第49話 お前は負けたんだ

 

 むくむくと土や石が盛り上がり、人の形状を成していく。まだ顔は形成されていないが、それは無数に現れて、瞬く間に鴉紋達の周囲を満たしていった。


「降りて来いマニエル!」


 猛り、拳を握る鴉紋の掌が震え、血を流している。それを見てマニエルは嬉しそうにパタパタと翼をはためかせて旋回する。


「あはっ! そんな体でどうやって戦うつもりなの?」


 フロンスも鴉紋の震える背中を見て苦虫を噛み潰した。


「黙れ!」

「私の能力を知って尚、その傷付いた体で立ち上がり、拳を振り上げる。まぁ大した度胸……? ……いえ、いえ? それは度胸でなく無謀!」


 マニエルの言葉に牙を剥く鴉紋。対称的にセイルとフロンスはマニエルの言わんとしている事が理解出来てしまう。


「僅かな隙をついて逃げようとした方がまだ懸命だった? いいえ、私は絶対に貴方を逃がさない。転移の魔方陣も貴方の一挙手一投足も!」


 マニエルの作り出した土人形達が、同じくして形成された剣や斧を持って歩み始めた。一体の土人形が駆けて、鴉紋の前に向かって来た。

 空中で仰向けになって、逆さに鴉紋達を見下ろすマニエル。


「で、貴方は何がしたかったの? 薄っぺらな策がまだあるのかしら?」


 鴉紋の前に立ったフロンスの死人が土人形に剣を繰り出すが、凝縮されてコンクリートの様になった体に剣が止まる。


「硬い! 圧縮された土はこれ程までの強度になるのですかっ!」


 続いて二人目の死人が斧を振り上げてその土人形の頭を砕いた。するとバラバラになって地に砕けていった。


「……座して死を待っている位ならやってみるかって……感じなのかしら?」


 仰向けのままマニエルがハープを弾くと、瞬く間に別の土が盛り上がって土人形が補充される。


「どいてフロンス!」


 今度はセイルが前に立って強力な火球で一挙に土人形を包み込む。


「それとも、本当にまだ私に敵うつもりがあるのかしら? そんな体で」


 土人形達は炎を纏いながら歩みを止めていなかった。痛覚が無いので中途半端な火力では全く効果が無く。とてつもない豪火で焼き付くすでもしなければ意味がなかった。


「マニエル! いい気でいられるのも今のうちだ!」


 激情する鴉紋が震える体を起こして土人形の群れの中に飛び込んでいく。ゆらゆらと立ち尽くす土人形の頭をその両の拳で貫いて駆けると、音を立てて土人形は崩れ去っていく。


「はぁ……はぁ…………ぜぇ……」


 空中で顔を逆さにして金髪を逆立てたまま、息を荒げた鴉紋をつまらなそうな表情で見下ろしたマニエルは、長い指をなぞってハープを奏でた。すると数十体の土人形が再び形成されて立ち上がる。


「鴉紋さん! 人形を相手取っていてはきりがありません!」

「どうする鴉紋…………え……っ鴉紋!?」


 セイルの目前で鴉紋が片膝を着いた。未だ流れ出る血液により貧血となり、顔を青白く変貌させて全身を寒さで震わせている。しかしそれでも苛烈な瞳は鋭く上空の敵へと向けられていた。


 その様子を見たマニエルが弾ける表情で風に乗って笑い転げ始める。セイルがそれを憎々しく見上げる。


「アッハッ! キャハハハハ!! ほらご覧! 周りも省みず、何の勝ち目も無く勇むからよ。きゃッハハ! そんな貴方の背中に続かなくてはならない仲間達が気の毒ですよ私!」


 土人形達が駆けて鴉紋に武器を振り上げて来た。鴉紋はその体制のまま動けない。フロンスの死人が立ち塞がり応対するが、その数の多さに数を減らされていく。


「ダルフにやられた傷が痛む鴉紋? 劣る筈の無いと思った腕力が、気圧されまいと思った熱情が、割られる筈の無いと思った拳が打ち破られ、した気持ちはどう?」


 鴉紋の代わりに声を張り上げたのはセイルだった。顔を真っ赤にしながら、マニエルの揺れる緑色の虹彩を見上げている。


「鴉紋は負けてない! 負けてなんかいないっ!」

「あらあら、Aランクの家畜は良く鳴くのかしら?」

「……ッ」

「あのままだったら拳はクレイモアに貫かれ、そのまま心臓に至っていた。それがわかって鴉紋は自爆したの。負けると悟って自分もろともに! そしてたまたま当たり所の悪かったダルフは引きちぎれ、そいつは生き残った。ただの運。そして真っ向勝負から尻尾を巻いたのは鴉紋! そいつ!」


