第39話 怒りのやり場

 

 その日の真夜中。夜中にここを出ると言っていたのに、彼等はそこで横になり続けていた。

 体中が痺れ、酷く酩酊した様に視界が回り、平衡感覚すら失って、その激しい嘔吐感に皆が体を捩っている。


 ――――ギィ


 強烈な痺れで身動きも取れぬ彼等の部屋へと続く扉が、静かに、様子を窺う様にして開いていく。暗く静謐な室内に、廊下に灯ったランタンのオレンジ色の光が一筋になって射し込んで来た。鴉紋の苦悶に歪んだ表情がそこに照らされる。


 室内の様子を覗いた後に、そのかはゆっくりとそこへ侵入して来た。

 ギシギシと軋む木製の車椅子の車輪が回る。


 メリラは白い寝間着姿のまま、その手に銀色の短剣を携えて、静かに侵入してから扉をソッと閉じる。


 メリラの存在に気付いた鴉紋であったが、その姿を何とか見上げるだけで、枕元にまで近寄って来る彼女に対して、僅かばかりの声さえもあげられない様子である。


 先程までとはまるで違う般若の面を貼り付けた様な表情で、メリラは短剣の切っ先を無抵抗の鴉紋に向けて、その胸の上で振りかぶった。


「……さっき息を引き取ったよ」

「…………っ!? どうして、あなた……」


 暗がりの中、壁に背をもたげ、冷めた瞳でメリラを覗いていたシクスがつまらなそうに呟いた。

 メリラは酷く仰天して振り返ったまま、その手の短剣を地に落とす。


「あんたって、随分慎重なんだな。即効性の毒じゃなく、遅効性のティロモスの薬草を使った。最も、そいつ以外の毒だったら俺の鼻が嗅ぎ分けていたんだけどな」

「どうしてなの……あなたも私のスープを食べていた筈です。どうしてあなたにだけ……っ!」

「俺は自分でも驚く位な嫌われ者でね。貧民街ではよくそいつを盛られたよ。比較的容易に手に入り、塩を加えて煮詰めれば完全な無味無臭になるそのティロモスの毒をね」

「くそっ……それで耐性が」

「知らねぇよ」


 静かに言いながら、シクスは弾かれる様にしてメリラに歩み寄り、腰のダガーを抜いた。その瞳は座り、内包された果てしの無い侮蔑の意志が籠もっている。


「あんた程がくのある奴なら、やっぱり知っていたんだよなぁ」


 シクスはそのままメリラの肩を掴んで車椅子をなぎ倒し、ダガーを首元に押し当てた。


「このティロモスの毒は成人に対しては一刻も持たない弱い毒だが、それを未発達のガキなんかに使ったら、呼吸抑制を起こし、死に至るって事も」

「……ッ!」


 シクスの語気が次第に強くなっていく。胸ぐらを掴んだ拳に力がこもっていっている様で、メリラの表情が少しずつ苦痛を刻み始めた。


「見てみろよ、眠っているみたいに静かだろう?」

「……く」

「血中に吸収されてから作用し始めるティロモスの毒は、今更胃の中の物を全部吐き出したって助からねぇ。自らの吐瀉物に溺れる程に嘔吐を繰り返しながら、苦痛にのたうち回り、やがて呼吸を止めていく」

「お前達に何が……ぐぁッ!」


 シクスは反感するメリラの頭を引き上げ、その後頭部を地面に叩き付けて黙らせる。


「あんまりにも酷いんで。俺が綺麗にしてやったんだ。その子の亡骸を、少しでも報われる様に」

「き、貴様の様な殺人鬼に……何がわかる! お前は何人の人を殺してきた!」

「……あぁ、自分でも驚いてる。だがな、俺の様な殺人鬼にも、お前のした殺しは反吐が出る程に胸糞悪く思ったぜ」

「だまれ……今更善人を気取った貴様なんかに……!」

あんたの事を親のように慕いながら、最後まであんたの名を呼び続けて……」

「だ……だま…………れっ!」

「毒を盛ったあんたを微塵も疑う事もなく、俺達に語った、ほんの些細な夢を思い描いたままに、その生命を終わらせたんだ」

「……く」

「あんたは俺達に毒を悟らせない為のただの保険として、ネルにも毒の入ったスープを食わせただけなのにな……あーあ、ほんと無邪気で純粋な馬鹿なガキだったよ。……本当に…………」

