第55話 宿敵の声がする

 動揺するダルフはまた膝を着いた。民達は痩せこけた頬を彼に向けて怯え出す。その反応は、自分達がしている行為がいかに野蛮で卑しい行為なのかを理解している証明であった。


「ダ……ダルフ様? あんた、死んだ筈じゃあ?」

「お前達は何をしているんだっ!」


 ダルフが怒鳴り付けると、民達は尻餅を着いて怯え出した。そして、わなわなと震える体で一人の中年男性が、口許に血を滴らせながらそれを開く。


「仕方が無かったんだ……」

「仕方が無いだとっ!? 仕方が無いからと人の肉を喰らうのか、同じ人の肉を! それは悪魔の所業だと……最も罪深き行為であり自らを奈落に貶める行為だと、お前達は知っている筈だっ!」


 ダルフに怒鳴り付けられた民達はやましい事をしていた自覚があるといった風に一様に俯きながら、それでもダルフに言葉を返した。


「俺達だって、そう思っていた……神に背く最も愚かな、こんな悪魔の行為を、最初は考えつく奴すらいなかった」


 もう一人の青年も陰鬱な表情で言葉を続けた。


「あんたも知っていると思うけど、この都が陥落すると、混乱の民は自らの食糧を確保する為に都の周囲に点在するロチアートの養殖場に向かって、我先にロチアートを殺し、食糧の奪い合いをした。それが都へ侵入する魔物避けの役割を果たしているとは皆知っていたが、明日を生きる為、家族を養う為、競い会う様にロチアートを狩って持ち帰った。今思えば正気を失った集団心理の暴走だったんだ」


 若い女が伝う涙を細く、乾燥した指で拭いながら声を荒る。


「やがてロチアートが狩り尽くされると、魔物が侵入して来て、瞬く間に民を殺し食糧を食い荒らし、畑を荒らして回った! そうすると残された殆んどの民は、64の騎士の号令で、隣の都イェソドに向けて荒野の横断を始めた。残された僅かな食糧を持ち運んで……」

「お前達はどうしてそれについていかなかったんだ。イェソドに行けばお前達も助かった筈だ」

「……冬の荒れた土地を、五千の民を連れて64の騎士だけで横断していく事なんて、可能だと思う? イェソドの都までの道程は険しく、遠い。冬の痩せた土地、魔物の跋扈する外の世界で生き延びられる人はほんの僅かよ。……だから、一部の民はここに残り、なんとか食い繋いで何処かの都から救援が来るのを待った。先に出発した騎士が、イェソドに辿り着いたらここに救援に来る様に申請してくれるって言っていたし、その方が安全だと思った」

「五千を……たった64の騎士でだって?」


 イェソドの都に辿り着くまでに、何人の民が命を落とすのか、それでもやるしか無かったのだ。仲間の騎士達の姿が思い浮かぶ。自分が再生を遂げるまでの期間に起こっていた事態を知ったダルフが、生唾を飲み込んでいると、中年男性が体の震えを止めて立ち上がった。


「だけど、いつまで待っても助けは来ない。先の横断組の奴らが出発してもう二週間は経つのに、誰も助けに来ず、俺達は飢饉に喘いだ! 明日こそは、明日こそは救援がある筈だと信じて! ……だけどもう、限界だった。食糧も尽き、魔物に殺された奴らの死骸だけが増えていく……俺達はもう、限界だったんだ」

「……それで人を喰い始めたというのか?」


 責めるようなダルフの口調を正面から受けながら、中年男性は強い語気で眉を震わせながら続ける。室内に吹き込む冷気とは対称に、男は額に汗を垂らしている。


「先に言った様に、誰も始めはそんな事をしようとは思わなかった。人が人を喰うのは、この世で最も罪深く、悪魔の手先の烙印を押される行為である事は皆が理解していたから。……だけど、それでも貧困に喘ぎ、辺りに転がった死骸に手をつけようとする者が現れた。この都が陥落する前まで、共に成長し、笑いあって酒を呑み交わした友人の肉をだ」

「……」


 中年男性の話しを聞きながら、青年と少女は涙を流し始めてすすり泣いた。ダルフは壮絶な話しにもはや言葉を返せなくなっている。


「……止めたさ、俺達だって最初はそんな奴等を止めて、頬をひっぱたいて正気を保たせようとした。だけど、だけどよぉダルフ様……」


 そこから先の言葉を言いづらそうに口ごもる中年男性が、涙を溜め込んで充血する白目を伏せた。そして次の言葉が紡がれると、青年も少女も遂に嘆きの声を惜し気もなく垂れ流し始めたのだった。


「死んでいくんだ……そんな綺麗事をのたまわっている奴等から、順に……死んでいくんだよ……飢えて、ガリガリの枝のような体になっちまって」

「……ッ」

「だから喰った。この息子と娘達にも、嫌がっても、無理矢理に口にねじり込んで喰わせた……最初に喰わせたのは、魔物に殺された妻の体だった。生きる為に妻は……うっ、……子ども達に、み、自らの肉を喰わせてくれって、俺に……妻が! ……死んじまったら、何もかも終いだからって……神に祈っても腹は満たされないのだからって……俺に……俺に妻ガッ!」


 決死の声を荒げてフラついた中年男性――父親を抱き止めた息子が、ダルフに反発的な表情を見せる。


「……もう戻れないんです。一度人の肉を喰ったら、もう犯した罪は拭い去る事は出来ない。だから、人の肉を喰うんです。生きる為に……それに、次第に苦痛も和らいで来ましたから」

「人を喰う事に……か?」


 いつしか項垂れていたダルフがその親子を見上げると、虚空の様になって正気を疑う三人の瞳が、膝を着くダルフを見ていた。そして青年はこう言った。


「不思議なんです。……目を瞑って喰うと

 


 淀んだ瞳をする青年から紡がれたその衝撃に、瞳を剥いたダルフの時が止まった。

 そして、この世で最も憎むべき、忌々しい奴の声がダルフの頭に去来した。

 

 ――――何がロチアートだ! コイツらは、瞳が赤いだけの人間なんだ! 俺達と同じ様に考え、悲しみ、笑い、生きたいと叫ぶっ! 人間なんだっ! 俺達と何が違うというダルフっ!! ――――


 それは鴉紋と始めて邂逅し、つばぜり合いの最中に言われた言葉だった。それが今になってダルフの頭に呼び起こされ、度重なって飛び込んで来ていた。嫌悪する宿敵の声が。

 世界が混沌に堕ち始めていた。

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