第38話 夢を見る子ども

「着いたよフロンスさん」

「ご苦労様でしたネル」


 少女に連れられてたどり着いたのは、かつてフロンスがメリラと共に過ごしていた教育係の宿舎である。成り行きで鴉紋達まで共に来ている。


「ネル……私の代わりの教育者はいますか?」

「んーん、メリラさんだけだよ」

「一人で……? 教育係は原則男女ペアの筈ですが、まぁそれならそれで好都合ですが」


 フロンスは藪の中から辺りを見回し、人気の無いのを確認して藪から出ていった。ネルを含めた四人も同じ様にしてメリラが居るという宿舎へと入っていき玄関の扉を閉める。鴉紋以外は、扉の鍵が掛かっていない事に何の疑問も持っていない様子である。


「メーリラさーん!」


 ネルが嬉しそうに溌剌な声でメリラを呼ぶ。対象的にフロンス達には若干の緊張が走っていた。

 

「この声は……ネル? どうしたの」


 廊下の奥からくぐもった声が聞こえてくる。


「凄いんだよ! メリラさんもきっと驚く人を連れてきたんだ!」

「……連れてきた? 農園の外から? ちょっとネル。こっちに来て車を押してくれる?」

「はーい!」


 廊下の奥へと駆けていくネルを見ながら、フロンスの脳裏に嫌な予想が巻き起こる。


「車……?」


 しばらくしてネルは一台の車椅子を押してフロンス達の前に現れた。


「フロンス……っ」

「メリラ……その姿は」


 メリラは木製の車椅子に乗って、身体中に包帯を巻いた姿で現れた。顔の右半分を覆う包帯から、赤く爛れた皮膚が垣間見える。左の指は欠損して親指と中指しか無く、膝から下にある筈の足は無くなっている。

 フロンス以外の三人はその無惨な姿に声を失って目を背けた。


「あぁ、フロンス。生きていたのですね。それに、鴉紋さんとセイルさんも」


 メリラはフロンスの姿を残された左目で眺め、ポタポタと膝に落涙した。


「メリラ、その傷は……あの日、私達の前から去った後に?」

「ええ、お見苦しい姿を見せてお恥ずかしいですわ。あの後私は残された子ども達を救う為、必死に救命活動をしたのですが、結局は誰一人救えずに、崩れた家屋に押し潰され、このような姿に……ですが命だけは助かったのです……私だけ」


 フロンスは自らを心の中で糾弾しているのが分かる様な重苦しい表情で、小鼻をひくつかせながら、慎重にメリラに向けて言葉を紡いだ。


「貴方は、やはり私を恨んでいますか? 私達が来なければ、農園があんな事になり、多くの子ども達が無為に殺される事も無かった。貴方もそんな姿になど……貴方には私達を責める権利がある」


 メリラは睫毛を伏せ、静かに首を横に振ってみせた。


「フロンス。貴方達があの時必死に訴えていた事に、私はあの時共感する事が出来ませんでした。しかし、今になってようやく……子ども達を食べる為でも無く都の騎士達が殺処分したのを見て、貴方達が訴えていた言葉の意味を理解したのです」

「メリラ」

「鴉紋さん、あの時のお気持ちに変わりはありませんか?」


 メリラが瞳を開いて鴉紋を見つめる。そこに敵意は無く、温かな視線だけが送られている。


「ロチアートもまた人間であり、都の人間と同じ様に生を全うすべきだという気持ちに」

「あぁ」

「フロンス」


 今度はフロンスに同じ様な視線を移すメリラ。


「ロチアートもまた、人間と同じ様に誰かを愛して良いのだという気持ちに」

「……勿論です」


 メリラは重度の火傷の影響からか、ぎこちなく微笑んだ。


「今は私も同じ気持ちです。都の人間達の都合で子ども達を殺処分にされ、ロチアートとしてのこれまでの生に疑問を持ち。そして、私もまた……圧し殺していただけで、他者を愛していた事に気が付いたのです。貴方達が去って、焼け野はらになった我が農園を、瓦礫の下から眺めながらに」

