第57話 難民達の希望
「すみませんでした!」
民達のお祭り騒ぎが一段落すると、グレオはダルフの前で深々と頭を垂れていた。
「ど、どうしたんだ」
「いえ、一時でも貴方の正義を疑った自分が恥ずかしくて、こうせずにはいられません! 殴った事もすみませんでした! 何発でも僕の事を殴ってください!」
「やめてくれよ
「……はっ」
グレオが視線を挙げて涙ぐんだ。
「僕の名前……覚えてくださったのですか!」
「なんで泣くんだ!」
「……僕も、僕も貴方の様な勇敢な男になりたい!」
「は?」
「貴方の様に、正義の体現をする騎士様に……僕も!」
「憧れられる様な大層な男ではないよ……肝心な所では、ずっと負けてきた」
そんな口ぶりであるが、何処と無く嬉しそうに頬を赤らめたダルフは、頬を指先で掻きながら背を向けて表情を隠した。
「それに、この都がこんな事になったのも俺のせいだ。怨まれる事はあっても、こんなにみんなにもてはやされるのは、なんだか悪い気がする」
「なーに言ってんだい旦那」
ダルフの正面から、クレイモアを運んでくる時に居たバンダナ男が、顎の無精髭を撫でながら微笑んで近付いて来た。
「俺はバギット。バギット・ズーサンドだ。この都で大工をやってた力自慢だい。まぁ旦那の剛力には到底敵わんが」そう言ってバギットは短い髭の隙間から真っ白な歯を見せて笑った。
「な……ズルい、僕の名はグレオ・ローランドですダルフさん!」
「ダルフの旦那が居なかったら、ここに居た奴、みーんな死んでたんだぜ? 皆だよ! どうだい? それでもまだヒーローにゃあされたくねぇって言うのかい?」
「……しかし」
「そうですよダルフさん! 見てください、みんなの顔を」
「え?」
何時しかダルフを中心に、散り散りに隠れていた民達が集まり、数百となり、痩せた腕を挙げながら手を叩いていた。
「ね、ダルフさんはみんなの希望なんです! この都に残された民達全ての!」
「いよっ! 旦那、格好いいよ! っへへ」
「……」
絶え間無い拍手を所在なさげに受けるダルフは、やがて拍手が止むと、辺りの民達を見回しながらに声を挙げた。
「俺はダルフ・ロードシャイン。第20国家憲兵隊隊長だ」
するとグレオの父親が嬉しそうに割って入る。
「俺達はネツァクの民ですよダルフ様。二年前に隊長に抜擢されたあなたを知らぬ者などおりません」
辺りから笑いが起こり、グレオの姉が父親の腕を引いて引き下がらせた。
「もう! お父さん、ダルフ様の話しの途中です!」
民達がこんな風に気を緩めて朗らかに談笑するのは久しぶりの事であった。
「はは……まぁそうか。……それよりみんな、聞いてくれ」
真剣な面持ちとなったダルフに気付いて、民は耳をすませた。
「俺はこの都に襲来した悪に敗れた。その結果マニエル様をお守りする事も出来ずに都は陥落し、人々を混乱の最中に投げ出した……つまり、君達をこんな地獄に叩き落としたのは、俺なんだ」
空気の読めないバギットが頭の後ろに手を組んでダルフに微笑みかけた。
「だからその話しはさっき終わったろー? 誰もあんたを恨んでる奴はいねぇし、悪いのはあの終夜鴉紋とかいう凶悪だって。あんた達憲兵が俺達を守るために命張って闘ってくれたのはみんな知ってるんだ、見てたんだからな!」
民はバギットの言葉に頷いてダルフに微笑みを向ける。
「わかった……ならばもう言うまい。だが俺が敗れた結果が君達を追い込んだのは事実。だからせめて、今ここに生き残った五百の民達は、この命に変えても守らせて欲しい。それが俺の騎士としての最後のプライドだ」
白い息を上げてダルフは続ける。
「魔物はまたこの都に現れて君達を襲うだろう。そして、他の都からの救援を悠長に待っている時間も、君達の痩せ細った体には残されていない……だから、俺は君達を都へと送り届ける」
その言葉に周囲がざわめき出す。
「都を出るって?」
「……でも、外にはもっと沢山の魔物も居る。それに食糧だってこの季節にはほとんど……」
不安に答えたのは、グレオだった。大きな声で民に向けて声を発した。
「ここに潜んでいては魔物に喰われるのを待っているだけだ。それに食糧だってとっくに無いだろう? 僕達にはダルフさんが居るんだ! 勇気を出して自ら都を目指すべきだ!」
すると何処かからポツリと声があった。
「食糧ならまだ少し……」
その声に反応して、民が一様にその表情に影を落としたのにダルフは気付く。そして同情の表情で、優しい声音と共に周囲の民を眺める。
「みんな……辛かっただろう。……そうしなければ、
民の言う食糧が何なのか、ダルフは理解していた。
「……それを嬉々として喰った者は、誰一人居なかったろう。だが喰わなければならなかった。生きる為に、その決断を下す他が無かった。人としての最後の尊厳をかなぐり捨てようと、悪魔の手先の烙印を受けようと、そうするしか手段がなかった。生きる為に下した君達の苦渋の決断を、俺は許そう」
押し黙る民。ダルフはこの世界で最も重い罪を犯した民を責めるでも無く、優しげに、許すと言った。グレオの姉は母親の姿を思い浮かべ、涙を流す。
