は理解していた。リオンと名乗る眼球の無い胡乱うろんな少女が、その実、ロチアートである事を。

 始めは懐疑的な瞳を向ける者も居たが、すぐにそれは無くなり、平和の保証された安全な旅路に民は幸福を感じていた。


「リオンちゃん……これ、食べるかい、美味しいよ?」


 ウィレムの森を出て三日後、一人の青年がリオンに朗らかな笑顔で彼女に林檎を差し出した。

 声をかけられたリオンは、青年に振り返って感情の分からぬ無表情を向けた。そこからしばらくしてから、引ったくる様に林檎を奪って齧り付いていた。


「あれ、俺嫌われてんのかい?」

「……別に」

「ダメダメ、お前は嫌われてんの! はいリオンさん、オレンジ!」

「それは嫌いだからいらない」


 そんな青年達とリオンのやり取りを見ていた民は、声をあげて笑った。

 今日まで、何処か腫れ物に触る様に扱われてきたリオンを、民が受け入れ始めた。家畜と人との境界が、薄れてきている。

 何処か安心したような面持ちのダルフは、リオンを置いて先に歩いていった。


「ダルフさん、リオンさんって変わっていますね」


 グレオが呑気に手を頭の後ろに組みながら、ダルフに語りかけた。長髪をそよがせて振り返ったダルフが不思議な顔をする。


「まぁそうだが、驚く程か?」


 すると小耳を立てていたバンダナ頭が駆けてきて、馴れ馴れしくダルフの肩に手を置いた。


「そりゃあもう変わってる変わってる。それがおかしくってみんな笑ってるんだぜ?」

「バギット」

「剣の鍛練ばっかしてたんで、俗世に疎いってのかい? ははっ」

「ちょっと! 失礼ですよバギットさん」


 バギットに言われた通り、修練に明け暮れていたのも事実ではあるが……。肩から手を離したバギットが、ダルフの前に出て屈託のない笑みを向ける。


「ロチアートはな、刃物を持って迫ったって物怖じ一つせず、ただ微笑んで切り裂かれるのを待ってるんだ。人間の命令には何だって従う。放り出して、包丁を忘れたからここで待ってろって言ったら皆そうするぜ」

「リオンと同じ、ロチアートがか」


 答えたのはグレオだった。ダルフに対し些細な事であれど、何かを教える事が嬉しいのか、得意気な表情をして片方の眉を吊り上げて微笑んでいる。


「それがロチアートです。人間に喰われる為に育成され、それを至上の悦びとするが為、そんな反応が当たり前なんですよ。意思がない様に、基本話したりもしませんし」

「だが、リオンは、違う……そんなんじゃ」

「そうです」


 グレオが指を一つ立てて見せている。


「彼女はロチアートでありながら、まるで人間の様に振る舞い、話し、行動する。それが不思議で、皆笑っているのです。


 グレオの言葉にダルフが足を止めた。


「やめろ」

「……ダルフさん?」


 ダルフは思い起こしていた。彼女を胸に抱いたそのぬくもりを、会話を交わして微笑みあったあの瞬間を。瞳の無い彼女との一時は、何の疑う余地も無く、一人の少女との記憶だった。


「そいえばよ」


 ダルフの醸し出した異様な雰囲気をグレオは察していたが、バギットはそうでも無かった様で、何処か遠くを見ながら足元の雪を高く蹴り上げた。陽光が舞った粉雪を煌めかす。

 

「俺達の都をあんな風にしちまった、終夜鴉紋とかいう反逆者は、ロチアートも俺達と同じ人間だって言うんだってなぁ」


 思わぬ宿敵の名に、ダルフの言いかけた言葉は、彼の蹴り上げた雪の様に、宙を舞って霧散していった。


「完全にイカれてるよな」


 瞳を見開いたダルフをグレオは複雑な心境で眺めていた。するとダルフは一度うつむいてから「そうだな、バギット」と小さく返答していた。


「ダルフさ――――――」

「君達は、都に着いたらどうするつもりなんだ?」


 グレオの心配する声は、偶然にダルフの言葉と重なって消えていった。心情を見定めようと彼の表情が上がるのを待っていると、そこにあったのは、普段と寸分違わない、燦然とした金色の瞳がある。グレオはその戦士の相貌に自分が思わぬ取り越し苦労をしたと思い至って、息を着いた。


「んー、俺はまた大工かな。こう見えても中々の腕前なんだぜ、俺」

「そうか、バギットの建てた家を見てみたいな……グレオは?」

「え、いや、僕は…………僕は」


 恥ずかしい事でもあるのか、グレオはそっぽを向いて視線をさ迷わせ始めた。


「どうしたグレオ。君には魔物に立ち向かう勇気がある。歳も若い。何にだってなれるさ」

「その、僕は……」

「聞かせてくれグレオ」

「……っ」

「だー、早く言えよグレオー。俺には何て言われたって爆笑する準備がもう出来てる」

「バギット!」

「……僕は、もし叶うのなら……あなたの様な、ダルフさんの様な、正義の騎士になり、たい」

「は?」

「え?」


 グレオの瞳の奥には小さな紅蓮が灯っている。ダルフもバギットもそんな少年の渾身の一言に面喰らっていた。バギットに至っては、つい先程の宣言を忘れてしまったのか、黙り込んであんぐりと口を開けているだけだった。


「グレオ、そう言ってくれるのは有難いが、今騎士になるのは本当に危険な事で…………」


 放心したバギットが、バンダナの上に盛る茶髪を撫でながら「あー、それいいなぁ。俺もそうしようかな」とあっけらかんとこう口走ったので、ダルフはいよいよ肩を深く落とす羽目になった。

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