第十章 黄金の瞳

第44話 復讐の騎士

   第十章 黄金の瞳



 朝陽に照らされてシクスに影を落とす鴉紋。フロンスが膝を着いてシクスの全身を観察し、息の微かにある事を確認した。


「本当に一人で憲兵隊を倒したのですね……こんな姿になるまで」

 

 見渡す限りの血溜まりと、甲冑の数にフロンスが嘆息する。

 普段なら目くじら立てて怒っていたのであろうセイルも、この時ばかりは彼の労をねぎらって、そっぽを向いて溜め息をついただけだった。


「私のテレポートが間に合わなかったらみんなあんたに殺されてたんだけど……まぁ、何とかなったし、いいけど」


 気を失っているシクスに各々が語りかける。フロンスは回復魔法を彼に使用し始めた。


「体中骨折し、内蔵も痛めています。かなりギリギリの状態ですが、回復魔法があれば死にはしないでしょう……無論数週間は動けないでしょうが」


 鴉紋がボロボロのシクスを見下ろす。


「俺の不甲斐ないばかりに、お前に全てを背負わせてしまった」


 回復魔法で呼吸が落ち着いてきたシクスは、穏やかな呼吸を繰り返し始めた。


「あとは任せてくれ、忌まわしいティロモスの毒もきれた」


 燃え盛る宿舎。先程までの喧騒が嘘のように立ち消えたそこに、炎の燃え盛る音だけがあった。セイルはそこに残されたネルの亡骸を思って瞳を伏せる。


「どうする鴉紋、シクスを連れて一旦引く事も出来るよ? 体勢を立て直してからでも……」

「駄目だ。奴等は今ここで殺す。何としてもだ」


 怒りを抑えきれていない鴉紋が目尻を吊り上げて都に振り返った。指を蠢かせ、ゴキリと音を立てる。


「……うん。鴉紋がそう言うなら」

「冷静に……と言いたい所ですが……言っても聞き入れては貰えないのでしょうね……」


 歯を食い縛り、頬の筋肉を痙攣させる鴉紋を見て、フロンスは左の耳に髪をかける。

 

 事切れたシクスを匿える場所まで運び、三人は都へと向かった。


 ******


 周囲を高い市壁に囲まれた第7の都ネツァクの市門まで三人はセイルのテレポートでやって来た。もう毒気の抜けた鴉紋は、早くも両腕を黒く変化させて肩をぐるりと回す。


「私のテレポートで来れるのはここまで……都に入ったら結界で数メートル先までしか移動できないよ」

「民の居る都に門番も構えないとは……罠かも知れませんよ鴉紋さん」

「……良い度胸だマニエル。ならば血に染めてやる」


 フロンスの忠告に耳も貸さずに鴉紋は門番の居ない巨大な市門を抜けて都へと立ち入っていく。怒気の籠った物言い。鴉紋は苛ついていた。

 肩で風を切るその背中に、二人は続いていく。


「……ふん」


 細く入り組んだ路地を歩いていくと、いつか立ち寄った商店街に出た。と、同時に忌まわしい記憶が甦るが、かつての景色とは違い、人の気配は無い。

 都の民達は、伝令によりこの密集した各家々に身を潜めているのだろう。耳を凝らすと人の息遣いが聞こえて来る。


「こんなに緑豊かだったでしょうか、この都……」

「前に私達が来た時とは全く違ってる」


 都の至る所に小高い木立が見える。街路樹が植えられ通路が形成されていた。草木や花の咲く花壇が各家屋の前に構えられているうえに、何よりも足元にあった敷石が取り外され、土を露にしてそこに草木が茂っていた。自然を操るマニエルの能力が遺憾なく発揮出来る様にか、かつての様子とは様変わりしている。


「都で戦闘になる事に備えていたのでしょうね……鴉紋さん、やはり我々はここに誘い込まれているのではないでしょうか?」

「どうしてわざわざ大勢の人がいる都の中で闘おうとするのかな。おかしいよ、闘うならここは絶対に避けたい場所だよ?」

「うーむ……何かここに我々を誘き寄せるだけの理由があるのでしょう」

「関係ない。民も兵もマニエルも殺すだけだ」


 快晴。凍えるような秋の気温。明朝の朝陽昇る寂しげな商店街を歩く。所狭しと並ぶ木製の家から無数の視線を感じたままに、その先に見える白亜の教会の藍色の尖塔を目指す。


「静かだけど、私達がここに来てる事。憲兵はもう分かってるんだよね?」

「ええ、農園で憲兵隊を破った事も無論。更に民達が家屋に身を潜め動向を覗いている様ですし、我々の行動は今も敵側に筒抜けだと思って良いかと」

「いつ何処で仕掛けてくるかわからないって事ね。気を付けないと……」


 獣の様な視線を真っ直ぐに据えていた鴉紋のすぐ隣で、音を立てて観音開きの窓が閉められた。

 鴉紋がピタリと足を止めた。そうして家の中からこちらを窺う民を、足元から竦み上がらせる様な黒目をジロリと向ける。


「ムカつくんだよさっきから」

「どうしたの鴉紋?」


 何処かで様子を窺っている憲兵達を挑発しているのだろうか、鴉紋は唐突に強い口調で叫喚し始めた。


「この俺を掌にでも乗せたつもりなのかッ!」


 鴉紋は右腕を振り上げて、その拳を家の壁に叩き込んだ。セイルとフロンスが驚愕して振り返る。


「鴉紋……っ!?」

「鴉紋さん、何を!」


 瞬く間に半壊し、瓦解した家屋の奥から、チュニックを着た母親と少女が片身を寄せあって恐々とした表情で鴉紋を覗く。そして悲鳴を上げた。全身を震わせながら尻餅を着いて。


