第47話 深淵を眺め、覚醒する光


 身寄りの無かったダルフは、フィーロ地方にある、ナハトというのどかな村の老夫婦に引き取られて育った。


 キビキビとした母は、実の我が子に向けるような海のように深い愛でダルフを育み。


 呑気な父も、同じくらいにダルフを愛して、いつもベタベタと子ども心にも鬱陶しいと思う位に引っ付き回ってダルフと遊んだ。


 ――――八歳の頃。ダルフは泣きべそをかいて家に帰った事があった。親友のグレンと村の外の草原で遊んでいると、隣村の十代の青年三人といざこざになり、グレンと二人で痛め付けられたのだ。

 自らが痛め付けられた事よりも、友を傷付けられた事にか弱く咽び泣くダルフ。そんな彼に対し父は、今日までおくびにも出さなかった、王都で峻厳な騎士として鳴らしたという風格を覗かせた。


「いつまで泣いているダルフ」

「だって……悔しい、悔しいんだ」

「……いいかダルフ」


 そう切り出して父は続けた。熱く、正義を内包した視線を持って。


「この泰平の世で、人々が忘れてしまった感情がある」

「……忘れ?」

「だが男には、その感情を露にすべき時がある」

「……」

「それは、自分の大切な者を傷付けられた時だ」


 普段はのらりくらりとした父であったが、ダルフの並々ならぬ正義感は、紛れもなくその父から受け継いだ物であった。


「そこに悪が居て、自らの正義に一縷の迷いも無い時は――――いかれ」

「怒る?」


 父はいつもそうする様にダルフの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。


「怒り、感情を露にしろ。そこに一欠片の迷いも無いのなら、正義が悪に負ける道理は無い。人の為に怒り、貫けダルフ。その拳を」

「絶対に負けないって事?」

「そうだ。まことの正義を宿した拳は、何者にも砕けない。どんな強靭な敵も貫いていく。

 ……故に闘え。正義が悪に負けたらば、この安寧の世に再び闇が射すのだから」


 父は拳闘士が好きで、その真似事をして、良くダルフの顔の前に拳を突きだした。


 拳闘士なんて、世間からは野蛮だなんだと言われて煙たがられる人達だったのに、父はそんな彼等が好きだった。


 その時もそうだった。顔の前に突き出してきた拳は、



 やっぱりあった。





 ――――――父さん





 仰向けに倒れたまま、意識が戻るよりも先に、ダルフは父の拳に向かって拳を突き出していた。その拳は天に向き、そこにあった幻影の姿をかき消す。


 空を覆い始めた曇天を見上げ、瞬きをすると、目の前に両親の姿が見えた。


 頭を撫でる母の温もりを感じた。


 父と拳を突き合わせる情熱的な感覚があった。


 剣を高めあい、正義を語り合った兄弟子との絆を感じた。


 共に剣を構える仲間達の気配を背に感じる。





 ――――ダルフの心臓がドクンと脈打って。全身に染み渡る血液を感じ、限界いっぱいに目を剥く。



 

 父の捻り潰された顔が見えた。強く剣を握り締めていた掌の赤い跡が見えた。暴力的に引き裂かれた母の千切れた胴体が見えた。泣き叫び頬に伝った水滴の一筋が見えた。倒れ伏しながらも手を取り合おうとした母の伸ばされた腕が見えた。投げ出された丸眼鏡が見えた。指から抜け落ちた指輪が見えた。肉を喰われる友の表情が見えた。娘の名を呼びながらはらわたを喰い破られる友が見えた。積み上げられた友の死骸が見えた。甲冑毎体内に腕を差し込んでかき混ぜられる友が見えた。弟の亡骸を胸に発狂した友が見えた。四肢を引きちぎられても屈辱の表情で立ち上がろうとする友が見えた。親を魔物に喰い殺された民の叫喚が見えた。愛する者を失った民の涙が見えた。絶望の眼を浮かべて下肢を押し潰された民が見えた。目前で破裂した兄弟子の頭が見えた。血液を噴き上げる力なき胴体が見えた。