「……メリラ。うっ……すみません、すみませんメリラ。私のせいでそんな姿に……幾人もの子ども達も私のせいで……」


 膝をついて涙を流し始めたフロンスにメリラは近寄って、その頭を胸に抱いた。


「良いのです。全てはあの時、貴方達の差し伸べる手を取れなかった私の落ち度なのですから。……だからもう泣かなくて良いのです。私のフロンス」


 ******


 夕刻となり、鴉紋達は大きなテーブルの前に座していた。彼等が来たという事が都の騎士達にバレては大変な事になるという事で、メリラの一存でネルもまた家に帰らずにその場に留まっていた。


「メリラさーん! お腹すいたー!」

「もうすぐ出来るわよネル。少しお待ちなさい」


 キッチンの方からメリラの声がする。フロンスもまたキッチンでメリラと共に食事を作っていた。


「今日のご飯は何かなー? お肉は最近めっきり出てこないから、野菜のスープとパンかなぁ? でもねー、メリラさんのスープはすっごいすっごい美味しいんだよ? ネルはそれが大好きなの!」

「なんだ、肉は出ないのかよ」


 残念そうにテーブルに肘を着いたシクス。鴉紋は静かに溜め息を着いた。セイルは何処かソワソワした様子で部屋中をキョロキョロと眺めている。


「腹が減ってたからいいけどよー兄貴。こーんなゆったりしてていいのかよ? 第一ここには忠告に来たってだけで長居する予定でも無かったんだろー?」

「それはそうだが……」


 キッチンの方からフロンスとメリラの笑い声がして来た。するとセイルが細い目をしてシクスに指をさす。


「馬鹿ねシクスは。あんなに幸せそうな二人の邪魔を出来る筈が無いじゃない」


 思えばフロンスのあんな笑い声を聞くのは今日が始めてかも知れない、と思いながら鴉紋はフォークとスプーンをぶつけてカンカンと音をたてて遊ぶネルを眺めていた。


「何年かぶりに会って、やっと心も通じあった所なのよ? 1日位いいじゃない。デリカシーが無いのね」

「ちっ、知らねーよデリカシーなんてよ……でもよぉ、あんたらに何があったのかは知らねぇけど、あのメリラってロチアートの女が裏切らねぇって保証がどこにあんだよ。夜のうちに密告されて憲兵隊に囲まれたらヤベェだろ」