 鴉紋は首の骨を鳴らしながらその吹き飛んだ壁の奥の光景を見やるが、眦の一つも動かさない。


「こいつらを殺しながら、炙り出すんだ」


 暗がりの家屋の中から親子が見上げる彼は、朝陽を背にその表情を深い影に染めながら、苛烈な視線を向けていた。惨禍そのものを連想させる彼の存在感に、少女とその母親は自分達の命運を諦観する事しか許されない。


「待って鴉紋、どうしてそんな事……!」


 引き留めようと鴉紋の腕にすがり付いたセイルを、鴉紋は振り払う。


「……っ!」

「どうして……? どうしてだと?」


 般若の面相で振り返った鴉紋に瞠目したセイルは、その迸る感情に尻込みし、同時に思った。


 鴉紋のこの激情は一体何処から来るの……? 

 ネルを殺されたから? ロチアートを焼き払われたから? 


 愛する人を殺されたから?


 、鴉紋がロチアートに見せる慈愛の様に深く寛大な心。それに対して、同じに見せる片時も冷めやらぬこの怒りは、執着は――――? 



 この熱量はだ。


 ――――極まりない位に。


 セイルを無視して鴉紋が家屋に踏み込もうとした瞬間であった。


「鴉紋ッ!!!」


 正面の路地を抜けた大聖堂前の大広間から、大気を震わせる程の怒りに満ち満ちた、一人の男の怒声が響き込んで来た。やはり何処かから様子を窺っていたのか、鴉紋の所業を見かねて声を荒げた風に感じられる。


「……もう釣れたか」


 ねっとりとした笑みを見せながら、鴉紋は踵を返して細い路地を抜けた先の大広間へと振り返った。セイルとフロンスが顔を見合わせて頷き合う。


「気を付けてください。この気配からして、恐らくは再結成された第20国家憲兵隊かと思われます」

「……ふん、残った兵をありあわせた有象無象だろう」


 暗い路地の先に、日の照る大広間が見えてきた。奥にそびえ立つ白亜の大聖堂が太陽を照り返しているのだろうか、そこは驚くほどに輝かしく、まるで自分達が先程まで居た場所が漆黒の闇であったかの様にも感じられた。

 かつて鴉紋がドルト・メリラに吹き飛ばされた噴水が見えた。しかし土は剥き出しになって、木立が茂ったその広い空間は、今や森の様にも見える。


「待っていたぞ」


 先程からの何者かの声に臆する事もなく、鴉紋は光の中に身を投じていった。そしてその先に銀色の甲冑に陽射しを反射する100の兵が、扇状に陣形を構えて武器を構えている。


「待っていたんだ…………から……今この時をッ!」


 一人の金色の甲冑を纏った騎士が兵をかき分けて鴉紋の前に悠然と現れた。どういう訳か兜を被っておらず、そのするりと指の抜けそうな長髪をたなびかせて、猛りながらもゆったりとその瞳を向けていた。

 そしてセイルはその男の姿に絶句する事となる。

 と、との宿命めいた因縁に言葉を失った。


「お前…………は……何故……?」


 鴉紋がどうでも良さそうに移した細い目は、その男を認めると同時にみるみると見開かれていった。

 拳銃で胸を撃ち抜かれた様な衝撃が鴉紋を襲う。

 動揺する彼を獣の様に睨み据えるは、正義を携えた黄金の瞳。


「貴様は必ずこの手で殺す。全ての民達の為に……何をしてでも!」


 満天の星屑を散りばめたその男の瞳に宿る、滾る復讐の大火が鴉紋を射竦める。ブロンドの長髪が風に靡いて風に踊る。

 並々ならぬ憤怒の意が、白く整った鼻筋にシワを作り、強く噛み締めた歯を剥き出しにした。


「何故だ……生きている筈が無い、お前は、間違いなく……間違いなくあの時に……


 腹に風穴を開けた筈の男が、手に鉛色の巨大なクレイモアを持ち、顔の前で切っ先を地面に向けて十字架を形作った。背に大聖堂を抱え、神々しくも見える金色の騎士が主に誓い、瞳を閉じる。


 そして鴉紋は咆哮する。掻きむしりたくなる程の心臓の鼓動に任せて――――その男の名を叫んだ。


「ダルフッ! ダルフ・ロードシャインッ!!」

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