 血溜まりが目前に広がっていった。



 その先に一人の男が立っていた。



 黒い両腕を携えて、闇のように暗い瞳を向けて。







「……ぁ……ぁぁあ……ぁあ」


 天に拳を突き出したままに、ダルフは声を上げた。どういう訳だか貫かれた肺のまま声を出した。

 子どもが咽び泣いているかの様なひ弱な声と、表情で。


「ぁぁああ……ぁぁああ! あああああああっっ!!」


 その声は次第に熱を帯びて――――



「あああああッッああああアアアッッ!!!」


 ――――慟哭となった。


「ッッッがアアアアアァァアアアア!!! ガァォオアアアアアッ!!」


 やがてそれは強い意思を剥き出しにする戦士の咆哮へと変貌していく。同じ様に表情も徐々に子どものそれから変わり、強き思いを宿した凛々しい瞳の下に、喰い縛った歯牙が覗く。

 ダルフの頬を伝う水滴は、今しがた降り始めた冷たい秋雨のせいだろうか……辺りに強く打ち付け始めた雨の後では、もうそれはわからなかった。


「ガアアアアアァァアアアアアアアアアアアアッッ!!! アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!! アモンッッアァァアモォオオオンッッッ!!!!!」

 

 未だかつて感じた事も無いような激憤に突き動かされたダルフが、目を血走らせながら全身に力を入れて奥歯を噛み締める。


「黙れ虫けら」


 ダルフの頭上から、彼を見下ろす男の冷たい声が響いた。

 そしてその真っ黒の拳をダルフに向けて振り下ろした。


 ――――瞬間、ダルフの滾る瞳が強く明滅し、全身を雷撃の閃光が走る。

 鴉紋の振り下ろした拳は、ダルフの背から現れた霹靂へきれきそのもの様に長く、巨大なジグザグの白き雷の片翼に弾かれ、そのまま鴉紋の全身を貫いた。


「ッッぐ! ぎィィイイイイッッ!! な……んだコレハッッ!?」


 虚を突かれた鴉紋はまともにその雷撃の翼を全身に浴びて、全身を痺れ焼け焦がして白煙をあげる。


 怯んだ鴉紋が視線を戻すと、ボタボタと胸から血を落とすダルフが憤怒の表情を向けて、クレイモアを両腕で担ぎ上げて構えていた。天から落ちて来たかの様な白き稲光を一筋、背に携えて。


「っダルフッッ!!!」

「鴉紋ッッ!!!」


 ダルフの全身をこれまでの非ではない程に電撃がバチバチと音を立ててまとわりついている。その雷撃をダルフはクレイモアに流し込む。すると鉛色だったクレイモアの黒色が、途方もない電撃を注入された事で目映い光と共に白く発光していった。


「貴様のそれはなんだっ……! ダルフ!」


 *


 その光景を、見開いた白目を真っ赤に充血させながら刮目する存在が居た。大聖堂の尖塔からダルフを見下ろし興奮の限りを尽くして。


「あぁ…………あぁあ……!!」


 宙を漂うマニエルは頬の横でパンパンと左右交互に手を打って恍惚とする。


「成った! 成った!! ナッタッッ!!!」


 胸の前で手を握り込んで悶えるマニエル。鴉紋に焼かれて切り落とした髪が空に踊る。


「二年もの歳月をかけて、ついぞ私の引き出せなかったダルフの力が目覚めたっ!! 怒りという感情を持ってしてっ!!」


 ヨダレを垂らし、自分の体をなぞり上げながらマニエルが頬を紅潮させて口を震わせる。


「ぁあ! 感じる。私にはわかる! 貴方は何処までも強くなる。天井もないこの空のように果てが無いほどにどこまでも……ッ」


 瞳を蕩けさせたマニエルが全身をピンと沿ってブルブル震えている。


「……不遜ながらも思ってしまう! あぁ感じてしまう、私にはわかってしまう! ダルフの力はいつか私達を越えてそして…………やがて……やがてっ!」


 背を弓なりになる程に反ったマニエルは、誰にともなく絶叫する。


「ミハイル様の……本物の天使に匹敵するだけの…………ッッあぁっっ!!」


 マニエルは雨に濡れながら奇声に近い声を上げ、快楽に絶頂して舌を出した。





 ******

 

「鴉紋。貴様は殺す。散っていった俺の大切な人達の為にッッ!!! 我が正義の為にッッ!!」


 燃え盛るダルフの灼熱の瞳が鴉紋を貫いていく。

 鴉紋はそれを認めると、自分の拳をガチリと合わせてから、全身全霊の拳を繰り出す半身となり、腰を落とし、大股を開いて、コキリコキリと音を立てながら右腕を限界まで後方に引き絞り始めた。