「……っ!」


 メリラが視線を背けたシクスの僅かな隙をついて、手元に転がった短剣を手に取った――――


「あーあ、訳わかんねぇ……ほんとに…………なぁ?」


 メリラの短剣を握った手を掴んだのは、シクスの『幻』によって地を割って伸びてきた小さな子どもの腕だった。

 

「俺様が人の為にこんなにぶちギレんのは初めてだ! こんなに胸糞が悪いのもなあッ!!」


 カッと瞳を見開いて、シクスの眼帯が落ちてオッドアイが露になる。ビキビキと額に青筋をたて、いつになく真剣な面持ちでこめかみに力を込めている。ゆっくりとダガーの刃をメリラの首に近付けていく。


「俺はこの怒りをいったい何処にぶつけるべきなんだ? お前か? ……それとも、あんたをこんな風にしか考えられなくしちまったこの世界なのか?」


 シクスは言いながら、メリラの首元に向かって近付けたダガーに力を込めた。


「……兄貴」


 シクスのダガーを止めたのは、すぐ側で寝転んでいた、鴉紋の黒色化していない生身の掌であった。


「シク……ス」


 鴉紋の掌から赤い血液が滴り落ちて、メリラの顔を赤く染めている。


「ロチアートには甘いんだな兄貴は」

「……」


 事の成り行きを見ていてセイルが、ネルの亡骸を横目に鼻を垂らし、涙を流していた。


「わかったよ。……つまんねぇな」

「この……! 都に謀反する逆徒め! いつの日か、必ず報いを受ける時が来るわ!」


 メリラが決死の形相でのたまい始める。


「既に憲兵隊には密告している! あなた達はすぐにマニエル様率いる神の騎士達によって断罪されるのです!」

「あーあ、だから言ったのによーやっぱりなぁ……どうすんだよ兄貴……ってろくに喋れねぇよな。あと30分位かかるかもなぁ」

「必ず報いがあるわ! 私の子ども達をたぶらかし! 焼き殺したのはお前達だ! 私達は都の人間様に飼い慣らされ、従順にその命令に習い、満足な生活を送っていた! それら全てを破壊したのはお前だ鴉紋!」

「だってよ、騙されたな兄貴。な! 言ったろ嬢ちゃんよ」

「何がロチアートも人間と同じ様に生を全うすべきだッ! ロチアートが今日日生きていられるのは人間様に付き従って来たからだ! 何が愛だ! 私達の様な家畜が人間様と同じ様に誰かを愛してなど良い筈がないだろう!」

「じゃあお前。なんで隣で寝てたフロンスの事を殺さなかったんだ?」


「は……?」 


「なんだよ、殺してねぇだろ、すぐ隣で寝てたっていうのによ」

「こ、殺しましたよ、この短剣をぶっすりと胸に突き立てて」

「下手な嘘はよせ。お前の白い寝間着や短剣に血痕も無かったし、何より血の臭いがしなかった」

「何が言いたいのです!?」


 メリラは腕の力だけで下半身を引き摺って、恐れるようにシクスから離れていく。


「お前、本気でフロンスの事を愛してたんだよな……違うのかよ」

「だま…………! 思い上がり、人間様に成り上がろうとする愚かなる家畜! 愚かなる夢想に私達を巻き込むな! 巻き込まれた子ども達は殺処分され、私はこんな惨めな姿にされた! だから! だから早く…………!!」


 メリラは途端に涙ぐんで、シクスに背を向けてしまった。


「……」

「……出て…………いってください。あの人を連れて、早く」

「兄貴達が動けねぇっての」

「……では私は子ども達を先導し、この農園を後にします。ここが戦場になるのを待ち、むざむざとまた子ども達が殺されるのは見ていられませんから」

「……けっ。じゃあさっさとやれよ」


 メリラは車椅子に乗り込んで、村の中へと消えていった。

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