「誰が罪に問えるというのだ。生きる事が人間の本懐なのだから、誰にも責められる訳が無い。地獄の様な飢饉と魔物の襲撃。この極限において君達のとった行動は必定でもあり、その結果、今こうして俺の前に、五百もの民が自らの足で立って、俺の話しに耳をそばだててくれている」
「ダルフさん」
「けっ、旦那。顔も男前、言うことも男前。……憎いぜ俺は」
民の瞳が輝きを帯びて来ていた。民達は恐怖と餓えに加え、自らの罪の意識に押し潰されそうになってこの日々を這いつくばって生き延びていた。故にここまで紡がれたダルフの言葉は、民の心を深く打ったのだ。
「だがもう終わりにしよう……悪魔になりきって、泣きながら友の、家族の肉を喰らうのは……君達は紛れもなく人間なのだから。ここで俺に誓って欲しい。そして都を目指そう。君達の尊厳を取り戻す為に」
民達は迷うそぶりもなく、涙を溜め、嬉しそうに微笑んで頷いていた。
バギットも泣いていたが、彼はそれを悟られ無いようにしてか、溌剌として飛び上がった。
「うっし! それじゃあ男は武器になりそうな物を持て! 女と子どもと老人を中心に配置して進軍するぞ」
グレオはため息をつきながら、せかせか動き出したバギットを腰に手を置いて眺める。
「何を仕切ってるんですかバギットさん、ダルフさんの指示を待って下さい」
「おーグレオ! お前幾つだ?」
「はぁ? 15です」
「じゃあ延び盛りの一級戦力だ! 旦那を先頭にして俺とお前は最後尾に構えるんだ! 旦那の手が届かない魔物は俺とお前が討つんだぜ? 頑張れよ!」
「な、僕が闘う? ……ダルフさん、良いんですか?」
お調子者のバギットの口からスラスラと出てくるのが以外にも的確なものだったので、ダルフは思わず左の口角を吊り上げて微笑しながらグレオに頷いた。
バギットはあれこれと民に指示を出し始め、忙しなくしながらダルフの方に首を向ける。
「でも旦那、進路はどうするんだい? ここから一番近い都はイェソドで、10日位で着ける。ここを先に出た奴等もそこを目指してた。あいつらはある程度食糧も持っていたから、真っ直ぐ最短距離で荒野を突っ切って行くって言ってたけど、俺達はそうはいかないわな。食糧は殆ど無いから、道中で調達しなけりゃもたないぜ」
山積みになった木材に腰掛けて、眉間にシワを寄せながら、顎に手をやってダルフは思案し始める。
「冬の痩せた土地で食糧の調達……10日もかかるとなると――――わあっ!!」
「旦那! 何やってんだい!」
「ダルフさん!?」
腰掛けていた木材が崩れて、ダルフが仰向けに転がった。
「……いたた」
「おいおい、締まらねぇなぁ~、これが俺達の隊長様かい」
「笑ったら悪いですよ! ……でも、闘ってる時はあんなに達者な人でも、こうやって転んだりするんですね」
グレオとバギットが転がったダルフを興味深そうに眺めてから顔を見合わせて笑っていると、後ろからグレオの姉と父親が歩いてきた。
「二人とも、笑ってないで助けてあげなさいよ!」
「げ、姉ちゃん」
「誰だい、このべっぴんは?」
グレオの姉がダルフに手を貸して立ち上がらせると、厳しい目でバギットを眺めた。
「エル・ローランド。あとこっちは私達のお父さん」
「グレ・ローランドですダルフ様」
ペコリとグレが頭を下げると、バギットは、ああ、いやいやどうも、と言ってからグレオを肘で突ついて流し目を向ける。
「お前の姉さん、美人だけど怖いな」
「駄目だよバギットさん」
「聞こえてるわよ」
「いっ!」
背に棒を入れた様になったバギットを通り過ぎ、グレがダルフの元に近寄って声をかける。
「ダルフ様。そういう事でしたら、少し迂回してウィレムの森を通れば、僅かでしょうが食糧を調達出来るかもしれません」
グレがウィレムの森と口に出すと、グレオが縮こまって怪訝な声を出した。
「ウィレムの森って、あの魔女が居るって噂の森だろ父さん?」
「魔女?」訳がわからずダルフがグレを見る。
「あんなの迷信だ。ウィレムの森ならば冬でも穀物や木の実をつける植物があると…………聞いた事がある」
「本当かよ親父さん?」バギットが困惑したように肩を落とすが、ダルフは慎重に考えた末に頷いた。
「他に食糧を調達出来そうなルートは無いのなら、その話しを信じるしか無いだろう」
「……まぁ、それもそうか。ん、じゃあ細かい事は頼んだぜ」何やら納得したバギットはまた踵を返して、そそくさと民達の元へ駆けていった。
「じゃあグレは俺の側で案内を頼んでいいか? 地理には全く無頓着で」と言ってダルフは素足のまま薄雪の上を足踏みし始める。そして追加の注文を依頼する。
「あぁ、それと……」
いつしか唇を紫色に染めていたダルフが、震える指を魔物の体液でずぶ濡れになったローブの胸に向ける。
「衣服を準備して貰えないか?」
その言葉に三人は動揺し、グレオは頭に手をやって掻きむしりながら慌てて頭を下げた。
「うわぁあ! すみませんダルフさん! 忘れていました!」
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