「ぐだぐだうるせぇ……粉々に打ち砕いてやる」


 ダルフは少し瞳を閉じ、仲間達に思いを馳せた後に言い放った。


「行くぞ鴉紋」


 全身に溜め込んだ電気を解き放ったダルフが、雷撃のクレイモアを振り上げた。目にも止まらぬ速度だったが、鴉紋の目は彼を捉えて、真正面から迎撃しようと引き絞った全力の右腕を繰り出した。


「オオオオオオオオッッ!!!」

「アアアアアアアアッッ!!!」


 相克する全力の二人の攻撃が混ざりあって衝撃波が起こり、辺りの者は尻餅をつく。

 ダルフのクレイモアの刀身は鴉紋の拳を真正面から捉えていた。しかしジリジリとダルフが押されていく。貫かれた右の胸が彼の力を制限していたのだ。


「っぐおおおおお!!」

「そんなものかダルフ……所詮貴様の言う正義などというのはッ!!」

 

 凄絶なつばぜり合いを見ながら、騎士達が声を上げ始める。


「隊長……隊長、ダルフ隊長!!」

「負けるなダルフッ!! ダルフッ!」

 

 フロンスとセイルも拳を握り締めてその行く末を見守っている。


「鴉紋! 負けないでっ! 鴉紋ッッ!!!」

「鴉紋さん! この世界を変えるのでしょう! だから……鴉紋さんッ!」


 ダルフのクレイモアと鴉紋の拳の接触面に起こる火花。後退り始めるダルフ。対して鴉紋は一歩踏み込んだ。


「砕け散れダルフ!」

「うっオオオオオオオオ!!!」


 兄弟子の声がダルフの背後から聞こえてきた。それが現実の声なんかじゃない事はわかっていたけれど。


 ――――忘れるな……我々は騎士だ。この世界の民を守るの騎士――――


「ガリオン……クソ……このままでは……ッ!」



 ――――まことの正義を宿した拳は、何者にも砕けない。どんな強靭な敵も貫いていく――――


「父さん……でも、もう………………」






「後ろを見てみろ馬鹿息子」






「え……っ?」


 父の声に振り返ったダルフが見たのは、剣を握り彼の背を押す、今は亡き無数の仲間達だった。


「…………っ!」


「いけダルフ」


 最後に耳元でした父の声を聞くと、ダルフはつばぜり合いの最中に、一度うつ向いた。


「行こう……みんな」


 顔を上げたダルフの金色の瞳が、少し潤んでいた。


「な……なっんだっ!?」


 ダルフの背に生えた雷撃の翼が、その勢いを増していきながら、赫灼かくしゃくとした輝きを噴出し始めた。バリバリと電撃の音を立てて、太く、激しく背後に水平に噴出し、ダルフの背を押していく。


「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」

「なんだその力は……いつまで……何処まで肥大していくというのダッ!!」


 今度は後退る事を余儀無くされる鴉紋。


 ――――そして


 バギリという音を立てて、鴉紋の黒い拳にクレイモアの刀身が侵入していた。


「バカな!! この俺の拳が……ッッ!!」

「もっとだ…………っモットッッ!!!!」


 更に音を立てて、鴉紋の拳にダルフの雷撃のクレイモアが突き立っていく。果てしなくその背から出力する事をやめないダルフの翼。それが、怒涛の如く更に力を増してダルフを押し進めた!


「クソっ!!」


 拳を割られかけた鴉紋の、残された左腕の上腕を取り囲む様に白き魔方陣が現れた。

 そして苦々しく、屈辱を噛み締めながらそれを天に向け、ダルフの燦然と輝く瞳を目前から見下ろす。


「『黒雷こくらい』ッッ!!!」


「な……っ」


 鴉紋の魔力に呼応して、天から黒き落雷が落ちて二人を包んだ。激しい爆裂音と共にその衝撃は大広間に居た全ての者も巻き込んで吹き飛ばす。


「きゃあああ!!」


 落雷の衝撃に投げ出されたセイル。

 程無くして全身を襲う痺れに耐えながら、よれよれと顔を上げると、鴉紋の居た場所へと駆けていた。


「……鴉紋」


 そこには黒く焼け焦げた大地と、全身に煤を着けて白煙を立ち昇らせる男が一人立っていた。

 もう一人は、上半身が消し飛んで何処かへ消えてしまっていた。側に真っ黒の下半身らしきものだけが横たえている。


 しばらく静止していた黒焦げの男は、「ゴハァ!」と息を吹き返して、開いた口元から煙をあげた。




 そしてその男は振り上げた。黒く、割れかけた右の拳を。

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