 へらへらとしながらマニエルが膝を着いた鴉紋を指で指し示す。


「極限のエゴイストの貴方にはっ! さぞかし屈辱的な選択だったのでしょ~? んんー?」

「……ッ!」


 鴉紋は激しい歯軋りと共にこめかみを痙攣させる。尚もマニエルはおちょくる様に頬を緩ませて続ける。指を差し向けたまま。


「負けた。負け。負け。負け! 逃げたんだもん……だって逃げたんだもんねぇ! 世界全てが自分に合わせろと吠えた傍若無人が! 拳を引いて逃げたんだ!」


 熱が籠ってきたマニエルの語気。言葉に合わせて穏やかだった瞳が開かれ、ギラギラとさせながら口許からヨダレを撒き散らし始めた。


「逃げた逃げたニゲタッ! 負けたんだ心情を曲げたんダッ! ねじ曲げたんだ! 世界全てを一人で相手取ると息巻いたカスが! バカがっ! あろうことか! 気持ちで負けたんだ! 膂力で負けたんだ! 思いで負ケたんだッッハァッ!!! 負けッッ負け負け負け!! 全部何もかも全てにおいて負けッオマエのっ!!! オマエの負けッ!」


 マニエルは我を忘れた激しい叱咤で乾いた唇を舐めて、雨で濡れた髪をはらってから笑って見せた。


「…………ッッ」

「鴉紋をバカにするなッ!」


 唸る鴉紋を横目に激怒したセイルは、赤い瞳を輝かせながら、上空に両の掌を向けて魔方陣を展開する。


「鴉紋は私達の為に戦ってるんだ! ロチアートの為に負ける訳にはいかなかった! どんな手を使っても生き残らなくちゃいけないんだっ!」


 セイルは膨大な魔力を注ぎ込んだ黒き巨大な炎を生成した。


「『黒炎こくえん』!」


 そしてマニエルに向けて放った。


「んッ!」


 全て焼き付くす様な火力と膨大な魔力に多少面食らった様子のマニエルだったが、迫り行く巨大な黒き炎の塊は、即座にハープを鳴らして突風を起こし、歪な翼で風に乗った天使には当たらなかった。


「っあら危ない! さっきの技といい、黒い炎は始めて見ましたよ」

「『狂魂きょうこん』。飛べサハトッ!」


 間髪いれずフロンスが数の減っていく死人を見限り、その魂を一つに凝縮した。


「ボアアアアアッ!!」


 脳のリミッターを取り外された甲冑の男が、膝を曲げて下半身を筋肉で膨れ上がらせた。甲冑が肉体の膨張により音を立てて外れ、砕けていく。

 マニエルが悲鳴を上げる。


「キモい!!」


 下水を眺めているかの様なしかめた面をしたマニエルに向けて、サハトは地を踏み穿って飛び上がる。強烈な速度でサハトは風を切り、大聖堂を背後に停滞するマニエルに向けて、斧を振り上げた。

 しかしマニエルがハープを鳴らすと、頭上からサハトにだけ強烈な風が落ちてきて速度を緩められる。しかしそれでもマニエルには届く。


「やれサハトッ!」

「『聖霊の領域』」


 失速したサハトの胴を、地上から打ち上がって来た無数の石の矢じりが貫いた。そして重しとなりマニエルまで至らず地に落ちていく。


「そんなっ!」


 マニエルが、余裕綽々と得意気な目を地上に落とした時、死に体ギリギリの体のままに、割れた掌を天に向け、上腕に白い魔方陣を起こし、強烈な魔力を解き放った男に気付いた。


「『黒雷こくらい』!!」


 天がゴロゴロと鳴り、光速の雷が落ちていく。


「二度も虚を突けると……ッ――」


 マニエルはそれを予知していたかの様にハープを鳴らし、これまでにない豪風を起こして翼に受けた。水平に移動したマニエルがギリギリでそれを避ける。轟音と地に落ちた黒い雷が、地上の土人形達を粉々にして葬った。


「――思ったか……ッ!」


 翼を広げ、白く整った歯牙を見せたマニエル。


「私の『聖霊の領域』は自然を操る。故に大気の動きに気を配っておけばこんな技は当たる筈もないのです。以前のように虚を突けなければね……あぁ、それは貴方の得意技でもありましたねぇ、真っ向勝負では敵わないと踏むや否や、奇策に出て、まんまと私の翼を焼き、ダルフの体を真っ二つにしましたもの」

「……よく喋る……。それにしちゃあ、ギリギリだったじゃねぇか……自慢の金髪をアレンジしておいてやったぞ」


 マニエルは静電気で逆立った髪を撫で下ろすと、細い目になった。

 鴉紋が、セイルが、フロンスが一同にマニエルを見上げて睨み付ける。


「……その顔。直ぐに歪ませてあげる」


 そしてマニエルはハープを鳴らす、かき鳴らす。流麗な曲ではなく激しい曲が大広間を包む。炎の広がる都に響き渡っていく。

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