「なによ! さっきのメリラさんの涙を見てなかったの? そんな事言うなんて最低よ! クズクズ! クズシクス!」

「へぇーへぇー。感情論は女の特権だな。兄貴はどう思うんだ?」

「……」


 シクスの言う通り、ここに滞在するリスクは遥かに大きい。しかしセイルの言ったように、メリラのあの様子に嘘や偽りを感じなかったのも事実だった。


「メリラを信用してない訳では無いが、今夜のうちに、内密にここを出る。万が一にも再びここを戦火に巻き込む訳にはいかないからな」

「りょーかい兄貴」

「うん、鴉紋がそう言うなら!」

「何の話しお兄ちゃん達?」

「ううん、何でも無いのネルちゃん! あっ、そうだ。今夜はお姉ちゃんと一緒に寝ようね?」

「いいよー! ご飯の後でいっぱい遊ぼうね! あとね、あとね、外の世界のお話しも聞きたいな! お姉ちゃん達は外から来たんでしょ?」

「うん、いいよネルちゃん!」

「やったー! ネルはね、ここから出たこと無いの! だから大人になったらここを出て外の世界を旅するのが夢なの!」


 するとセイルは驚いたような表情でネルの頭に手を置く。


「自分の将来を語る子なんて、始めてみたわ」

「そうなの?」

「そうよ、だってロチアートは大人になるまでに出荷されるでしょ?」

「うーん、皆にそう言われて馬鹿にされるんだー……でもネルはね、もっと自由に好きなことがしてみたいと思うのー!」

「ネルちゃん。その気持ちは誰が何て言おうと絶対に間違ってないんだよ? 誰に否定されても、その気持ちは間違ってなんかない」

「ほんとー!?」

「うん! だって、かつての私も同じ気持ちでいたから。……そして私達はその為に闘っているんだから」

「……?」

「ふふ、何でも無いの……とにかく、ネルちゃんが自由に外を旅出来る様な、そんな世界がすぐに来るから……ね、鴉紋」

「あぁ、必ずだ」

「はっはっ、おもしれぇお嬢ちゃんだなぁ」


 歯の抜けた少女のはにかんだ姿に、三人は自ずと口元を弛ませて微笑んでいた。


「お待たせしました」


 フロンスが朗らかな笑顔でメリラの車椅子を押してキッチンから現れる。


「今日は私の得意料理ですよーうふふ」


 メリラもまた、両手にスープの入った皿を持って楽しそうに笑っている。


「メリラのスープは絶品なんですよ鴉紋さん」

「わーいメリラさんのスープだー!」

「ネルの大好きなカレーも特別に用意したのよ」

「カレー!!?」


 席に着いた四人の前に皿が並べられていく。献立はネルの予想通り野菜の沢山入ったスープとパンに付け加え、カレーまで現れた。


「さぁ食べてください! お肉は使ってませんから」

「ネルの大好きなカレーだやったー!」

「何と良い日でしょう。またメリラや子ども達と食卓を囲むことが出来るなんて」


 シクスは鼻をくんくんと動かしながら香りを吸い込んでよだれを垂らした。


「おし大丈夫。うまそうだなー! いっただきまーす!」


 人一倍早く食らい付いたシクスに習うように、皆は食事を始めた。


「メリラさん、カレー旨い! ネルカレー大好き!」

「沢山食べなさいネル」

「あとね、このメリラさんのスープはもっと好き!」

「そう、良かったわ、ふふ」


 口いっぱいに頬張るネルを見て皆で笑った。


「メリラ、貴方はスープを食べないのですか?」


 メリラの前にはカレーとパンの皿しか準備されていない様子である。


「いいのフロンス。火傷の影響で、あまり熱いものとか硬いものが食べられなくって……ほら、穀物とか沢山入ってるし」

「そうでしたか……では、私の分のパンをどうぞ」

「いっ、いいのよフロンス。長旅で疲れているのでしょう? 貴方が食べてください」

「いえ、メリラにもお腹いっぱいになって欲しいのです」

「……もうフロンスったら」

「見ろよ兄貴ーおっさんイチャついてるぜ? 子どもの前でよ」

「なっ、違います!」

「好きにさせてやれシクス」

「ほんとデリカシー無いわね」

「フロンスさんとメリラさんは仲良しだー!!」


 ******


 食事を終えた後、順番に風呂を借りた。セイルとネルが二人で入浴しているうちに、フロンスはメリラにここが戦場となる事を伝えた。メリラは「その時が来たら子ども達を連れてすぐに避難出来る様に、明日の間に準備しておく」と真剣な面持ちで答えてくれて、フロンスは心底ホッとした様に胸を撫で下ろしていた。


 メリラには内密に夜中にここを出るまで、四人は仮眠を取る事にした。


 フロンスとメリラはかつて共に寝ていた二人用の寝室で、残りは大広間にそれぞれ布団を敷いて休むことになった。


 ネルはセイルと同じ布団に入り、瞳を輝かせながら外の世界の質問をし続けていた。

 気付けばシクスが得意気に話しに割って入ってきて、鴉紋も穏やかな表情で話しを聞いていた。

 そうしてやがては布団をひっぺがし、それぞれが胡座をかいて円になって、ネルの無邪気に驚く反応に、大きな声で笑いあった。ネルは余程楽しかったのか、いつまでもいつまでも瞳を大きくして笑っている。

 しかし、やがて事切れる様にしてネルは目を瞑って布団に倒れ込んだ。セイルはネルを自分の布団に連れて毛布を被せ、それを合図に部屋の灯りを消すと、三人も束の間の仮眠を始める。


「外の世界は……なんでもあるぞ……おっきいぞ…………楽しいなぁ」


 そんなネルの寝言に三人は吹き出したが、すぐに静寂が訪れた。

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