第56話 羨望の眼差し


「都が陥落してからどれくらい経つんだ?」


 ダルフの問いに答えたのは少女だった。父親はまだ息も絶え絶えに胸を抑えている。


「今日でちょうど50日です」

「そんなに……」


 自分がそんなにも長い期間眠っていた事で、民達が地獄のような苦痛を味わって生き延びていた事に、自らを呵責が襲う。続けて、食糧も無しにそれだけの期間を生き残ったという事は、残った全ての人々は、人の肉を喰らって食い繋いできた事を意味している。……ちなみにダルフが知るよしは無いが、再生にそれだけの期間を要したのは、彼の体を時折魔物が食い千切っていたからである。


「俺のせいだ、俺が奴に破れたから、君達にこんな思いを味わわせてしまった」

「ダルフ様は、今まで何処に?」

「眠っていた……長い混沌の最中で、君達が俺のせいで苦しんでいるのに、のうのうと」

「眠っていた? ……あの、私。貴方の事を大広間で見掛けたことがあります。横たわって息をしていなかったし、その……体のパーツが足りてませんでした……でも、妙に綺麗な、どこも傷んでいない皮膚をしていて、不思議な印象を受けて、覚えていたのです……あれは見間違いだったのでしょうか?」

「いや、それが俺だ」

「え?」


 どよめく親子達を横目にダルフは立ち上がった。


「奇怪な体になってしまってな」

「とても信じられませんが」

「全うな反応だ。俺自身でさえ、自分が本当に君達と同じ人間であるのか疑わしくなる時もあるんだ……それより、俺の剣を知らないか?」


 立ち直った父親が、先程の話しを未だ咀嚼しかねたままに答える。


「あんたのあのでっかい剣なら、ここの近くに隠してあるよ。騎士様の遺物となると、なんと無くそのままにしておくのも忍びなくて」

「何処にあるんだ? あれが必要なんだ。奴を討つ為には」


 青年が短い茶髪を揺らし、驚いたような声をあげて肩を竦ませる。


「あの剣……あんた本当に振れるのか? イェソドに向かった人達が、武器が必要だからって、みんなあんたの剣を担ごうとしたんだ……でも、あんなでかくて重い塊、騎士様も含めて誰も振れなくて、それでそのままになってたんだぜ? あそこまで運ぶのだって苦労したんだ、大の男四人で何とかって所だったよ」

「ちょっとグレオ、失礼よ」少女が青年を細い目で見ていた。

「だってよ……」


 その時、遠くから人の声が飛び込んできた。何やら大きな声で叫び回っている。


「魔物が出たぞ! 逃げろ! でっデカい! 何だこいつは!」


 厳しい目付きになったダルフが立ち上がり、口を開いた。


「他にもやはり、民が残っているのか?」すると父親が狼狽えながら、ええ、こう見えて思っている以上に生き残っています。多分五百人程、と答えて手近の斧を持った。

「五百? そんなに?」


 思っていた以上に生き残った者が居る事にダルフは奮い起つ。そして屋外に出ると、その光景に目を疑った。


「……なんだこのデカさは!?」


 それは体長二十メートルを越えた巨大すぎる象の魔物であった。黒いもやを纏い、赤い瞳を光らせて家屋を踏み潰している。絶望を刻んだ民の叫び声が方々から上がり始めた。


「……お、終わりだ。僕達は死ぬんだ」グレオが絶望を落とし、少女と父親も同じようにその魔物を認めると愕然とした。

「あんな大きいの見たことがない……あんなの、この都毎踏み潰されてお仕舞いよ」

「あぁ……そんな、あんな奴まで居るなんて、最早我々もここまでか。これも悪魔の手先となった報いか」


 ダルフが鼻筋に皺を寄せながら父親に告げた。


「親父さん、俺の剣を持って来てくれ」

「な……無茶だダルフ様、幾らあんたでも、こんな巨大な魔物……」

「良いから早く! 近くに潜む民達にも声をかけてくれ!」


 ダルフが家屋を踏み荒らす象の魔物に向けて、掌に貯めた雷撃を飛ばした。それは魔物の顔に炸裂したが、何事も無かった様に一度瞬きをして、そのまま緩々と攻撃が来た方向に魔物が振り返る。


「あんた! 何してんだ!?」


 グレオがダルフの胸ぐらを掴む。そうしている間に魔物は吠え、怒り狂った赤い瞳をダルフに向けて、その巨体を揺らして駆けて来た。


「馬鹿野郎! 何をしやがる! あんたのくだらない正義感のせいで、僕達は死ぬっていうのか!?」

「グレオやめろ!」父親が制止するのにも構わず、グレオは怒り、ダルフの頬を殴った。ダルフは、すまない、と言ったきり魔物に向き直る。

「聞いていなかったのか!? そういう綺麗事を言ってる奴から死んでいくんだ! 周りも巻き込んで死んでいくんだよ! くそッ! 嫌という程見てきたんだ、正義を息巻いて無様に死んでいく奴等を!」


 しかしダルフは取り合わず、魔物に視線を向けている。そしてもう一度告げた。


「俺の剣を……早く持って来てくれ!」

「……あぁ、くそッ!」


 闇を携えたグレオの瞳がダルフの横顔を射ぬく。その隣で、父親が周囲に向けて声を張り上げた。


「……誰か! 手を貸してくれ! 騎士様が居るんだ! あの剣を、まだ生きていたかったらあの剣を運ぶのを手伝ってくれ!」

「父さん……ッ!」

「もうそれに賭けるしか無いだろうグレオ! 俯きながら死ぬ位ならば、人間らしく、希望に賭けて見上げたままだ!」

「……ッ!」


 グレオと父親は駆けていった。その会話を聞いていた男達数名も何処かから立ち上がって、ダルフのクレイモアのある場所へと走っていく。

 猛烈に差し迫る巨体の風圧が、ダルフのブロンドの長髪を翻し始めた。


「騎士様、ダルフ様……」

 

