第十三章 胡乱な魔女
第58話 険しい道程
第十三章
飢饉で衰弱した民500名を連れて、ダルフはネツァクを出て、イェソドの都を目指した。先頭にダルフと案内役のグレ。中心には女、子ども、老人を配置し、その周囲を、各々が都で見繕った武器を持った男達で囲んでいる。肩が触れあう程に密集したその陣形の最後尾には、まだ闘う余力を残している僅かな民、グレオとバギットが構えている。
しかしその密集陣形には、武装して意気込んだ民とは相反した、単純明快なある意図が組み込まれていた。
――――その陣形は、ダルフ一人で全ての民を守る為の策略であったのだ。
ネツァクを後にしてからのダルフの孤軍奮闘振りは凄まじいものであった。何処からともなく黒いもやと共に湧き出る魔物達を、その稲妻の翼一枚を頼りに高速移動して葬る。何時何処から現れるかわからない魔物達に気を張り詰め、民達から声が挙がればそこに飛来して魔物を蹴散らし続けた。それを延々と、休む間も無く繰り返し、四日間が経過している。おかげで民の被害は出ていないが、干上がった土地から採れる食糧は僅かで、やがて民は飢餓に苦しみ出した。ダルフは都から持ち運んでいる水以外、自らで何かを食べる事も無く、採れた食糧は衰弱した民に優先的に食わせた。加えて冬の厳しい寒さや積雪が体力を削り取っていく。
弱りきった民は魔物と闘える状態ではなく、武器を持った男達も、今日までおよそ拳を振り上げた事もない素人でしか無いので、実際に魔物を目前にすると竦み上がった。故に、可能である限りダルフは彼等誰一人にも、魔物と闘わせるつもりが無かったのだ。武装させたのは、万が一ダルフの剣を潜り抜けた魔物を、僅かな時間足止めしてもらう為の保険でしかない。
ダルフの披露は目に見えてわかった。背から噴出する翼の出力は弱まって、常に息を荒げている。
四日目の夜、野営の為に皆で一所に集まると、雪の積もる荒野にテントを張った。焚き火の前に腰掛けて、乱れた長髪で項垂れるダルフの元に、グレオとバギットが神妙な面持ちで訪れた。
「ダルフさん、少しでも何か口に入れて下さい」
グレオの差し出した細い芋を、深い隈の出来た顔でぼんやりと眺めたダルフは、か細くなった声で返した。
「俺はまだ大丈夫だ、餓えと寒さに喘ぐ民に、それはやってくれ」
するとバギットがダルフの前で膝をついて視線を通わせる。
「あんたが倒れたら誰が民を守ってくれるんだよ。一番食わなくちゃいけないのは旦那だ」
「……。すまない」
少し考えてから、ダルフはグレオに差し出された芋を手に取った。そして口に放り込む。
「夜も何時魔物が現れるかわからないからほとんど眠って無いんでしょう?」
「……」
「ダルフさん、僕達にも魔物と戦わせて下さい。まだイェソドの都まで半分も来ていないのに、これではあなたへの負担が大きすぎる。……僕達だって、小さな魔物くらいなら」
「あぁ、わかってる……だが、万が一にも君達に何かあったらと思うと、可能ならば、戦わせたくない」
「しかし、このままではとても都までもちません。……あなたが力尽きればやがて僕達が剣を振るう事になります。……なら、今からでも、あなたに一身にのし掛かる負担を僕達にも分担するべきだ」
「そうだぜ旦那、その為にこんなでっけぇのを持ち出してきたんだ。グレオなんてローランド家の代々からの家宝を持ってきてやがるし」
ダルフが視線を投げると、グレオは細かい彩飾の銀の短剣を二本腰に差して、バギットは見たまま肩に木製の巨大な槌を担いでいる。
「このデカイ槌は大工道具だよ、使えそうだろ? はは」
「デカければ良いってものじゃないでしょ? それ本当に振れるんですかバギットさん?」
