第九章 人でなしに浮かんだ幻影
第40話 俺たちのするべき事
第九章 人でなしに浮かんだ幻影
セイルのすすり泣く声だけが室内を満たしている。眠ったようなネルの亡骸の横で。
ネルの表情を見下ろしながら、壁に背を預けて座るフロンス。彼は憲兵隊の襲撃に備え、シクスがここまで担ぎ上げて来ていた。
「我々は一体何の為に闘っているのでしょうか」
フロンスが痺れる体を震わせて放った問いが宙に舞って消えてしまうその直前に、ギリギリと歯を食いしばって上体を起こした鴉紋が、憤怒の瞳をその眉の下に落とす。
「決まっている。赤い瞳の人間の為だ……明日を夢見るネルの様な子どもの為だ」
「ひどいよ……うっ、どうしてメリラさんが……ロチアートが、ロチアートを殺すの……? そんな……そんな事って。じゃあ私達は一体誰と闘えばいいの?」
「メリラに……赤い瞳にそんな考えしか出来なくなる程に虐げた……この世界。その全てだセイル」
「世界……全て」
ティロモスの毒気が僅かばかり抜けてきた三人が瞳を通わせる。フロンスは絶望を、セイルは悲嘆を、鴉紋は激情をそこに含んでいる。
「俺が……全てを破壊してやる……人が人を家畜のようにこき下ろし、食い物にする、この淀んだ地獄の全てを……何もかもッ!!」
「鴉紋さん」
「間違っているんだ、こんな事……こんな悲劇が! 未来を夢見るネルの様な純粋な子どもが! 生きることすら許されず、将来を思い描く事すら許されず! 虫けらの様に簡単に殺される……こんな世界は!!」
横になったネルの死体が、悲しげに毛髪をそよがせていた。
「そうよ……鴉紋の言うとおりだよ、こんなの絶対に間違ってる!」
「私もその意見には同意致します。しかし、どうするのですか? メリラの密告を受けた憲兵隊が直にここに来る事でしょう。ティロモスの毒が完全に抜けるのに、あと半刻はかかります」
「全て殺すに決まってるだろう!」
未だ全身に痺れを覚えているはずの鴉紋が、黒色化した腕を突き立てて無理矢理に立ち上がり、フラついて壁に背を叩き付けた。
三人の会話を胡座をかいて聞いていたシクスが、胸元からタバコを取り出して火を灯す。
「なっ……全部俺の言う通りになっちまったろ兄貴」
「……く」
「そのついでに、この世界がイカれてるって事も痛い位に分かったけどな」
シクスの口の端から溢れるタバコの
「それでどうすんだ兄貴。都に飼い慣らされたロチアートを信じ、挙げ句ハメられて体も動かねぇ。都の憲兵隊がすぐにここにやって来て、兄貴達の毒が抜ける半刻なんて待ってる間もなく殺されそうなこの状況をよ」
「……それは」
「兄貴はロチアートに甘い。何処か盲目的になっちまう程に。……でもな、口先だけで何が変えられるってんだ。今ここであんたがつまんねえ毒のせいで殺されちまったら、この糞世界は変わらぬ明日を歩み続けるだけだ」
「……」
「そんな有り様で、どうやって世界全部を壊すなんて言ってんだよ」
声を荒げたのは、うつ伏せのまま顔をあげたセイルであった。
「鴉紋を馬鹿にしないで! あんたに……あんたに鴉紋のなにがわかる! 鴉紋が胸に秘めるロチアートへの思いを、優しさを、ロチアートを信じるその心を馬鹿にするな!」
セイルが鬼のような表情で歯を剥き出す。当然その敵意はつまらなそうにタバコを吹かすシクスに向けられたものだ。
「優しさや思いやりで何かが変わんのかよ。ままごとでもしてんのか?」
「お前!」
「もうやめましょう! 争っている場合ではありません!」
するとシクスは眼帯を外して、煙と共に言葉を吐き出した。痛いほどに冷たい――その空気を
「思い出せよ……あんたらが一体何をしようとしてやがんのか……」
シクスの言葉に聞き入る三人。そして彼は立ち上がって、腰のダガーをぬらりと抜き出していく。
「そんな理想や優しさみてぇな生易しい調子でどうにかなんのか?」
シクスの冷めた瞳は次第に見開いていき、舌なめずりをして殺戮の予感によだれを垂らし始める。
「簡単だろ……俺達のするべき事なんざ、単純明快。
髪を振り乱し、半狂乱に上体を揺らして天井に向けた視線。よだれを床に垂れ落としながら、シクスが視線を鴉紋に戻した。
「俺は間違っているかい、兄貴?」
鴉紋はシクスの言葉を聞いている間に、いつしか腹を据えた様な面持ちに直って、細く切れ長い瞳と真一文字になった口元を見せていた。
「
シクスが左の口角を吊り上げて不気味に微笑んだ。その表情をセイルとフロンスは肝を冷やして眺めていた。
「兄貴。あんたが死んだら何もかも終いなんだ。俺達も……ロチアート達の行く末も全てな……だから、やってやるよ」
「シクス」
「まーた大立ち回りだ……ひっひゃはは! でも沢山コロセル! その後で兄貴がもっとスゲェ世界をミセテくれるッ! そうだろう兄貴! だから俺様も柄にもなく踏ん張ってやるッ! アッハハハハハ!!」
丁度外から、甲冑を引き摺る騎士達の足音が迫っていた。
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