 へたり込んだままの少女がダルフの背に隠れてそう漏らすと、ダルフはソッと優しい声を送った。


「君達が人を喰わねばならない程に追い詰めたのは俺だ。全て、俺の弱さが原因なんだ……だから、今度は守らせてくれ、ここまで生き残ってくれた君達を――――――」


 想像を越える速度で迫る巨大な足がもう目前にまで来て、風圧が少女の髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。


「旦那ッ!!」


 力自慢のバンダナを額に巻いた男を先頭に、グレオ達が、男五人がかりでクレイモアを担いで走って来た。


「投げてくれッ!」

「あ、危ねぇよ!」

「いいから!」

「あぁ、もうどうにでもなれっ!!」


 今や踏み潰されようという瞬間に、やけになった男達が、こちらを見てもいないダルフの背に向かって、重工なクレイモアを投げた。


「振れるもんなら振ってみやがれよ、このくそ重たい塊を!」


 グレオの言葉を聞きながら、ダルフはそちらを振り返りもせずに右腕を水平に掲げる。そこに縦に回転したクレイモアが迫っていく。


「腕が落ちちまうッ!」


 バンダナの男の心配は裏切られ、開かれたダルフの掌は、クレイモアの柄をしっかりと握り込んだ。


「うおおすっげぇ!」バンダナ男はそんな状況にも関わらず嬉しそうに笑っている。


 ダルフはそのクレイモアを片腕で軽々と頭上にまで挙げてから、両手持ちにした。その瞬間、彼の背から白い霹靂が、天に向けて、一筋にバリバリと音を立てて噴出する。


「ナァ――――なんだッ!!」


 驚いて飛び上がるバンダナの後ろで、へたり込んだ少女が、その暗い眼差しの先に広がった光景に、無意識に呟いた。


「翼……天使の翼」


 ダルフは雷撃を背後から噴出しながら巨体に迫り、クレイモアを振り下ろした。


「ブモォォオオオオオオ!!!」


 醜い声を挙げて魔物が重心を崩して左の前足の膝を着いた。ダルフのクレイモアがそこを鋭く切り裂いた為だ。

 その光景に、グレオの瞳が大きく開かれていった。


「……振れるのかよ」


 しかし象の巨体がそのまま前のめりになって、ダルフ達を押し潰そうと頭上から巨大な鼻と図体を落として来た。

 ダルフは翼のエネルギーに押し出されながら落下してくる巨大な体に向かって飛び上がり、クレイモアを逆手に持ち替えて、その長い鼻先に深く突き立てた。


「ブオッッゴォ!!」


 そして更に翼を出力して飛び上がりながら、突き立てたクレイモアを両手で握り締め、そのまま頭上を一直線に切り裂いていく。渾身の力を込めた二の腕が激しく盛り上がり、隆々とした筋肉を浮かびあがらせながらダルフは吠えた。


「アアアアアアアア゛ッッッ!!!」


 信じられぬ光景に、誰もが固唾を飲んで、すぐ頭上で繰り広げられる事態を口を開けて見上げていた。そしてグレオだけが一人囁いた。


「すっげぇ……」


 彼の闇を帯びた目は真ん丸に見開かれ、徐々に強いきらめきを帯びていった。瞬く間に闇は払われ、無邪気で、まるで少年が正義のヒーローを羨望の眼差しで見るように、彼は空を駆けていく正義の姿を見上げていた。


 魔物の頭を切り裂いて天に舞い上がったダルフが、空中でクレイモアの切っ先を地に確かに向けて、今度はその翼を一直線に天に向けて噴出しながら、加速して舞い戻ってきた。曇天の切れ目から射した日射しがダルフを照らす。


「――――この混沌は俺が照らすからッ!!」


 閃光が象の頭に落ちた。そのままダルフは頭蓋を突き抜け、胴体を切り裂いていく。


「――――もう二度と負けないからッ!!」


 厚い魔物の胴体を突き抜けて、地にクレイモアが突き立つと、その衝撃に辺りの者は尻餅を着いて、バンダナ男は思わず、はは、と笑った。

 しかし、その場に崩れ落ちていった巨体がダルフの頭上に差し迫って、土を巻き上げた。何時しか、魔物の耳を覆いたくなる悲鳴につられて、身を隠していた全ての民も、彼を見守って、拳を握り込んでいた。

 ――――あ、と誰かが声を挙げると同時に、空を這う巨大な白き雷が空に咲いた。そして象の巨体を両断し、黒く焼け焦げさせながらそこから出てくると、クレイモアに着いた紫の体液を払い、肩に担ぎ上げながら歩いてきた。


「たとえ何が敵になろうと」


 衝撃を通り越した怒濤の事態に皆一様に言葉を失って、数秒の沈黙があった。しかしその静寂は、弾ける様に起こった民達の歓声に、即座に消え去った。


「ウワアアアァァアアッ!!!」

「騎士様! 騎士様だ!」

「救世主だ! 遂に神が俺達に助けをくださった!」

「ダルフ様ッッ!!」

「助かるんだ俺達! ダルフ様が守ってくださると言ったんだ!!」


 鳴り止まぬ歓声は一人の黄金の瞳に向けられて注がれた。その大歓声の民の多さに、今度はダルフが驚いて肩を飛び上がらせて、照れくさそうにして、はにかんでいた。

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