「俺の怪力を舐めんじゃねぇぞグレオ! 魔物なんてこの槌でぺしゃんこの一撃だっての」
笑うバギットに同調して、グレオもダルフも口許を緩ませた。やがてバギットは真剣な声音でダルフに話し、彼の肩に手を置いた。
「……まぁ、確かに俺達は戦った事もねぇし、そういう訓練もしたことが無い。それに、柄にも無く、どうしょうもねぇ位に魔物の姿を見るとブルッちまう」
「バギット」
「あんたが来るまでに、俺達全員、魔物に大切な人を殺されてるんだ。奴等が目の前に立って、あの赤い目でこっちを見ると、そいつが走馬灯の様に駆け巡って、膝がガタガタ震える……だけどなぁ」
グレオも膝をついてダルフに視線を向けて頷いた。バギットとグレオ、二人の視線が泥や返り血にまみれてぼろぼろになったダルフの顔に真っ直ぐに向けられている。
「俺達はあんたと共に闘うって決めたんだ。怖くたって、逃げ出したくたって、生き残った仲間と共に、また笑って暮らしていく為に」
「バギット、グレオ……。俺は君達を、軽視していたのかもしれない」
「俺達にも頼って下さいダルフさん」
痩せ細った二人の青年に宿る戦士の心に、ダルフは驚かされていた。そして口を開く。
「後方は君達に任せる」
「ああ!」
「任せて下さい」
三人は焚き火の前に腰掛けて視線を交わらせ、微笑んだ。
目を糸の様にして弧を描き、白く整った歯牙を覗かせて、ダルフは子どもの様な顔で笑む。無邪気で屈託の無い、戦いの最中に見せる、苛烈な表情とは結び付かない程可愛らしく、爛漫に。それが民衆の、仲間の心を開かせる。それはやはり、グレオとバギットも同じであった。
そんな所にエルが歩いてきて、三人を意外そうに眺めながら自分も焚き火に加わった。
「ダルフ様を心配してきたのだけれど、大丈夫そう」
「姉さん」
「エ、エエルちゃん!」バギットは飛び上がってエルを眺める様にしている。焚き火の明かりで分かり辛いが、何処と無く頬を紅潮させている様な気がする。
「エル、民達の様子はどうだ?」
ダルフの問いにエルは首を振った。
「度重なる魔物や、食糧難、長距離の移動から心身共にギリギリだわ……加えてこの寒さで凍傷になる人もいる」
しかし明るい表情を見せたエルは、三人を見回しながらカールした髪を撫で付けた。
「でも明日にはウィレムの森に着くわ。そこに行けば食糧もあるし、体力を回復させられる……後はそこまで辿り着けるかどうか……ダルフ様もぼろぼろだし、大丈夫かな?」
するとバギットがここぞとばかりに声を出し、大きな槌を振り上げて見せる。
「だ、大丈夫さエルちゃん! 今旦那と話して、明日からは俺達も戦闘に加わる事にしたんだ! 旦那には指一本触れさせねぇ!」
上ずった声で視線をあちらこちらにさ迷わせるバギットを、エルは真っ直ぐに見つめる。やがてバギットの泳ぐ視線がエルと向かい合ったが、バギットは不器用な笑みを見せながらそっぽを向いて言った。
「エ、エルちゃんも、俺が守るぜ!」
「ふふっ」
するとエルは緩く微笑んで眦を下げた。
「素人の癖に、本当に頼りになるのかなー……でも、頼りにしてあげる。バギット」
「お……おうよ!」
グレオは複雑な面持ちでそんな二人を交互に眺めていたが、やがて大きく嘆息して何かを認めた様子である。ダルフは、三人を見ながら温かい目をして焚き火の炎に掌を向けた。傍らに置かれた鈍色のクレイモアに薄雪が乗って、その隙間から覗く刀身がオレンジ色の光を照り返しながら、雪を溶かし始めた。
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