第十二章 混沌に堕ちゆく世界

第54話 陥落した都での目覚め

   第十二章 混沌に堕ちゆく世界


「ぐっ……!」


 ダルフは自分の右足に走る痛烈な痛みと共に、荒れ果てた大広間の隅で目覚めた。灼熱に身を溶かされても、彼は自信の能力『不死』により、肉の一片より再生を遂げたのだ。

 顔を起こすと、しんしんと粉雪の舞う寒空の下、魔物が彼の右足に齧りついている。


「離れろッ!」

「ぎゃいん!」


 ダルフが掌に溜め込んだ雷撃を込めて殴ると、魔物は呆気なくはらわたをぶちまけて死に絶えた。


「どうなったのだ、ここは、ネツァクの大広間……なのか?」


 辺りに薄雪が積もる景色を見回しながら、衣服も無く寒空の下に立ち尽くすダルフ。セイルの『煉獄』により黄金の甲冑は溶けて墨になってしまっていた。クレイモアは特殊な製鉄法で造られたのでどうなったかわからないが、少なくとも今この場には無いようである。

 彼が即座にその場所が何処なのかをわからなかったのには理由があった。景観が、あの頃のきらびやかなものとは全く変わっていた為だ。


「何なんだこれは……この光景は!?」


 人々の喧騒の止む事の無かったネツァクの都は、見渡す限りの殆んどの家屋が黒く焼け落ち、大聖堂は瓦解し、静まり返って、都を取り囲んだ巨大な市門がよく見えた。かつては所狭しと並ぶ家々で見える筈も無かったのに。

 そして雪をその体に薄く張り付けて転がる、民達の死屍累々の光景に、ダルフは絶句する。


「あぁ……! 負けたのか……俺は奴に、俺が負けたばっかりに、民が!」


 黒い雷に呑み込まれた最後の記憶が甦る。その衝撃に視界は真っ暗にすげ代わり、直前には自分の胴から下の下半身が切り離されていくのが見えた。

 他の民は何処に行ったのだろう、数万の数は居たあの民達は。全員殺されたという事はあるまい……。今ダルフが見渡す光景は、ただの廃墟と化した荒れ地でしかなく、人の気配も感じられない。


「まさか、マニエル様も……!」

 

 自分が倒れても、次にはマニエルが控えていた筈だった。しかし都は陥落し、天使の子によって張られている筈の結界も解かれ、魔物が我が物顔をして入り込んで居る。

 それが紛れもなく天使の子、マニエル・ラーサイトペントの死を意味している事に気付かぬダルフでは無かった。


「くそ……俺が、俺が……!」


 ギリギリと奥歯を噛み締めて苦悶の表情を落とすダルフ。


「他の騎士達は? 民を連れて別の都へ移ったのか?」


 ダルフは、自らの能力『不死』に関して、マニエルによって他言無用とされていた。故に既に死骸となったとされ、ここに捨て置かれていた事は理解出来る。

 しかし、ダルフが破れるまでに、残っていた自らの指揮する隊の兵はせいぜい七十数名。仮に彼等全員が存命だったとしても、この都の数千の民を、たったそれだけの数の騎士で護衛しながら、厳しい冬の痩せた土地を、襲い来る魔物達から民を護衛して横断するなど、無謀でしか無かった。……しかしそうする他無かった騎士達の気持ちは、彼等の心に宿った煌めく正義は、ダルフには良く理解も出来てしまった。


「……すまない、俺が、俺さえ奴に……鴉紋に負けなければ」


 考えうる全ての者に力無く懺悔しながら、ダルフは俯いて、素足のままで雪の上に立つひ弱な自らの足を見下ろし、見渡す限りに横たわる民の死骸に懇願する様な表情を向けて、愕然とした。

 ケセドの都の二の舞になってしまった自らの都。悪意に敗れ、自分が再生を遂げるまでの間に、どれだけの悲劇が巻き起こっていたのか。自らの非力に歯噛みするダルフは寒さに震えた膝を着いてすすり泣いた。


「父さん、ガリオン……みんな……うっ」


 するとそこに、遠くからカランと物音がした。


「誰か居るのか……まだ、この都にも」


 正気を取り戻しながら周囲の物音や匂いに五感を澄ませてみると、人気の無いと思われたこの場にも、まだ僅かばかりの物音があった。それが魔物による物音か、人による物か、それは判別出来なかったが、彼は立ち上がるしか無かった。


「何を泣いているんだダルフ。まだ居るかもしれない……助けを待っている民が」


 周囲を見渡すと、所々にまだ原型を留めた家屋がある事に気が付く。ダルフは自らを律しながら、屋根が無くなった二階建ての家を目指して歩き始めた。


「確かにする、人の起こす物音が……微かな声が」


 ネツァクの都は広大である。焼け野はらになった家屋を踏み込んで歩いていると、ちらほらとやはり気配がする様だ。自分が思っていたよりも多くの民が、広い都の何処かで魔物に怯え、息を潜めているのかもしれない。彼の瞳の奥に微かな火が揺らめき始めていた。

 悲惨な殺戮の跡が見える道すがら、瓦礫の下から引っ張り出したずだ袋の様な長いローブを身に纏いながら、屋根の抜けた二階建ての家に辿り着いた。身を隠すのなら形の残った家屋に他はない。確かにここには民が居る筈である。

 思惑通り、やはり締め切られた扉の奥からヒソヒソと話し声がする。


「誰か居るのか?」


 返答は無かったが、ダルフは迷わずそこに踏み入った。締め切られた扉を開け放つ。


「居るなら返事をしてくれ――――――」


 扉の奥には、四つん這いになった三人の民が、痩せこけたあばら骨を浮き上がらせ、ギョロリとした目を向かわせながら、何か床に横たわったものを、一心不乱に貪り喰っている光景が飛び込んできた。


「は……ッ」


 彼等が喰らいつく床に横たわったを認めた。それにダルフが思わず声を漏らして驚嘆すると、おぞましいその光景に身を震わせた。民達が四つん這いのまま、それに喰らいつくのを止め、鈍く光を放つ獣の様な視線をダルフに投げる。


「何を……何を喰っているんだ」


 ダルフの姿を見上げて狼狽した民の向こうで、喰われていたの頭部がだらりとこちらに向いた。ブラウンの瞳が茫然とダルフを射ぬいていく。


「なんて事を……を喰っているの…………か?」

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